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【時代の潮流】2023年12月号

こんにちは。榎本です。時代の変わり目が来ていると個人的に感じることが多く、直近でいろいろ時代はこういう方向に動いていきそうというのをまとめておりました

概要をまとめると以下の変化があります。

  • 旧時代的なものの崩壊のラストスパート

    • 階級的なものが、フラット化

    • 内向きで閉鎖的・受動的・形のあるものが、外向きでオープン・能動的・形のないもの重視へ

    • 固定的なものが、流動的に

  • 上記は起きつつも、新時代風に見えるが実態は旧時代的なものの本質が見抜かれて淘汰され始める

    • 単なる自由ではなく、依存のないほんとうの意味での自由=自律へ

    • 一律の軸のイデオロギー的な「多様性」から、ほんとうの意味での<多様性>へ

    • ファクト・論理過剰すぎることで結果非論理的なものから、ニュートラルなロジカルさへ

とはいってもまだまだ抽象的なので、途中で出てきた大きなニュースを踏まえてnoteをあげてましたが、これから月次目安で起きたニュースで傾向の解像度を上げていきたいと思います。

旧時代崩壊ラストスパートの傾向

すでに崩壊はずっと起きてますが、既得権益的なもの・内向きで政治的なもの・固定的なものの崩壊は加速していきそう、と上記noteでお伝えしました。その傾向が見えるものを事例踏まえて見ていこうと思います。

■内向き・閉鎖性組織の衰退

以前のnoteでは、ビッグモーターやジャニーズ事件を取り上げました。そもそもこうした傾向はブラック企業などという言葉が流行ったりしたように、2000年初期から出てありました。(ワタミや電通の社員自殺)
過労死を起こすような内向きでその会社の中でだけ正当化されたルールや同調圧力、嫌でも辞められない・その中で耐えるしかないという事例が見えていたかと思います。

直近で出てきたのは宝塚の問題です。宝塚も同様に古くからある伝統芸能と言えるものですが、やはり腐敗は避けられないようです。


■既得権益の解体

まずは顕著なのは社会保険料の世代間格差・医師会への逆風ではないでしょうか?シルバー民主主義とも言われており、このトレンドは有識者の間ではずっと前から言われてますが、止められないと思いつつ今になってSNSなどで声を上げる人が出てきて潮目を迎えてきております。(SNS経由と言うのもフラットの時代を象徴する感じです)

ある種タブーが変化してきているのは、既得権益が日本の失われた30年の原因ともいわれているので、日本もついに変化できるときがきたのかもしれません。(ひろゆき氏はこうした旧時代崩壊における立役者として活躍しているように見えます。間違いはありつつも誰もが言えなかったところに斬り込むという意味で)

メディアがこの問題に立て続けに記事をあげているのはまさに潮目といえます。皆さんも内向き・閉鎖的・既得権益にいると多少の我慢はありつつもそのポジションを手放したくないというのが出るかもしれませんが、時代のトレンド的には早く離れたほうが良いかと思います。

※しかしこうした動きに対して、既得権益に迎合している既存大手メディア(テレビや新聞)はジャニーズ事件でも問題になりましたが、記者クラブ問題なども斬り込まれていくと思うので注視が必要です。SNSで話題なってようやく取り上げるようではジャーナリズムとして終わっています

次に、タクシー業界も同様に既得権益で政治の力を利用してライドシェアなど、世界標準では当たり前の変化について抵抗してきましたが、こちらも限界がきそうです。

学術会議も政府の組織から、民営化という形で既得権益崩壊の流れと言えそうです。

大卒プレミアム的なものもなくなり、フラット化が進みそうです。

退職金課税や解雇規制についてはまだ動きは見えませんが逃げ切りをしようと流れに逆行して抵抗するところと、結局は逃げ切れない部分で明暗を分けそうです。

また世界に目を向けると、中国やロシアといって専制主義・共産主義・独裁国家もどうなるかはかなり怪しいです。

■空気やその場しのぎの対応の終わり

上記のひろゆきの事例もそうですが、その場しのぎや空気で誤魔化すというのは難しくなりそうです。空気というのは閉鎖的な空間だから効果を発揮するので風通しの良い場では、誰もが納得できる論理で同じテーブルにあげて議論を進めないといけないからです。

こうした記事ありますが有識者は前から岸田首相のことは低評価です。その場その場で信念なくやることには限界がきます。

共産党や立憲民主党のように、自民党とプロセスをして共依存関係を作るのも旧時代的な反骨精神のパラダイム(反骨精神は支配する層があって成立する)なので、こうした場当たり主張も厳しくなるでしょう。

※そもそも共産主義はマイノリティを迫害することが通例ですが、日本では一部マイノリティが共産党の聞こえのいい政策に流されているので不思議です。

他にも共産党・社民党・れいわ・立憲民主党などが処理水やコロナでは過剰に騒いでおりました。最近だとあきたこまちRでしょうか。

一見新時代風だが、本質は旧時代で淘汰される傾向

上記のような既得権益崩壊などが起きると、これまでのことはすべて駄目で、若い人や新しいトレンドはすべて正しいといった形で極端に振れてしまうことが多いですが、こちらも淘汰がスタートしていきそうな傾向が見えております。すべてが自由や多様性など、聞こえのいいことでやっていても、本質が自分の弱さから来ていたり、旧時代的な支配する対象を変えてるだけのケースが見えるからです。

