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あなたの内なるキリスト意識 第一章

真の自由は、あなたの内なるキリスト意識によって達成されます。

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今回、書籍「あなたの内なるキリスト意識」第一章を、noteで無料公開させていただく事になりました。ご縁のある方にお届けできると嬉しいです。

書籍紹介:
あなたは、「キリスト意識」というものが何であるのか、意識の奥深いところで、本当は知っています。しかし、あなたの外側の意識、つまり人間的マインドにおいては、未だそれが何であるのか、実感する機会を持てていないのでしょう。すなわちあなたは未だ、キリスト意識に目覚めた状態であるとは言えません。しかし、こうしてあなたが、この地上における究極の概念である「キリスト意識」、この言葉に惹かれ、その内なる奮えに応えたという事は、今その進化の時が来たという事なのです。

「キリスト意識」という概念がなぜこの地上における究極的概念であるかというと、地球という場での人類の最終目的が、「愛の達成」であるからです。地球という場において、人類は真の愛というものを達成せねばなりません。そして真の愛は、人間が神とひとつであるという真実を知り、「人間」から「ひと(霊人)」と成り、そこから意識的に神との共同創造を行っていくことによって、達成されるものなのです。

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本書のメッセージは、「神」と「人間」との間に存在してきた幻の境界を消し去るものです。

「脱宗教時代」の混迷の中、あなたの信仰を救うのは、あなたの中に存在する神そのものです。

「心身の神癒」、「ヒマラヤ聖者の生活探究」シリーズを学んだ方にとっても、より深い意識変容をもたらすであろう作品となっています。



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あなたの内なるキリスト意識 第一章

今日、こうしてあなたの意識に語りかける事ができ、本当に嬉しく思っています。あなたは、「キリスト意識」というものが何であるのか、意識の奥深いところで、本当は知っています。しかし、あなたの外側の意識、つまり人間的マインドにおいては、未だそれが何であるのか、実感する機会を持てていないのでしょう。すなわちあなたは未だ、キリスト意識に目覚めた状態であるとは言えません。しかし、こうしてあなたが、この地上における究極の概念である「キリスト意識」、この言葉に惹かれ、その内なる奮えに応えたという事は、今その進化の時が来たという事なのです。そして「キリスト意識」は、この地上での進化の過程における究極的概念のひとつであるのです。
「キリスト意識」という概念がなぜこの地上における究極的概念であるかというと、地球という場での人類の最終目的が、「愛の達成」であるからです。地球という場において、人類は真の愛というものを達成せねばなりません。そして真の愛は、人間が神とひとつであるという真実を知り、「人間」から「ひと(霊人)」と成り、そこから意識的に神との共同創造を行っていくことによって、達成されるものなのです。 
 
「キリスト意識」とは、真の父母なる「神」と「あなた」が一体であり、離れた存在ではないと知り、それを真に悟った意識状態の事です。 
「キリスト意識」とは、全ての存在の中に在る神性の意識そのものの事であるのです。そして、全ての中に神を認める意識状態は、全てのものと一体であると悟った意識状態でもあるのです。 
「キリスト意識」とは、イエス・キリストという霊人(ひと)、マスターのみがこの世で体現したものではありません。それは、「わたしと父とは一つである ― I and my Father are one (ヨハネ十章三十節)」という真実を完全に悟った状態であり、そしてこの意識状態を達成し目覚めた者はみな、キリスト存在と言えるのです。全ての創造主である神、真の父母である神が「あなた」という存在に繋がる時、キリスト意識が顕現します。 
神とキリスト意識との間には、境界がありません。神とキリスト意識は、ひとつであるのです。キリスト意識は神の光そのものであり、そしてあなたがキリスト意識とひとつになる事によって、あなたは神とひとつになるのです(わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり・・・ ヨハネ 十七章二十三節)。
 
