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12歳の私へ

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2021年2月の記事一覧

これまでのしんどさと「養生」。(2021年2月28日(日))

これまでのしんどさと「養生」。(2021年2月28日(日))

今朝は晴れて、昨日まで降った雪の踏み固められた部分がつるつるに凍って、ドキドキしながら歩いて喫茶店に着きました。

最近の私がつくづく、「寝る」「休む」が大事だなと思うのは、これまで何十年もの長きにわたって当たり前のように、無理を無理とも思わずに重ねてきてしまったからですし、そもそも「養生」という概念が自分の頭の中になかったからだと思います。

2019年に「養生」という言葉に出会えたことは、本当

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アートの価値。(2021年2月27日(土))

アートの価値。(2021年2月27日(土))

今朝は「三國万里子さんの黒猫ティーコージー」の猫ちゃん部分の編み直しに少し苦闘し、いつもの温泉に行きそびれつつも喫茶店には出てくることができて、やっぱり疲れているのだな、明日は休日だけれど出勤命令があるかもしれない日だし、今日はとにかく休もうと、コーヒーを飲みながらぼんやりと思っています。

「誰かのために何かができないと生きていけない」という長年の謎の焦りから解放され、「俺のためにお前がなんとか

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ごきげんを織りなす。(2021年2月26日(金))

ごきげんを織りなす。(2021年2月26日(金))

今朝も雪が降り、2月も終わりだというのにまだまだ外は真っ白で、私は今朝も喫茶店の窓から、その美しさをうっとりと、ありがたいなぁと思いながら眺めています。

誰もがみんな好き勝手なことを言う。「お前が俺のために何かをすればいい」と言う。「お前がなんとかすればいい」と言う。そんな場面に憤りや孤独を覚え、もう嫌だなぁと思うことは、何歳になっても、どんな人とのどんな場面においてもあるものだなということをつ

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私はもう、takerには巻き込まれない。(2021年2月25日(木))

私はもう、takerには巻き込まれない。(2021年2月25日(木))

「TakerじゃなくGiverであろう」とは、どうしても思うに任せぬ状況にあって、生きていくのが大変なのに、助けを求めてはならないという意味では決してないのです。そういう状況は誰にも当たり前に降り注ぐわけで、そういう時には適切なタイミングで適切な人に「助けて」と言えなければならない。それは「Taker/Giver」と全く別の(防災の)話になります。

私にとって「Taker/Giver」の話の本質

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Takerという賞味期限の切れたご縁。(2021年2月24日(水))

Takerという賞味期限の切れたご縁。(2021年2月24日(水))

二重作さんのTwitterにこのような言葉と、このような言葉があったのを拝見してから一夜明けた今朝、人に何かをした時にそれをうれしいと思う人とそうでない人がいる、その理由がわかったような気がするとともに、私にとって「taker」になっているように感じてしまう人を「giver」にしようとするアプローチは本当に間違っているなと猛省もしたのでした。

私にできることはただ「自分自身と自分が好きな人に、で

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人は休むために生きている。(2021年2月23日(火))

人は休むために生きている。(2021年2月23日(火))

先日、自分用にこのような【備忘メモ】を残していて、これをなんとかできるような「秘書システムアプリ」みたいなものが作れないかなと考えていたのですが、

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いつ誰から何を目的とする何の業務を請け負って、いつまでに誰に何をリターンしなくちゃいけないのかがわからなくなってるから、ことごとく締切に間に合わないし、手伝ってと助けを求めることもできないし、業務計画を立てることも進捗報告をすることもできない

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賞味期限切れの縁。(2021年2月22日(月))

賞味期限切れの縁。(2021年2月22日(月))

少し前に、「ご縁には賞味期限がある。でもご縁は再びつながることも、ちゃんとある」という趣旨の言葉を目にして、その言葉にとてもうれしく励まされたことを、今朝再び思い起こしています。

私は小さい頃からずっと、誰かとのつながりが切れてしまうこと、そしてその相手は私とのつながりが切れることなどなんとも思っていないことに、激しい寂しさを覚えてきた、そんなタイプの人間です。今も、これまで累々と重ねてきたそう

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うっとりと、窓の外から雪を眺める。(2021年2月21日(日))

うっとりと、窓の外から雪を眺める。(2021年2月21日(日))

