#エッセイ『一度距離をとってみては・・』

   三月九日からWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が始まりました。大谷翔平の大ファンである僕にとっては待ちに待った大会です。今回の侍ジャパンの注目はもちろん大谷ですが、母親が日本国籍を持つという事で日本代表入りをしたヌートバーの活躍が目を引くものがあります。アメリカではカージナルス所属の選手という事ですが、僕にとっては今回代表入りをすることになって初めて知った選手です。アグレッシブなプレースタイルは日本チームのピンチを度々救い、その次の回のチャンスにつなげるとてもいい働きをしている選手です。彼がどんな選手だったのかという事が気になってネットでチョット調べてみました。するとこんなことが書いてありました。ヌートバーがマイナーの選手だった2020年はコロナ禍でマイナーリーグの試合が無かったそうです。その間の4か月間、彼はとある企業で肉体労働をしたとの事です。彼はその体験で『自分を謙虚にさせ、どれほど野球を愛しているかと気付かされた』と語っていたそうです。ここで僕が気になったのは、ヌートバーが一度野球を離れたという事です。それにはコロナという事情があったのでしょうが、人が一番力を入れて取り組んでいる事から一度離れるという事はまた戻ってきた時にその経験がいい効果をもたらすという話を何度か聞いた事があります。ヌートバーの場合は一度野球から離れた事で、彼にとっての野球の価値を見直すきっかけになり、さらに謙虚さをも身に付けたという事がその後のメジャーでの活躍につながったのでしょう。
   これに類似する話としては、日本画の大家である平山郁夫氏が同じような事を新聞紙上で書いていました。平山氏がかつて東京芸術大学で教授を務めていた時に、教え子同士で結婚をする子が何組かいたそうです。その時代の事ですから、男性が画家として外に出て働き、女性は奥さんとして家に入るというのが普通だったそうです。そして子育てが一段段落してから、旦那の方が『お前ももう一度絵をかいてみたらどうか?』と勧めたりすると『もう何年も筆を持ってないし・・』と言ってほとんどの奥さんは最初は尻込みをするそうです。それでもという事で試しに一枚絵を描いてみると、思いがけず旦那より素晴らし絵を描いてしまったりするそうです。それを見た旦那はショックを受けてしまい、それをきっかけにして夫婦関係がギクシャクした挙句にしまいには別れてしまうというケースをいくつか見てきたと書いていました。そこで平山氏が書いていたのは、一度長い時間絵から離れてしまうと、技術やテクニックが鈍ったり後退すると思いきや、日常の生活で普通に家事や育児をしたという経験がその女性の感性を深めてまた一段と絵に深みを与えることがあるそうです。一度絵から離れるという事が結果としてその人の感性を成熟させる現象がどうしても不思議でならなかったと書いていました。それを読んだ時はなるほどそんなもんか・・・と思ったもんです。感覚的には、人は何かを始めたなら同じことをずっとやり続けるからこそ極めるのではないかと思うのですが、時と場合によっては必ずしもそうではないんですね。実は、今WBCで侍ジャパンの監督を務めている栗山英樹氏もご自身の著書で同じことを書いているんです。栗山氏は子供の頃から野球に親しんでいたのですが、通っていた中学では野球部が無かったためにバレー部に入っていたそうです。そこでも一生懸命プレーはしたそうですが、そこで覚えた体の使い方がその後の野球人生に大いに生きたと書いていました。一度距離を置いてみるという事は、いろいろな角度から物を考えたりアプローチの仕方を覚えるという事なのでしょうか・・・。
   では、自分の人生を振り返ってみると同じ事があっただろうかと考えてみました。大した経験ではないのですが、一つだけこんな話があります。僕は学生時代に数学が好きでした。それもたいした成績では無かったのですが、他の科目と比べるとまだマシといった程度です。でも数学そのものを学ぶ事は好きだったことは確かなのですが、社会人になって数学の問題を解くという事のない日々を送っていました。そりゃそうですよね、学校を卒業してまで必要もないのに数学なんかやる人はほとんどいないでしょう。そして自分が数学を好きだったという事すら忘れて過ごしていたある日、本屋さんでフッと数学の本を手にして事がありました。その本は社会人の為の学び直しという観点で書かれた本でした。その売り場で本を手にしながら懐かしいという思いで中をペラペラめくってみたら“これなら俺でもできそうじゃん!”と思ったんですね。そしてその本をその場で買って、その日からひと月ほどその本を会社から帰って毎日読み進めてみました。そうするとどうでしょう。確かに多くの事をちゃんと忘れてはいるのですが、読む内容は初めてではないんですね。だからかもしれませんが、驚くほど中身がスラスラと理解出るんです。高校生の頃、何回も授業で解説を聞いても今一つ理解が出来なかった事が、なんというのでしょうか、スッと理解が出来たりするんですね。そんな個所を読み進めながら、“あれ?なんであの頃はコレが理解出来なかっただろうか?”と思ったんです。高校生の頃に比べれば今の自分の頭は固くなっているだろうし、もう何年も数学から離れているのだからチンプンカンプンでも当然と思っていたので、本当に驚いた記憶があります。そこで自分なりにそのことについて考えていた時に、平山氏と栗山氏の話を読んだのです。それで、“なるほど・・・・”と思ったのです。僕自身は確かに数学から長い事離れていましたが、その間に会社の仕事や、日常のプライベートな事で色々な経験を積んで、自分なりに柔軟に物の見方や考え方を身に付けていたのでしょう。約ひと月の事でしたが、何とも言えない充実した時間を久しぶりに過ごしました。
 皆さんにもそんな経験があったりするのではないでしょうか?例えばご家庭で自分のお子さんや知り合いのお子さんの勉強なんかを見てあげた時にそんな事を感じているのではないでしょうか?今やっている事に深みを与えるために強制的に距離を置くことはかえって良くないと思うのですが、色々な経緯の上で一度離れてしまった事なんかがありましたらもう一度チャレンジしてみるのも面白いかもしれませんので、皆さんも折を見て昔の趣味なんかにもう一度トライしてみてはどうでしょうか?僕もまた昔挫折した事なんかに挑戦してみようかと思います!

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