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悲しいということ|「ということ。」第9回

心が軋んで、まるで切れ味の悪いナイフでみぞおちを突かれたような痛みが走る、悲しいという感情。悲しいのは、やっぱり苦手だ。喜怒哀楽の中で、もっとも尾をひく感情だから。悲しいの後には、口角をわずかにあげることも難しくなる。

私が今までに経験した悲しいといえば、大好きな祖母が亡くなった時、頑固でも優しかった祖父が亡くなった時、気に入りのぬいぐるみを泥の水たまりに落とした時、一生で一番愛した人と「さようなら」と言い合った時、母が病院のベッドで苦しそうな寝息をたてた時、父が酒を飲んで怒鳴った時、愛犬が老衰で旅立った時、とか。強く記憶に残っている悲しいは、だいたいこんなところだ。

悲しいの理由は、なんだろう。涙が流れるのは、どうしてだろう。あいにく、今の私では、悲しいを悲しい以上に掘り下げることはできない。

ただ、悲しいの源はきっと、愛なんだろう。そこに紛れもない愛があって、愛があるものにだけ、悲しいも絶対に付いてくる。悲しいは、愛という幸福に、まるでスナック菓子のおまけのように付いてくる、ちょっとしたものなのかもしれない。

となると、やっぱり悲しいは苦手なままだけど、それすら愛さずにはいられないのだ。

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