天気の子・ネヴァーダイズ 〜不滅の新海誠ソウル〜

天気の子、見てきました。例によって例のごとく、ネタバレ全開の感想なので、見ていない人はブラウザバックで。

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実のところ、新海誠監督作品をちゃんと劇場で見るのはこれが初めてで、君の名は。もこないだテレビでやってたのをなんとなく横目で見てたくらいでした。ほしのこえは配信かなんかで見たんだっけ?
自分はどうしても、作品の評価が定まってしまうとそれに反骨心が湧いてしまうというか、流行りの作品は逆に見たくなくなる天邪鬼なので、天気の子は評価が定まる前に見ておきたかったんですよね。
結論を言えば、かなり面白かったです。でもそれは自分が予想したのと違った面白さでした。

最初しばらく見てた時は、ペンギンハイウェイ的な、ひと夏の不思議なお姉さんとの出会いを描く小冒険、的な話かと思ってたらどうも雲行きが怪しくなってきて、(初っ端拳銃を拾った時点で大分おかしかったけど)警察と追いかけっこをした挙句、(この警察は明らかな不当菜圧力、横暴、悪として描かれている)警察も社会も全部ぶっ飛ばして、東京が水没してしまう、という、エヴァンゲリオンか何かか?という結末を迎えることになりました。

しかし一通り見終えて反芻してみると、天気の子が何を描いた作品か、というのははっきりと作中で言っていて、寺のお爺さんが言っていたように「人柱」、社会の求める生贄の羊の話なんですよね。

常識的に考えて、陽菜が東京の水没や異常気象を引き起こしたわけがない(そもそもずっと雨が降ってたから陽菜が鳥居に向かって祈ったわけで)にも関わらず、社会がその責任を押し付けて生贄にする事で「問題が解決した」と皆に納得させて社会を保つ行為、本義的な意味でのスケープゴートが「天気の子」の正体だったわけです。
その割にはやけにピンポイントに晴れたり雪が降ったり雷が落ちたりしてるじゃねーか、って言いたくなるんですが、あれはあくまで一時的なものであり、偶然、たまたま陽菜の内面と天気が一致してしまった、という「奇跡」なんでしょう。だからナレーションで冒頭言ってたように「夢のような」出来事であり、きっとあの後陽菜が晴れ女になることは(少なくとも帆高以外の前では)無いのでしょう。

そう考えると、帆高が家出少年であり、拳銃を拾ったり、陽菜も含めて労働基準法違反であることも意味があって、社会に対する非受容、爪弾きの対象であり「生贄」である、という示唆だったんですよね。

天気の子が「社会との衝突」の話である、というのはちゃんと監督がインタビューで言っていたので、ここまでの話もそう的外れでは無いはずです。

で、最終的に「拳銃」という物理的すぎる武器によって社会と対峙した帆高は東京を水没させることと引き換えに陽菜を取り戻すわけですが、これは自分は、個人の生贄により成り立ってる日常なんてぶっ壊してしまえ、ぶっ壊れた世界でも人間はそれはそれでやって行く、というポジティブで現代的なパンクであると感じました。

社会が与えた「犯罪者」の烙印も社会自体がめちゃくちゃになって仕舞えば有耶無耶になってしまうものであり、そういう意味での常識の再定義が起こる、というのはユリ熊嵐、ペルソナ5、ニンジャスレイヤーネヴァーダイズと続くパンク作品の系譜であり、近年のトレンドだとは思うんですが、新海誠という社会的にも成功した方からこんな反社会的な主張が炸裂するのは、この人よほど社会が嫌いなんだな…と反骨スピリットをひしひしと感じました。

ていうか社会の方から歩み寄る人がいても良いだろ、と思うんですけどね。老警官がその役割なのかもしれないけど、あの人口で言ってただけだし。せめてネヴァーダイズのノボセ老くらいの体制側の協力者がいても良かったのでは?と思ってしまいます。

ってか都の職員も依頼してたんだし、その辺なんかあっても良かったよね…後で未成年働かせてたことがバレてクビになったかな…

スシッ!スシヲ、クダサイ!