翻訳記事:孫継海 W杯、育成、自身の事業など

孫継海(Sun Jihai)、イングランドで長く活躍。間違いなく欧州で最も成功した中国人選手であり国内外で知名度が高い。
2016年に引退後のキャリアなどについて「时代周报」のインタビューで語っている。

元記事 https://sports.sina.com.cn/china/2022-11-28/doc-imqmmthc6317273.shtml

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 2022年11月21日、カタールW杯開幕戦のゲスト出演を終えた孫継海(Sun Jihai)に電話取材を実施した。かつて2002年日韓W杯に出場した経験から、このサッカー界最高峰のイベントを語る。

  北京時間11月23日,日本は堂安律と浅野拓磨の得点で元世界王者ドイツを2-1で破った。
 孫「アジア勢の全体的レベルはそれほどでもなく、特に南米や欧州と比較すると差は広まっている。その中でも日韓は競争力があり差は小さいが、組合せを見てもグループリーグ突破の難易度は小さくない」

 多くのファンの中で、元代表の孫は中国サッカー界のレジェンド。マンチェスター・シティで6シーズン主力として戦い、1vs3で失点を防いだり、Cロナウドを封じ込めたり、中国人選手初の英プレミアリーグで得点、イングランドサッカーの殿堂入りなどを成し遂げた。

 1977年9月30日、孫は遼寧省大連市で生まれ、1995年甲Aリーグ(1部リーグ)の大連万達(のちの大連実徳、その後解散)でプロキャリアを開始し、リーグ優勝4度経験。1998年、范志毅(Fan Zhiyi)と共にイングランド1部(2部相当、現在FLC)のクリスタルパレスに移籍。代表では2002年W杯など数多く参戦。2002年~2008年までマンチェスター・シティに在籍し、プレミアリーグ130試合に出場。(注:その後朴智星らに更新されるまでアジア人として最多出場記録だった)

 今日、既に引退して暫くたつが孫は愛するサッカーから離れていない。2016年2月にサッカー関連の起業を立ち上げ、解説や、青少年育成など、様々な形でサッカーと関わっている。孫にとって、今回W杯は中国は参戦しないとはいえ、多くの注目ポイントがある。インタビューの中で孫は、中国が再度W杯本大会出場するには、青少年育成が最も重要と語った。

  ・3つの観点

  11月21日、孫はW杯解説者としてデビュー。一度は100万人以上が接続し、番組フォロワー数は144万を超えた。今回W杯について、孫はベテランたちの最後の戦いに注目している。 世界のサッカーはメッシ・Cロナウドの2大スターが10年余争い、幸せな時代である一方で、彼ら2人以外の選手は隠れてしまった。メッシ・ロナウド(注:中国語だと「梅羅」)は今回W杯が最後のW杯で、1つの時代の終わりを意味する。梅羅の後は誰がサッカー界を担うのだろう。

孫「彼らの地位は世襲ではないし、梅羅に特定のタスクがあるわけでもなく、誰かが引継がねばならない訳でもない。しかしメディアやファンが彼らの後を探すのも自然の摂理だ」と孫は語る。

 孫「梅羅含め、本大会は4人の選手が5度目のW杯参加で(注:他にメキシコのオチョア、グアルダード)、彼らに6度目がある可能性はとても低い」
 他にもクロアチアのモドリッチ(注:中国語では魔笛の愛称がある)、ウルグアイのスアレス(注:彼の愛称は蘇牙、音と噛みつきをかけて)はカバーニ、ヌニェスと戦う、2021年世界最優秀選手のレバンドフスキも、こうしたベテランたちに夢を叶えて欲しいと孫は語る。  

もう一つの観点は優勝争い。孫は「優勝国は必ず歴史ある強豪国で、優勝経験ある国。例えばドイツ、フランス、スペイン、アルゼンチン、ブラジルである可能性が高い」と語る。

 もう一つの注目点は、今大会で初めて導入される半自動オフサイド認識技術(SAOT)必ずや勝負を左右することになるだろう。
孫「SAOTで試合の進みは早くなるだろうし、誤審も減るだろう」と指摘


