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【斎藤妙純討死】1496年12月07日

【斎藤妙純討死】1496年12月07日
美濃守護代・斎藤妙純と利親父子が近江の六角高頼を攻めるが、馬借を中心とする土一揆に襲われ妙純は討死。京の公家大納言と言う高位だったが美濃に下向し、守護代になり戦国大名化した。その他土佐の西園寺、飛騨の姉小路なども居て、京の荒廃が酷かった事が原因だろう。しかしこの戦いで討ち死にし断絶、その後美濃のマムシ斉藤道三に乗っ取られる #どうする家康 #大河ドラマ

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