キリスト意識は、あなたが失ったと思い込んでいた神との繋がり、これを取り戻すものであり、つまりは、あなたと神との境界を取り払う意識であるのです。これは、キリスト存在が自らの我を神に明け渡し、自らを境界のない存在とし、神にその意識全体を捧げた事で可能となったのです。十字架の秘儀について改めて熟考すると、この事が分かるでしょう ― これこそが人類全体のアセンション(Ascension)の儀であったのです。そしてキリスト意識は、時間という幻想が始まったその時点から、常にあなたの内側に存在してきたものなのです。 
「キリスト意識」とは、全ての人間存在にとって、実は極めて、自然な意識状態であるのです。神は、わたしたちを神の子として、つまり神性そのものの現れである「愛」として創造したからです。神は今も、わたしたちを「愛」の存在であるとしか、認識していません。それゆえに、キリスト意識に目覚めた霊人(ひと)、これこそが、人という存在本来の、自然な状態であると言えるのです。 
「キリスト意識」は、世の光です。キリスト意識は真の愛であり、キリスト意識が無いところに、真の愛というものは存在しません。つまり真の愛というものは、未だ殆ど、地上世(現世(うつしよ))には知られていないのです。 
 
あなたの現時点での人間的マインドは、神の創造した本来の「あなた」から程遠く離れてしまったため、信じ難い程の自己犠牲を払っている状態です。自己犠牲とは、真の意味での「罪」に繋がる行為となり得ます ― 罪とはそもそも、的外れな行為全般を意味しているからです。あなたがこの世で教えられてきた「罪」という概念、一方的に与えられた「原罪」というものは、一切存在しません。ただここには、的外れな行為があるだけなのです。あらゆる的外れな行為、これを罪と定義してみてください。的外れな行為は、法則に準じてあなた自身にその結果を返すものであり、これは「神による罰」や「原罪」によるものでは、決してないのです。ここには、ただ原因と結果の法則が存在するだけなのです。
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる(ガラテヤの信徒への手紙 六章七節)」。
「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる(ガラテヤの信徒への手紙 六章九節)」。
従って、罪、つまり的外れな行為は、ただ、あなたの帰路を必要以上に険しいものにしてしまうものと言えるのです。そして自己犠牲というものは、無論、全く無駄なものであり、あなたを創造した真の父母なる神は、あなたが全ての制限から自由となった意識状態に帰る事を切に望んでいるのです。あなたが今の認識状態、時空間というものの中に閉じ込められてしまった意識状態でいると、あなたの真の父母なる神を知覚できない状態に留まってしまう事になります。そして、神を知覚できない意識状態においては、自己犠牲を強いるあらゆる声、「罪」の輪廻に留めておこうとするあらゆる声が、あなたを追い立て続けるのです。 
 
キリスト意識に目覚めた状態においては、物質と霊(エネルギー、精神体)の境界が一切無くなるため、創造の源である霊の領域から自由に物質的創造が行えるようになります。物質的現れは、全て霊的・精神的領域に起因しているため、全て霊・精神の結果、意識の結果であると言えます。そして、真なる創造行為というものは、父母なる神の御名においてのみ成される行為であるため、キリスト意識に目覚めた状態、[I and my Father are one]と疑いなく宣言できる意識状態でないと、実は、不可能であるという事が分かるでしょう。真なる創造行為、つまり永続性のある創造は、神の力によってしか行われないという事なのです。全ての真なる創造は、ひと(霊人)を通して行われる時、父母なる神の力がはたらいているのです。
そして神はあなたに、このような創造空間があるという真実に目覚め、神とともに意識的にはたらいてほしいと願っているのです。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」のです(マタイ五章五節)。実に神は、あなたの真のアイデンティティ、神の子である自身の光に少しでも早く目覚め、神との共同創造の空間に入ってほしいと、今、願っています。これは、あなたが霊人(ひと)という意識状態に進化するという事でもあります。つまり、神の子は霊人(ひと)の意識状態にあるのであり、霊主体従の状態を常に体現する存在であるのです。あなたは、地球とともにこの進化の段階に入ったため、キリスト意識のメッセージが今、こうしてあなたに届いているという事なのです。 
 