 ・この20年間

 孫は2002年を回想。
「エキサイティングだった、W杯は全てのサッカーに関わる人間の夢だ。メッシのようなスターでも2014年W杯決勝で敗れた後、渇望の目でトロフィーを見つめていたのだ。私は怪我で早くにピッチを去ったが、W杯の環境、雰囲気などは未曽有の経験だった」
(注:2002年W杯、孫は第1戦コスタリカ戦前半で相手のラフプレイを受けて26分で負傷交代。残り試合も出場できなかった)

 2002年W杯後、中国サッカーは02年~10年までの発展段階と、11年~21年の起伏の十年を経験した。2002年W杯と前後して多くの代表選手が欧州移籍、孫継海、李偉鋒(02年エバートンへ)、馬明宇(00年ペルージャへ)、邵佳一(03年1860ミュンヘンㇸ)などが欧州へ渡った。

 2002年冬の移籍シーズンで、孫は1998年のクリスタルパレス移籍に続いて再度欧州移籍の希望が芽生えた。02年02月26日,200万ポンドで当時1部(2部相当)のマンチェスター・シティに加入し2度目の欧州移籍。そのシーズン、クラブは1部優勝しプレミアリーグ復帰を決めた。

  2002/2003シーズンのバーミンガム戦、孫はPA内でヘディングを決め、中国人選手として初めてプレミアリーグで得点。英国メディアやファンは孫に:“China Sun”(中国の太陽)の称号を与えた。海外リーグでの鍛錬で孫らは実力と経験を積み、中国の成績も上がっていった。

 2004年アジアカップで開催国中国は当時アジアで準1流の力があり、孫ら海外組の力もあり準優勝。2005年U20ワールドユースでは、ドイツ人監督Eckhard Krautzun率いる中国U20はトルコ、ウクライナ、パナマを連覇。ドイツに敗れベスト8(注:実際はベスト16なので誤記か)終わったが、郜林(GaoLin)陳涛(ChenTao)趙旭日(ZhaoXuri)らは“超白金一代(プラチナ世代)”と呼ばれた。

 しかしその後各クラブが成績重視のため大型補強に走り、育成面を軽視するようになり、人材の断層化が始まった。
 2011年、許家印(XuJiayin)が広州恒大(現広州FC)に参入し、多くの不動産関連業者が中超リーグに投資を始めた。例えば恒大は多くの強力外国人を補強し、リーグ戦8回、ACL2回のトロフィーを勝ち取った。恒大の成功に他のクラブも習い、選手を買いあさった。下位クラブですら毎年数億人民元以上(注:日本円で数十億円単位)を投入、大半が給与や移籍金だった。外国人選手を盲目的に買い漁ることで、クラブは育成や下部組織を軽視するようになっていた。

  孫「全世界のスポーツは高投入高生産が原則、相応のものを生み出さねば発展しない。確かに優れた選手や監督に投資し、社会全体のサッカーへの注目も上がった。ただ高投入だけで生産が無ければ持続できない。各クラブの経営者が功や利に急ぎ、代表が苦しむことになった。」
2002年以降のW杯、中国代表はアジア予選で敗退続けた。カタールW杯最終予選では1勝3分6敗でB組5位だった。

・他国の育成を真似する必要はない

 孫「中国代表が最終予選で敗退したのは実力不足が原因であり、その基礎には育成がある」
 育成の重要性を語る上で孫は「高層ビルを建てる際、前50階を飛ばして51階から建てられば早いが、基礎が不安定ならばいずれ崩壊してしまう。これが私が育成に取り組む理由の一つだ。基礎をしっかりすることで中国サッカーは成長できる。」
 中国サッカーの現状を変え、中国サッカーへの夢を実現するため、孫は育成の道を選んだ。「中国サッカーを変えたい、希望を抱いてなければこんな基礎的なことはしない。生活するためならもっと稼げる仕事をするよ」

 2016年12月11日、39歳の孫は北京人和(注:その後解散)で現役を引退、21年のプロキャリアを終えた。引退後育成の仕事に携わっているが、孫は育成は非営利の仕事だから、別で事業を行い補う必要があると述べた。
 孫「育成の資金が必要だ、チームや子供の数が増えるほど金もかかる。支援する企業がなく、現役時代の稼ぎだけでやったら1.2年も持たない。」

