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自殺を望む人を止めるべきか

かつての私は、死を選ぶことはその人の尊厳に関わる選択だと考えていました。たとえば三島由紀夫のように、揺るぎない信念のもと自らの命を絶つことは、ある種尊重すべき行為であるとさえ思っていました。

しかし、年月を重ねるにつれて、その考えは変わりました。

私自身、不登校を経て引きこもり、双極性障害という病と向き合いながら、うつの淵を覗いた経験があります。その経験から言えるのは、自殺を考える人の中には、三島のような確固たる信念を持つ者はほとんどいないということです。

多くは病によってめちゃくちゃになった脳内物質の影響、追い詰められた状況、望まないのに体が勝手に動いてしまうような精神的な迷走の中にいます。

私たちの精神には、石のように確固とした何かがある訳ではありません。むしろ、環境によって大きく左右されることを実感しています。

それは流動的で、自分自身が何者なのか、その実体があるのかさえ疑問に思います。それはまるで、変わりゆく水面の波紋のようなもの。自分なんてものは存在しない。自分が一体何者なのか、その答えは常に変わり続けるのです。

もし私たちが、自殺しようとしている人を幸せな環境に置くことができ、それでも彼らが自死を選ぶなら、それは彼らの真の意志と言えるかもしれません。

しかし、現実はそう甘くありません。多くの場合、そのような環境を整える前に、彼らはもう手遅れになってしまいます。

なぜなら、環境が人の精神に与える影響は計り知れないからです。私たちが日々感じること、経験することが、私たちの心を形作っていくのです。そして、その心が一時的に病んでしまい、正常な判断ができなくなっている人を前にしたならば、私たちはその人の手を引くべきです。

それは、その人が未来に自殺を望まないかもしれないという可能性を信じるためでもあります。

そして、それは私たち自身のためでもあるのです。私自身、かつて絶望の淵に立ち、今こうして生きていることからも、私は確信しています。誰かの命が尽きる前に、その手を取り、可能な限りの支援をする。それが私たちにできる、最も人間らしい行動だと信じています。

最後に、この記事を読んでくださったあなたが、もしも暗い思いに囚われているなら、一匹の猫のように、あなたのそばに寄り添いたいと思います。私たちは皆、この広い世界でつながっているのですから。


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