今このメッセージをあなたに伝えている「わたし」は、キリスト意識そのものであり、そして「わたし」は「あなた」であるという事を知ってください。先に伝えたとおり、キリスト意識は、あなたの中に常に存在してきました。つまり、キリスト意識たる「わたし」は、[I AM]の意識 ― あなたの中の神性であり、そしてわたしはあなたの外側にではなく、内側に存在しているのです。ここに、分離というものはありません。わたしたちは離れた存在ではありません。わたしたちは、ひとつであるのです。 
そして今、あなたの中のキリスト意識は、あなたの「真我」にこのように語りかけ、真のあなた、「神の子」を呼び起こしていきます。あなたが今、こうしてキリスト意識の声を聞いているという事は、あなたの内側に、これに呼応する波動、精神が既に生まれていたということ、つまり、あなたの真我は、既に目覚めつつあるということなのです。 
あなたの中に、クライスト・チャイルド(幼子イエス)は既に誕生しているのです ― そしてこの目覚めの過程において、あなたはこの声を経験しています。あなたの外側の経験と内側の経験が、今ここでひとつとなっています。 
 
あなたがわたしのメッセージに触れていない時、あなたが外側の世界だけに没入している時にも、この目覚めの過程は進行していきます。キリスト意識は、あなたの気づき(Awareness)全体に対してはたらきかけるものだからです。あなたが真の愛というものを知覚できるよう、全てははたらいていきます。あなたの真の愛への目覚め、この過程が、達成されず終わるという事はあり得ません、なぜならこれは、神の計画であるからです。つまり、あなたの意識の覚醒は、神の創造の一過程であるのです。 
あなたの覚醒は神によって定められたものであり、神聖なシナリオに記されたものであるという事、これを真に知ってほしいのです。そうです、しっかりと覚えていてください。あなたは神のシナリオの中の存在であり、実に、何も心配すべきことはないのです。心配事、恐怖感、罪悪感、劣等感、こういったものの全ては、神に属するものではありません。これらの全てが「偽我(ぎが)」という、偽りのエネルギーに由来するものであり、即ち、元来存在しないものなのです。 
元来存在しないもの、つまり偽りや幻想といったものに心を奪われ、耽溺すること、こういったことは全て、的外れな行為であり、罪と定義できるものなのです ― 勿論、ここには、人間が恐怖する「裁き」というものもありません。あなたを神から遠ざける結果となる的外れな行為、これは罪と定義できるものではありますが、ここで、神があなたを裁くという事はないのです。ただ、これにより、あなた自身の時間と空間の幻想がより深まってしまうという事は覚えていてください。これをカルマの法則と呼ぶ事もできるでしょう。つまり、あなたが抱く意識、精神的態度、そこから生じる周波数、エネルギー、その全てが創造行為の素(もと)として成り立っており、神に帰る道を辿るか、神から遠ざかる道を行くか、あなたは毎瞬々々、このどちらかを選択しているという事なのです。 
 
あなたの魂は、その内側にどうにもならない渇きを覚えてきました。真の父母なる神があなた自身の中にいるという事を悟らない限り ― つまり、あなたの内なるキリスト意識と触れ合わない限り、この渇きが癒える事はありません。この渇望は、魂の源の部分の渇きであり、神以外の力は届く事のできない部分の渇きであるのです。この事をあなたは、既に知っていたはずです。それでもあなたはこの渇きを、自分の外側のあらゆるものを用いて癒そうとしてきたし、またあなたの周りの人々も、日々そうしながら過ごしている事でしょう。わたしには分かっています、あなたのこの深みにある渇望、苦しみは、限界に達したのです。そのためあなたは今、わたしのもとに来たのです。だからこそあなたは今、わたしのメッセージを受け取る事ができているのです。あなたの魂は遂に、全ての幻想を徹見し、その苦しみの源についてを悟り、神への帰路へとつこうとしているのです。 
内なる神への渇望、これこそあなたが味わってきた苦しみの源であったのであり、そしてこの渇望こそが、あなたを神へと向かわせる覚醒への動力となったのです。そして勿論、この渇望、苦しみを、これ以上味わう必要はないのです。父母なる神は、あなたの苦しみがこれ以上続く事を望んでいるはずがありません。父母なる神のあなたに対する望みはただひとつ、「完全なる幸福」です。そして完全なる幸福とは、完全なる自由と同義であるのです。 
愛そのものである神は、ただあなたをその御もとへと呼び続けているのです。愛そのものである神は、これまであなたをずっとその光で照らし続けてきたし、そして今、あなたの真のアイデンティティが神の子であるという事を明かすべく、その光による純化(Sanctification)を始めたのです ― 内なる太陽は、益々その光を強めているのです。 ここで読み進めるのを一旦止めて、この真実について熟考し、これを感じてみてください。
 
