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ウクライナ出身モデルが「ミス日本」に輝くのは良いきっかけか

ウクライナ生まれのモデルが「ミス日本」に選ばれたというニュースが大きな波紋を呼んでいる。

この選出が物議を醸す背景には、日本人のアイデンティティに関する深い問いが潜んでいると思う。

私個人の考える「日本人とは何か」の基準は、「国籍が日本であり、日本社会にコミットメントしていること」である。日本社会にコミットしているというのは、ある程度の年数社会参加しているということを示す。

件のウクライナ生まれのモデル椎野さんは、5歳の頃から日本で育っている。日本の食べ物を食べ、学校に通い、社会を生きて来られたのだろう。物心ついた頃からずっと日本で生活しているのだから、私の基準では彼女は完全に日本人だ

だから彼女が「日本の美を象徴する」ミスコンに日本人として参加したとしても、何の問題もないと感じる。

ただし「日本で圧倒的多数であるモンゴロイドではなく、明らかなコーカソイドが日本の美を象徴するとされたこと」でねじれが生じている。

これが茶道大会や将棋大会であればこんなに物議を醸さなかっただろう。

多くの国民は、「ミス日本」という名称から、伝統的な日本人の容姿を想像する。そのため、異なる人種の特徴を持つモデルがこの称号を得ることに、違和感を抱く心理も理解できる側面がある。

しかし、アメリカのような多民族国家であればこのような違和感は生じないだろう。この事実は、日本人がいかに民族的な均質性を持ち、無意識のうちに他者を「日本人」か「外国人」か短絡的に容姿で分類してしまう差別を行ってきたかということを示していると思う。

日本で生活する様々な人種の中で、モンゴロイド以外の人々は、かつてのように鬼や天狗と罵倒されることはないだろう。しかし何年日本で暮らそうと日本国籍を持っていようと、彼ら彼女は生涯にわたって「外人」と遠巻きにされるのだ。

このような扱いが、場合によっては本人にとって有利に働くこともあるだろうが、疎外感を始めとした多くの苦痛を伴うことは想像に難くない。

日本が今後、移民を受け入れ多民族国家へと変わるか、単一民族国家としての性格を維持するかは、正直どちららでも良い。

ただ自戒を込めて言いたいが、外見だけで全てを判断し他者を傷つける行為は愚かだと恥じ入るべきだ。

外見だけで「外人」扱いする人々に悪意はないかもしれないが、悪意がなければ許されるというなら社会にセクハラもパワハラもない

今回のミスコンテストにおける一件は、容姿ではなく、精神性や社会への貢献を重視する方向への転換点となる可能性がある。少なくとも考え直すきっかけにはなったのではないか。

物議を醸しているこのコンテストの結果を、社会が多様性を受け入れる良いきっかけと捉え直すことができれば良いと思う。


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