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ナメクジサラダ事件

 最近、サラダにカエルが混入する事件(?)が相次いでいるらしい。このニュースを受けて思い出したことが一つある。

 私が新社会人として働きはじめていくばくも経たない頃、当時所属していたチームの先輩が、オフィスで突然、「もうやってられませんよ」と吐き捨てた。

 その先輩は名前を大谷と言う。当時若干28歳という年齢にも関わらず、界隈のヌシのような雰囲気を漂わせ、随一仕事が出来ると評判であった。

 エンジニアとしてそこそこキャリアを積んだ今の私から見ても、彼は能力が高く、自分に厳しく、一度こうと決めたことはやり抜く根性も持ち合わせている素晴らしいビジネスパーソンだったと思う。

 ただし後輩(新卒ペーペーの私)には厳しかった。「男の後輩に対するよりは優しくしている」とは本人談だが、良く言って昭和のクソオヤジのような教育方針の人で、決して褒めず、ミスに厳しく、ちょっとの甘えも許さない。

 一つ覚えているのは、書類のミスを指摘された時の会話である。「なんでミスしたの」と言われたので、「言い訳になりますが――」と話し始めたところ、「あっそう。言い訳ならやめよう」とスッパリ言われて話が終わったことがある。周りもシンとしていた。ああ、コミュニケーションとは何だろうか。

 ただ、そういう態度を私に取る手前、私に対するよりもずっとずっと、自分に厳しい人だった。だから何があっても、彼を尊敬していた。

 話を戻して、その時、大谷先輩はベンダーの仕事の投げやりさにキレていた。

 当時、とある大規模ネットワーク網の保守をやっていたのだが、故障した部品の代替品を手配したところ、どれもこれもぶっ壊れているのである。なんでも3.11の際、揺れで倉庫にあった品が落ちたりぶつかったりして壊れたものらしい。それを検品せず送り付けてくるのである。これだから海外のベンダーは……。

「まあまあ」
 と、すかさず上司が宥めにかかる。
「気分転換にお昼行こうよ。焼肉、どう?」

焼肉定食

 常駐していた会社の近所に、ランチ営業をしている焼肉店があった。

 『焼肉』という週末限定のご褒美を、平日の真昼に、八百円程度で提供してくれるのだ。なんという特別感の漂う素敵なランチだろう。その店は、腹ペコ企業戦士の憩いの場となっていた。

 その至極の焼き肉店に誘われて、大谷先輩は「……そうしましょうか」と矛を収める。彼は基本的に上下関係を重視するので、上司の誘いは断らないのである。

 上司は辺りを見回して、明るく言った。
「もう、皆で行こうよ。YeKuイェクさんもどう?」
「あっ、じゃあご一緒します」
 大谷先輩は空気を読めよという感じで私をちらりと見たが、ふっと逸らす。

 まあ本当は来て欲しくなかったのだろうが、先輩社員とランチに行くのは、社会通念上良いことであるので見逃されたのだろう。

 それで昼休みになるや否や、5,6人でぞろぞろと連れ立って焼肉店まで歩いて行った。
 店内に入るとやや混雑しており、テーブルを分けて座ることになる。私は大谷先輩とは別の席に着くことになったのでホッとした。
 全員で焼肉定食を頼むと、店員さんはあわただしく注文を取って去っていく。

 私は同席した別の先輩社員と適当にしゃべりながら、ぐうぐう鳴るお腹を抱え、まだかなまだかなと焼肉定食を待った。
 やがて付け合わせのサラダが運ばれてくる。当時あまり野菜が好きでなかった私は、食べるともなしにフォークでサラダをつついた。

サラダ

 その時、突然、「ギャア」という悲鳴が響き渡る。

 なんだなんだ、と声の上がったテーブルを見ると、大谷先輩が、腐った雑巾を顔に押し当てられたようなものすごいしかめっ面でサラダの皿を押しやっていた。

「ちょっと、ちょっと」
 大谷先輩が店員さんを呼ぶ。

 せわしなくやってきた女性の店員さんに向けてサラダの皿を突き出し、
「ナメクジ入ってるんですけど」
 と告げた。
 店員さんがサラダの皿を覗き込み、「あら、いやだ」とコメントする。
 それからサラダの皿を持って引っ込んでいった。

 会話が聞こえないくらい店員さんが離れたところで、大谷先輩が毒づいた。
「あら、いやだじゃないし! 謝れよ」
 いまや、もともと悪かった大谷先輩の機嫌はさらに急降下していた。持ち金を全て馬券でㇲってしまった人のような不景気ヅラで、苛々と貧乏ゆすりをしている。

 私は。
 私はその様子を見て、もはやこらえきれなかった。

 大谷先輩から見えないように明後日の方向を向いて、「ふふふ、あはははは!」と地団太を踏みながら笑い声を漏らす。同席していた他の先輩は、私の様子にドン引きしていた。

 いや、気分転換に焼肉屋に来て、ナメクジ入りのサラダを出されて、店員さんにも妙な応対をされるなんて、厄日ここに極まれりである。いつも厳しく接してくる先輩だからこそ面白くてしょうがない。じゃっかんいい気味だとも思う。

 私は目元ににじんだ涙をぬぐい、こっそりと言った。
「いやあ、食べる前で良かったですねえ、ナメクジ。まあ野菜も新鮮ですからね。それにしてもナメクジ入りのサラダ出されるなんて……あはははは!」
 また笑いの発作に飲み込まれる。

 大谷先輩は普段スキもないし、いじられると怒る人なので面と向かってはいじれない。こういう機会は逃さず笑っていきたい

 結局、大谷先輩はせっかくの焼肉定食を不機嫌な顔で食し、店を出ることになった。帰りしなにもまだ怒っていて、「あの店員の態度はないだろ」とブツブツ言っては他の社員に宥められていた。

 私はその模様を後ろで見ながら、大谷先輩の機嫌と反比例するがごとく、ああ面白いランチだったなと機嫌を良くするのであった。

 とはいえこの時は笑い話で済んだが、本当にナメクジやカエルなどを気づかず食べてしまうと、寄生虫や病原菌感染の心配がある。

 5月~6月の梅雨にかけては、カエルの活動が活発な時期であるため、完全な混入を防ぐのは難しいらしい。消費者としては食べる時に何か入っていないか十々確かめるぐらいしかできないだろうが、これを読んでいる方も、食事の際にはお気をつけいただけると良いと思う。


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