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小説 開運三浪生活 29/88「村から村へ」

県大の入学式翌日の景色を、文生は忘れられない。四月にしては肌寒く厚い雲に覆われていたその日、公共政策学部の大講義室で新入生オリエンテーションがあった。窓側の席から何気なく視線を外に向けた文生は、目を疑った。

「マジかよ、雪降ってる!」

後ろの席から驚嘆とも歓声ともつかぬ声があがった。おそらくは文生と同じように県外からの入学者だったのだろう。外は季節外れの雪が舞っていた。

――すげえとこに来ちゃったな。

同じ東北でもこんなに気候が違うものかと、文生はただただ驚いた。東北の南端にある文生の故郷も冬の寒さはそれなりに厳しかったが、雪が降るのはせいぜい二月までだった。入学早々、文生は雪国の洗礼を浴びた。

県大のある滝沢村は、盛岡市のベッドタウンである。村とはいえこの時すでに人口五万人を擁し後年滝沢市になるのだが、文生が暮らすことになった滝沢駅から県大にかけてのエリアは数軒のコンビニと小さな食料品店のほかスーパーらしいスーパーもなく、学生街の風情もなく、静かな農村地帯に造られた新興の住宅街といった佇まいだった。

――大学生になっても、村か。

受験で初めて滝沢村を訪れた時、文生はあまりののどかさに不安を覚えた。合格後に契約したアパートは県大まで徒歩十分ちょっとの間取りは1K、畳五畳分に相当するフローリングで風呂トイレ別の家賃三万円。浴槽は胎児よろしく膝をかがめてやっと浸かれる小さな正方形で、トイレはペダルを踏むと便器の底がパカッと開いて汚物を飲み込み、そのつど底に水が溜まる簡易水洗タイプだった。汲み取りのバキュームカーが週に一度来ていた。洗濯機を置くスペースは室内になく、ベランダもなく、前の住人が残したやけに奥行きと横幅が長い大きな引き出しとシングルベッドがすでに部屋の半分近くを陣取り、ガラス窓は二重になっていた。

合格通知が届いた三月下旬にすぐさま父親と現地に出向き新居を探した文生だが、その時点で空き物件はわずかしかなかった。滝沢駅周辺にはそもそもアパート自体が少ないこと、ひと駅南の厨川駅周辺を住まいとする学生が多いことは、あとで知った。

滑り止めのつもりで入った大学だったが(実態は「滑り込み」合格だった)、入学式に臨んだ文生はそれなりにたかぶっていた。かつて仙台の有名大学でもトップを務めた学長が訓辞を垂れるのを眺めながら、現金にも(意外といい大学じゃねえか)と思った。まだ自分たちで二期生という新鮮味もあった。四つの学部が小ぢんまりとまとまったキャンパスだったが、できたての無垢さも魅力だった。

入学式の緊張に包まれながら、新しい世界に踏み出したからには自分からコミュニケーションを図っていかなければと文生は思った。自意識過剰の彼にしては珍しいことだった。一時的な「入学ハイ」に過ぎなかったのだが。

「どこ出身ですか?」

左隣の男子学生に、文生は交流を試みた。痩身にレンズの小さな眼鏡をかけた切れ者そうな容姿だったが、どこか朴訥しておとなしめな風貌に、自分に近いものを感じた。

「岩手の〇〇町です」

眼鏡氏は県南部のある町の名を挙げた。文生が知らない地名だった。

「俺は、福島県から来ました。田崎文生、って言います」

文生が名乗ると、向こうは少し眉を上げた。

「タサキ? 田んぼに川崎とか宮崎の崎ですか?」
「そ……そう」

インテリそうな表情が少しやわらいだ。

「俺も田崎です。田崎貫介。よろしく」

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