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もしも一つだけ記憶を消せるなら

※主に母についての暗い独白です。気分が悪くなりそうな方は戻られた方が良いかと思います。


先日ゲーム(Baldur's Gate 3)に熱狂していたところ、終盤で闇の鏡というものが登場した。記憶を失う代わりに力をくれるオブジェクトである。

それを見て、ふと考えこんでしまった。

もしも自分だったら、どの記憶を差し出すだろうか?

プロフィールなどに書いているが、元不登校で、引きこもり、パワハラやセクハラを経験しつつ、双極性障害を発症した私は、当然それ相応の苦痛に満ちた記憶を持っている。

多くは子供時代から若い頃にかけて起きたことで、最近は比較的穏やかに生きている。それでも、私には今をもって自分を苦しめる記憶が幾つかある。

中でも、私が最近本当に苦しめられているのは、やはりのことだった。

以前私と母との複雑な関係については記事を書いたものの、正直、あそこに書ききれないぐらいたくさんのことが私と母の間には起きた。

すれ違い、当てこすり、憎しみ、無関心、拒絶。

断絶。
今私と彼女の間にあるのはそれだった。

彼女は高齢で、一人暮らしをさせて連絡も取らないのが法的に問題があることは理解しているが、彼女と一緒に暮らすことを考えるとゾッとして、身震いしてしまう。

それでもふとした時に、イライラしながら母のことを思い出すのである。

母の醜く衰えた顔。

「家族でしょ?」と言われた時に感じた怒り。私がお前を家族だと思っているといつ言った?

何年も前に起きたことを、突然詰られる悲しみと苛立ち。

私の年収をしつこく聞いて、少ないと言われた時の悔しさ、屈辱。

誰か、彼女から私を守って欲しい。なんで私の母親はこの人なのだろう。

子どもの頃、私はそう思って生きていた。

大人になっても、淡々と受け流しながら、そう思わせた彼女を決して許さないと腹の奥底が煮えたぎっている。いつも。どれだけ理性的に考えて許そうとしても、私のどこかが悲鳴を上げている。

彼女を信頼することはできず、心を開くことはできず、表面を撫でるような付き合いしか決してできなかった。

にも関わらず、彼女が親らしい心の発露で何か私に差し出す時、それが自分によって都合が良ければ私は受け取って来た。私は差し出されたら、遠慮はしないことにしている。

そう嘯きながら、受け取る自分のことを私はあまり好きではない。母から何か受け取ると、自分が汚れたような気分になるのだ。

彼女が何を差し出そうと、私が最も欲しているものを彼女は与えられない。彼女は間違ってしまった。私を産もうと思った時点で。

そう、何よりも、私は彼女に、私を産まないで欲しかったのだ。
産まないで欲しかった。

私は誰とも関わり合いになりたくなかった。誰かを評価することも、評価されることからも逃れたかった。完ぺきではない自分に、自分すら満足できない。究極、永遠に傍観者でいたかった。

そして、子どもの頃、母は私にとって理不尽な人外の生き物であった。

筋の通らない、意味の分からないことを強要し、突然怒り出し、口で勝てなければ暴力に訴える。それなのに甘いこともある。一貫性の無い態度は私から母に対する信頼を奪った。

彼女から離れたかった。離れたかった。ずっと誰かに頭を押さえつけられているようで、それは、辛くて、怖くて、ひたすら自分が可哀そうで、母が憎くて、母の子供である自分が憎くて、ここから抜け出せない子どもである自分を受け入れてくれる社会が無いことを憎んだ。母の人格や人生そのものを軽蔑した。そして自分の世界から母を締め出した。

母の元にいる間、私はいつになったら自由になれるんだろうとずっと考えていた。自由になりたい。母におびえたり、母に対する憎しみが爆発しそうな頭をつぶしてしまいたい。

引きこもって、自分の人生がその後どうなるかなんて、ほぼ空虚に考えていた。一応プランはあったが、確固としたものではない。

未来は、ひたすら、ひたすら明るく感じられた。ある意味でどうでも良かった。どうにでもなると思っていた。今の自分を救う方が重要だった。

その苦しみが終わったのは、16歳の頃、一人で母が簡単には来られないような遠方に引っ越してからだった。色々経緯があってそうなったのだが、それは本当に私を楽にした。

一人でアパートの床に寝転がり、天井の染みを見つめて大きく胸を膨らませる。ゆっくりと、初めて息を吐くようにした。

自由だ。そして、安全だ。ついに、自由になれたんだ。

その幸福感は私の心を本当にあたためた。それから、私は勉強して高卒認定を取り、アルバイトをしたり専門学校に通ったり、就職して……と社会復帰への道を歩むことが出来た。

私はそうした進路のすべてを母には相談せず自分の考えで決めた。母には事後報告のみである。人生の重大な決定について、私は全て自分一人で決めて、歩んできた。ずっと。

その行き着く先が今だとして、後悔はしていない、と思う。

でも今、母のこれらの記憶が折に触れて私を苦しめる今、もし叶うなら、私は母の記憶を全て捨てたい

もちろん、母についての良い記憶、小さい頃の記憶もあるのだが、それもいいから一緒に捨ててしまいたい。母の記憶は私の根っこの辺りにおぞましく鎮座し、時折激しく身をよじって悲鳴を上げている。

それを思い出すこと自体が苦痛で、思い出したと認識することも苦痛で、もう自分に母親がいたという記憶ごと根こそぎ消してしまいたい。

代わりに植え付けられる記憶が、キャベツ畑でもコウノトリでも桃でも竹でも、もうなんでもいい。

生まれた記憶、育てられた記憶、大人になってからの記憶、全て。

消したい。

ああ、母が羨ましい。

彼女は闇の鏡が無くても、もうすぐ認知症で私のことも分からなくなるだろう。私がそうなるのは何十年か後だ。そうなっても最も古い記憶である、親のことを忘れられるかどうかは分からない。

だから結局は耐え続けるか、認知行動療法を地道に続けるしかない。

闇の鏡が本当にあったら良かったのに。

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