見出し画像

寛永2年(1625年)4月27日は毛利輝元の命日です。

寛永2年(1625年)4月27日は毛利輝元の命日です。
あの毛利元就の孫であり、戦国最大の決戦・関ヶ原の戦いでは西軍の総大将でもあった。
負け戦の大将なのに、敗戦後も家の存続を許されています。西国の巨魁毛利氏は家康も恐れていた。#鎌倉殿の13人 の大江弘元が祖で分家が関東の毛利庄を領し姓とした。謀略王元就の力で12か国の太守になるが、世に言う家を潰す凡庸三代目輝元により2か国、しかも上杉景勝の様に戦って負けたのでなく、何もせず家中を統率できずの厳罰は、戦国1の愚将でしょう。何故家は存続されたのか?それは元就が手塩にかけて育てた家臣が優秀だったからです。徳川家中に働きかけ、当初廃絶の意向だった毛利は生き残ったのです。家康をして「頼りにするは親族に非ず、忠義の家臣」 #光る君へ #大河ドラマ

​​​​​​​

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?