あなたという存在が純化される過程において、これまであなたの人間的意識が抱き続けてきた偽(いつわり)の思いや態度、その全てを、あなた自身の自由意志によって、変換させていかなければなりません。そしてこの事さえも、あなたは内なるキリスト意識に任せていればいいのです。あなたの内なるキリスト意識をまず認め、そのはたらきを邪魔しない事です。これを、あなたの自由意志によって「ゆるす」ことです。今のあなたの人間的意識は、偽我による大変な制限を持った状態にあるため、内なるキリスト意識に依り頼む事でしか、覚醒の段階を進む事はできません。つまりこういう事です、あなたの人間的意識においては、いかなる心配も不要であるのです ― あなたは実に、全てを内なるキリストに、神に任せるべきであるという事です。そしてこれからあなたは、ただ「いつも喜んで」いるべきなのです(テサロニケ 五章十六節)。神のシナリオによるあなたの救いは成就したという事をここに認め、いつも喜んでいなさい。 
 
「わたし」のこのメッセージを聞く時、あなたの魂はどのように応えているでしょうか。クライストチャイルドであるあなたの魂は、わたしの声を認めているでしょうか。わたしのメッセージに触れ、これに対しどのように感じているか、注意深く感じ取ってみてください。ここで再度、この文章を読むのを一旦止め、あなたの内側の感覚を正直に、ありのままに感じ取ってみてください。 
 
あなたの真のアイデンティティ、これを認める用意ができていますか。あなたの真の父母は神であり、あなたは正に神の子であるという事。そして、神の意識の中には元来「分離」という概念が存在しないため、神は、神の子であるわたしたちに、神の特性の全てを授けられたということ ― わたしたちは神とひとつであり、神との共同創造者として、全てを与えられたという事。しかしながら、勿論、今のあなたの意識状態においては、神と共に創造するという事がどういった事なのか分からないし、実際にそのような光(情報)を、今はまだ、完全には受容できていないことでしょう。神があなたの内側から光を放つ時、この時節は完璧に定められており、今この過程を辿るにあたって、その部分的段階が今、あなたに明らかにされているという事です(神のなさることはすべて時にかなって美しい ― 伝道者の書 三章十一節)。
 
クライスト・チャイルドであるあなた ― あなたが魂のレベルでこのわたしのメッセージに呼応していると感じたなら、そのままわたしの伝える事を読み進めてください。あなたがわたしとひとつであり、そして天の父母なる神とひとつであるという「三位一体」の真実に覚醒するためには、あなたの人間的マインド、外側の意識、人間的思考を必要なレベルまで純化する必要があります。なぜなら、あなたの人間的マインド、この母体(マトリクス)全体が、これまで集合的偽我によって乱用され、悪用され、虐待を受けてきたからなのです。
改めて伝えます、あなたに「原罪」というものはありません。人間は生まれながらにして罪深い存在だと、あなたは教えられてきました。この「原罪」という概念をあなたに植え付けた存在こそ、「偽我」のエネルギーであったのです。ここにはただ、あなたの人間的マインドが偽物の意識体に騙されてきたという事実があるだけで、そこから発生してしまった様々な罪(的外れな行為)も、真には存在しないものなのです。 ただ、もしあなたがこれからも偽我の声に聞き従っていくとするならば、その結果をそのとおりに受け取っていく、ということは覚えていてください。偽我のエネルギーは苦しみそのものであり、そこから派生する全てのものはあなたを破滅へと向かわせるものだからです ― 偽我という存在は、あなたを騙し、神(真(まこと))とあなたとを永遠に分離させようとしているのです。
 