遠方に住む友人のSNSには梅や桜が咲き乱れていて本当に驚くばかりなのですが、私の住む街は今朝も雪で、まだまだ春の来る気配がない、慎重に養生して生きなければという季節にとどまっています。

冬の厳しさの中で、心と身体を損なわないよう用心をして過ごすため、まだまだ編み物の力を借りなければならないなと、読書のメモの手を止めて編みかけのものを出してきて。

それにしても、雪とランプとコーヒーって、なんて美

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生きることのおもしろさ。(2021年2月20日(土))

生きることのおもしろさ。(2021年2月20日(土))

この10日ほど途絶えていた「ほぼ日手帳へのライフログ(いつ寝起きして、起きたての体重体温はどうで、日中どこにいて何をし、何を食べたかの記録)」を、断片的な記録から拾って起こしているところなのですが、

こうしてまとめてみると、寝る前の私からクリスマスプレゼント的に枕元にもらった道具と、新たに手にした道具を使って、その都度新しいことに臨んで生き抜いているのだなと、なんだかしみじみします。

一度しか

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「思うに任せないこと」について。(2021年2月19日(金))

「思うに任せないこと」について。(2021年2月19日(金))

怒りを外に出すというのは、その人がひとりではどうにもならない事態に直面し、かつ、それをなんとかするための段取りが自分にはわからない時に、とにかく目の前の「自分のためにそれをなんとかすべきであろう(と自分が思い込んでいる)立場の人」に向けてくり出されるものなのだなということを思っています。

誰か(自分自身を含む)の怒りに当てられてしまった時には、自分がそれを無理なく不快感なくその場でなんとかできる

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自分自身の「うれしい」の種を、大切に育むということ。(2021年2月18日(木))

自分自身の「うれしい」の種を、大切に育むということ。(2021年2月18日(木))

その日その日をやり過ごせれば(テキトーにスルーできれば)それでいいという真摯さのなさがどこから来るのだろうと考えて、そこには「誰かのため(あるいは自分自身のため)に何かをしたい」という思いがないのではないか(からっぽ)ということを仮説的に思っています。

これはもう、他人に「そういう思いを持て」と言われて「はい、わかりました」ということにはならない類のものなので、その人の「テキトーにスルー」が私に

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例えば文章を書くだとか、随筆を愛するだとか、そういうことなのかもしれない。(2021年2月17日(水))

例えば文章を書くだとか、随筆を愛するだとか、そういうことなのかもしれない。(2021年2月17日(水))

昔…10年くらい前でしょうか。出口治明さんの著書を読み、「管理職という仕事であれば、どこに行っても通用する」ということに希望を抱いた私は、それ以降、立場は管理職ではないのですが、「みんなが働きやすい環境を作る」べく、勉強や実践を重ねてきました。

そんな私ですが、今朝になって急に、「それって本当に私がやりたかったことなのだろうか、無理を重ねていないだろうか」と考え始めているところです。

数日前、

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自分を責めず、自分を責める人に巻き込まれずにいよう。(2021年2月16日(火))

自分を責めず、自分を責める人に巻き込まれずにいよう。(2021年2月16日(火))

昨日は、「生物の生きる目的は、自分の向けたいところに自分のエネルギーを効率的に向けることにある」ことを忘れずにいようと考えたり、「やるべきとわかっていることがなぜかできない現象は、自分を責めること(ここから派生する形で、そんな自分を正当化すべく現実逃避することを含む)から生まれる」と気づいたりしたのですが、これらのことを未来の私に引き継ごう(12歳の私との対話のネタにしよう)と、夜にメモを残して置

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とりあえず寝たらすっきりしたけれど。(2021年2月15日(月))

とりあえず寝たらすっきりしたけれど。(2021年2月15日(月))

『鬼滅の刃』で童磨というキャラクターに触れることができたお陰で「からっぽ」という人が(そのからっぽ度合いに差こそあれ)存在すること、そういう人には相手が自分のためにかけた時間というものに思いを馳せることができないのだということがわかって、ああそういうことかと思うと同時に、

この「からっぽ」の持つ無邪気さに翻弄され、その無邪気さのすぐ裏に見える自分へのリクエストにうっかり自分から申し出て応えてしま

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