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小説 開運三浪生活 33/88「大人の階段、五百円」

岩手で独り暮らしを始めるにあたって、文生にはひとつだけ自らに課したルールがあった。それは、大学の色に染まらないこと。交友関係を広げないこと。なるべくアパートに他人を出入りさせないこと。そして自分からもほかの県大生の家には行かないこと――。

文生はハナから、いずれゆくゆくは他大学を受験し直すか、三年次から編入するつもりでいた。もし仮面浪人するとなった時、遊びの誘いは邪魔になる。自分のペースを乱されるのを極度に恐れていた。友達の家に遊びに行くというごく自然な行為をしなかった少年期の自意識のまま、文生は十八歳になっていた。

講義の合間に会話を交わす程度の知り合いは何人かできたが、自宅に招くことも休日に連れ立って出かけることもしなかった。ただ、貫介だけは、例外だった。

五月最後の週末、文生は貫介と連れ立って盛岡市内に出かけた。滝沢駅からたった二駅南へ行けば着く距離だが、出不精な二人にとって盛岡は気軽に行ける街ではなかった。終電も早かったので、講義終わりにさっと遊びに行く気にもなれなかった。

この日の用事は、レポートを書くのに必要な新書を買うことだった。まだ蔵書量の少なかった県大の図書館にその本はなかったし、売店に注文するより盛岡に出て探したほうが早いと思ったからだった。大通りに来た二人は、さわや書店でさっそく用事を済ませてしまうと、あとは興味の赴くままに街をほっつき歩いた。山頭火というラーメン屋で遅い昼飯を終え、裏通りをぶらぶらしているとパチンコ屋が二人の目に入った。

「パチンコか」

貫介がぼそっとつぶやく。それを聞いて、文生は立ち止まった。

「やったときあっけ? パチンコ」
「いんや。ない。え、あんの?」
「いや、ねえよ」

ただ、興味はあった。もしかたら収入が期待できるかもしれないのである。賭け事とは無縁、麻雀のルールもまったく知らない文生だったが、目の前にたたずむ未知の世界は気になった。

「入ってみっか」

半ば悪ノリで出た言葉だった。
「お。行ってみる?」

予想に反して、貫介はニカッと白い歯を見せる。

「やっちゃう? え、やっちゃう?」

ものは試しだ。

「よし、行ぐばい!」

二人は勢いよく自動ドアをくぐり抜けた。

ひどくうるさい空間が二人を迎え入れた。県大の周辺では滅多に聞くことのない騒音のなかに、点々と席に着いた男性客が黙々と台に向き合っている。

「とりあえず……五百円から始めてみっか」

いきなり数千円をつぎ込む勇気は文生になかった。

「え、何だって?!」

それぞれの台から飛び出してくる音声、パチンコ玉のジャラジャラ音、店内を流れるBGM、ほとんど聞き取れない店内アナウンス。けたたましさが充満していた。

「ゴヒャクエン!」

文生は仕方なく声を張り上げた。

「ああ。そんくらいからやってみっか」

貫介も同じくらいビビっている。文生は少しほっとした。

玉はあっという間になくなった。

「これこのあとどうすりゃいいんだ?」
「なんかよぐわがんねえな」

貫介が苦笑した。

「もういいや」
「だな。出っぺ出っぺ」

わずか五分の滞在だった。店員にルールを尋ねるという発想もなく、二人は大人の階段を一段目で諦めた。

次に二人が訪れたのはアパレルである。これも普段、文生がひとりで来ることは絶対にないおしゃれなガラス張りの店舗だった。
 
高校と違い、毎日私服で通うことになった文生は日々の服装に困っていた。すぐそこまで来ている夏に備え、少なくとも平日五日分の半袖を揃える必要があった。貫介は付き添いである。いくつかの服を文生に勧めた貫介だが、文生はどれも気に入らなかった。
 
「こういう攻めたデザインのもいいんじゃねえの? 印象変わるよ」
「いやぁ、かっこいいけど、今の俺には早えよ」
「じゃいつ着んだよ~」
 
要するに、おしゃれをするのが恥ずかしいのである。ワックスでガチガチに前髪を立たせた貫介と違い、文生はいまだに整髪料というものを使ったことがなく、髪全体がぺたんとしている。ダサいのは嫌だが、自分はおしゃれをしてはいけない人間だ――そう思っている節があった。
 
結局、文生は何も買わずに店を出た。帰りに寄った駅ビルの中にある格安のチェーン店で、同じ型のTシャツを柄違いで五着買った。

「ありゃりゃ。ま、自分がいいんならいいんじゃねえの」

頑固な文生に苦笑しながらも、いつもどおりのスタンスの貫介だった。


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