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関心の向け方と、関心の受け入れ方。(2021年5月1日(土))


相手の関心がどこにあり何を見つめているのか、その関心がどのようにして生まれてきたのか。そうしたことを知ろうと下調べを尽くすからこそ、相手のことを「好き」になれる。調べ尽くし考え尽くすと、自分の頭に仮説が生まれ、その仮説を相手にぶつけてみるとまた新たな「驚き」に出会うことができる。受け身ではなく能動的に、自ら自由に生きるとは、こうした「好き」と「驚き」をよろこぶ生き方のことであり、そのことへの「感謝」を表現する生き方でのことである。

古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』は第2章まで読んだところなのですが、読んでいる私の内部では自分の生き方への猛省と軌道修正とが同時に起こっていて、古賀さんの書かれたことが自分の中で膨らんだ結果上述のことを思ったり、「ああ、私は他人が寄せてくれた関心をなぜか拒絶して、好かれる道を閉ざして生きてしまったなぁ」「それは自分がどうせおもしろいことなど何も言えないと思い込んできたからなんだろうな」「私の話のおもしろい/おもしろくないの判断は相手に任せて、私はただ材料を提供すればいいだけだ」と思ったりしたのでした。

#エッセイ #日記 #memento

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