 そして2016年2月、孫は「嗨球科技(Beijing Haiqiu Technology Co., Ltd.)」を設立、起業資金は孫と奉余莽(Feng Yumang)が出し、孫が大株主&董事長(注:取締役会長に該当)、後者がCEOで実運営を担う。同年3月から孫はプロジェクトチームを作り、企画を開始。会社設立後、まず自らの媒体で番組《我是海叔(注:私は海おじさん=孫自身の愛称)》を開設、孫の知名度を以て同社の主要商品であるアプリ「秒嗨APP」の注目度を上げた。

 孫「嗨球科技の存在意義は、別の方面から私の夢を実現したかった。」嗨球科技の資金サポートで、孫の育成事業も拡大していった。

 2019年3月末、孫は新疆ウイグル自治区のサッカー協会副主席に就任。新疆各地のユースチームを手掛け、2022年孫のチームが率いる新疆U19チームは、陝西省で行われた全運会(注:中国版国体、各省ごとのチームで争う)で準優勝。これは新疆歴代最高成績だった。

 2022年2月、貴州省遵義市(Zunyi)は嗨球科技と学校サッカーについて協業を開始。かつ孫は遵義の学校サッカー育成総監&遵義サッカー学校の名誉校長に。嗨球科技のサテライトチームとコーチ陣も遵義に根を下ろした。

 孫「目下、育成事業は経済面でも、人材面でもまだ何も収穫を得られていない。なぜならこれは長い道のりなので、気持ちと決心を以てやらねばならない。困難であり、頻繁に自分の考えを環境が受け入れてくれない。」
 だが一方で孫は、育成は充実感と達成感があり、子供たちの日々の成長を見ると、全ての困難が値するものだったと感じる。

 日本、ベトナムなどアジアの隣国が育成で多くの成果をあげたが、孫は中国が参考にできる面はあまりないと語る。
 孫「如何なる国も、各々がユニークだ。例えば日本とベトナムの面積、人口、位置、風土、民族性、全て違う。中国と似た部分もあまりない。日本のプロリーグは歴史も長くないし、ベトナムはまだ中国に及ばない部分もある。我々は自らを総括し、目標を設定し、それに向けて歩めば良い」

 育成事業以外に、嗨球科技の董事長として孫は創業者の一面もある。孫はサッカー選手から創業者になって最大の違いは、コントロールできないことが多いと感じる。選手として長くやったので慣れているが、企業は自分だけでなくチームを率いねばならず、多方面に挑戦せねばならず複雑だ。かつパフォーマンス良くても勝てるとは限らない。正直私は経営者として特別な能力がある訳じゃないが、経営と夢を叶える中で見分ける力がある。経営は私の夢ではないが、だから適したパートナーを探さないといけない」

 目下、嗨球科技はスポーツ関連ビッグデータ、育成、関連コンテンツの3本柱。設計・企画セットでスポーツ産業を運営し、ビッグデータを以て総合的データプラットフォームを提供する。これらは孫のパートナーが主に携わっているが、育成事業だけはだ孫が直々に管轄。「まあでも育成はずっとコスト部門で、この点はパートナーに申し訳ないね」
「新疆から遵義まで、育成初めて3.4年たった。毎年他の事業の利益で育成を穴埋めしている。私もパートナーに、これで意味あるのか?続けられるのか?と尋ねる」
 実際、孫のパートナーである奉余莽はサッカー業界の専門家ではないが、孫の前述の問いに対する答えは意外で、かつ孫のモチベーションを高めた。奉は「我々はサッカーで結びつき、共にサッカー特に中国サッカーへの愛と夢を抱いている、他の経営のことは心配しなくていい」と答えた。
 孫「この過程で、私自身揺らいだこともあったが、パートナーが私に自信をくれた」。
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 中国唯一のW杯出場からはや20年、当時のメンバーは全員が現役引退そ
それぞれの道を歩んでいるが、大半は指導者としてサッカー界に残る。
多くの選手がコーチ、監督、クラブ経営層といった高給の職にありつくなか、先行投資の育成に注力する孫は珍しい存在。
 とはいえ現役時代散々稼いだであろう孫ですら、資金面の困難を述べている。金も時間もかかる事業に、個人の力だけでは限界がある。育成の軸たるプロクラブすら親会社の意向で簡単に解散してしまう。 育成は勿論大事だが、それを支える安定したリーグ・クラブ運営の確立が必須だなと


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