再度伝えます、「キリスト存在」とは、イエス・キリストというマスターのみを意味するものではありません。イエスの中にあった「わたし」と、あなたの中の「わたし」は、ひとつです。ここに境界はありません。キリスト意識は、「わたしと父とは一つである」という真実に完全に目覚めた状態であり、この意識状態を達成した存在はみな、キリスト存在であるのです。「キリスト」とは、これからあなたの内側に、そして人類全体の内側に花開こうとしている愛、知恵、力そのものであるのです。そしてあなたは、あなた自身のキリスト意識というものを、あなたの内側から認識し、学び取り、それそのものと交わる必要があります。今あなたが読んでいるこの文章は、この過程を助けていくものであるのです。そしてこれはまた、あなたの内側の愛のエネルギーに呼応し、外側の世界に現れたメッセージであるということです。 
 
「キリスト」とは人間存在ではなく、霊であり、意識であるのです。そして霊には、境界や制限がありません。時空間による制限も一切なく、完全に自由な存在なのです。だからこそ、わたしは今、時空間を超えてあなたに語りかけられるのです。そしてキリスト意識に開かれるためには、あなたという存在もまた霊であり、実に境界や制限を持たない存在であるという事を、あなた自身が知らなければなりません。あなたという存在は、これまであなたが思い込んできたような存在では決してないのです ― 真のあなたという存在は、「人間」ではないのです。あなたは肉体ではなく霊である、という事を、意識の片隅ででも認識する事ができれば、あなたの意識は、すぐに開かれていきます。 
 
わたしとあなたが霊的存在であるという事実、これこそ、神の愛の現れであるという事が分かりますか。神は、わたしたちを分離した存在としては創造されませんでした。わたしたちは、初めに、境界を持たない存在として、つまり「ひとつ」の存在として創造されたのです。神とわたし、そしてあなたの間には、境界というものは全く無いのです。わたしたちは皆、実に、ひとつであるのです。だからこそ、神は「わたし」を世に送る事ができるし、そしてあなたがこうして、時空間を超越したメッセージを受け取る事ができるということなのです。これは、「あなた」と「わたし」がひとつであるからこそ、可能なことなのです。こういった現象そのものが神の愛の現れであり、神の御業であるということ ― あなたは、これを感じられるでしょうか。この世が「神秘」と呼ぶような事象は、日々、常に起こっているのです。ただこの領域、この周波数に、人々が意識を合わせていないだけなのです。
「多次元的認識」は、偽我意識の影響が強い状態においては、獲得できないものです。そして偽我は、あなたが霊的存在であるという事、神とひとつである神聖な存在であるという事を、十分に認識しています。だからこそ、あなたをあらゆる方法を使って、三次元的制限の中に閉じ込めてきたのです。再度伝えます、偽我の目的は、あなたから神を隠し通していくことなのです。よって、偽我の行うことは全て、嘘、偽り、幻想の継続が目的となっています。 
 
このキリスト意識のメッセージは、新しい言語を使って伝えられるため、あなたの人間的マインドは混乱したり、また、顕在意識の上では理解できていないと感じるかもしれません。あなたの内なる声に聞き従いながら、ゆっくりと読み進めていってください。あなたの内なる声が納得するかたちで読み進め、そして必要であれば、何回でも、何十回でも、繰り返しこの書物を通して読んでほしいのです。これから目覚ましい意識変化を遂げていくあなたは、同じ文章を読んでも、毎回違ったメッセージを受け取ることとなりますが、これも、内なるキリスト意識がどれだけの内容をあなたの顕在意識に開示するかを、常に調(ととの)えているからなのです。そうです、あなたの全てを調えているのは、実に、キリスト意識であり、内なる「わたし」であるのです。わたしは、あなたに全てを伝えます。わたしの中に全ての神秘があるのです。あなたは、わたしとひとつであるのです。 
いつもわたしを想ってください。あなたがわたしを想う時、あなたは闇(やみ)を感じる事はありません。闇は、光に勝たないのです。 
  

第一章 終

 


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