■一方的な自由の主張から、自律へ

まずはこちらのポストを確認ください。

まずブラック企業が問題である、ということは大前提ですが以下のような行き過ぎた自由の主張(トレードオフや全体最適を考えず、ただのわがままが通る)ということはなくなっていくでしょう。

心理的安全性は重要な概念ですが、言葉が良くなくかなり曲解されています。それを非常に明快に解説したのが下記です。心理的安全性は仕事の目的にフォーカスして、自分の印象は除外するという考えなのですが、自分をただ大事にしてほしい(仕事の目的にあってなくても)という人が増えているというのは、わかりやすくただ自分が優位になりたいだけで、旧時代的の誰かが優位に立つという構造のまま、単に優位になる人が変わるというのは矛盾なので、こちらの淘汰が進んでいきそうです。

同様に旧時代と言ってますが一度も悪い時代だったとは言ってません。変化しているだけで、良い面も悪い面ももちろんあります。良い面としては成長ができる・面倒を見てもらえるというセーフティネットです。新時代になるとそこは残酷ですが自由な競争社会となります。

直近バズっていたnoteも同じようなことを書いています。なんでもポリコレやハラスメントという言葉で、自分を守りたい・優位に立ちたいではなく、本当の意味での自律が全員に求められてフラットなゲームとなっていくでしょう。メンタルの弱い若手よりも、少し古い考えでも中年を選ぶなどこれまで育てるという前提で若い世代を選んでいた利点も同時に無くなります。すべて都合よくということはありえないです。

こうした主張も今後は出てくると思いますが、すぐに淘汰されます。(逆にこうした主張で賛同者を集めて、上手くいくような構造を作れれば、そのやり方で成功する人も出てきそうです。つまりは結果がすべての戦いになります)

そうしてほんとうの意味での自律を獲得した人たちからどんどん転職をしていくというトレンドは起きそうです。逆に自立できず他責になる人は今後会社も助けてもらえず悲惨な目に合いそうです。

しがみついてなんとか逃げ切る人と二極化しそうですが、トレンド的には逃げ切れる可能性は低いでしょう。

■一律的な「多様性の統一」的な矛盾から、本当の意味での<多様性>へ

そもそも多様性は様々な考え方を内包するものです。しかし、元のnoteでは「多様性の統一」的なポリコレの考えに反するものは、いくらキャンセルカルチャーでキャンセルしても良いみたいなものが出てきて、LGBTや人種なども問題に、異を唱えることもできなくなっている現状があります。これは本来の<多様性>とは全く別物です。そうした矛盾は淘汰されていきそうです。

現にこうした性自認の問題含めて矛盾がいろいろ出てきております。

よりこの弊害が進んでいる欧米では知識人がどんどんこうした偽りの多様性に反対する流れが出てきています。(大事なことは環境活動も人権もとても大事なものですが、1つ前のテーマともにている一方的に自由の主張ばかりしていても始まらないというものです)

元々はこうしたポリコレ勢力は炎上を起こすことでキャンセルさせたり強い力を持ってましたが、最近では実は全体の0.5%という話など空気に動かされることの怖さも出てきております。

またこれは難しいトレンドですが、各国で極右が当選しています。新時代のトレンドではフラットでオープンなものが広まっていくはずですが、すでにこうした行き過ぎたものへのバックラッシュが始まって来ていると言えるでしょう。(同時に極右が専制主義的な国家と決別しているので、旧時代崩壊のトレンドと同時に起きて複雑化していると言えます、ここは引き続き注視が必要です。)

こうしたトレンドの中で多様性というものの難しさを乗り越えるということも大きな戦争という形で起きるかもしれません。世界各地で火種が起きており、全てはやはり多様性と共生・共存することの難しさがテーマです。

私人逮捕系youtuberも大きな権力というものから離れてという意味ではフラット化傾向ですが、そもそも個人が勝手に断罪ということはできないので、こちらも小さな動きですが、マイクロトレンドとして同じ動きと言えるでしょう。多様性とは不快でもスルーをする社会です。

■過剰な論理からニュートラルな論理へ

過剰に論理的というのは、非論理的なもので支えられています。今ひろゆき氏に若干の逆風が吹いているのも、旧時代崩壊トレンドでは重要な立役者ですが、この新時代風のトレンド的に過剰な論理性で非論理的なところが逆説的に浮き彫りになるからでしょう。

このトレンドに実は沿っていそうで、「多様性の統一」的なイデオロギーだった事例も置きました。ひろゆき氏の例を見てもわかるようにこのトレンドが難しいのは、空気的なものやイデオロギーではなく、まずは最低限ファクトを見るというのは旧時代崩壊トレンドでありつつ、過剰なものは同時に淘汰されるからです。

なので最低限のファクト・ロジカルシンキングは押さえるという意味で、この「エビデンスがないと駄目か?」というのは駄目に決まっています。コロナや処理水問題などは、旧時代崩壊の方であげたように避けられません。(そもそも村上氏がイデオロギー的に書いているのも問題です)

しかしこの疑問を完全棄却はできず、過剰な論理性やファクト重視は問題も孕んでいます。次の記事は真にニュートラルで論理的な態度と言えるでしょう。ビジネスの現場でも質的な研究の重要性を理解することが大事です。

過剰に科学信奉をしており、科学主義的になることも怖いです。スピリチュアルを信じろ!というのもおかしいですが、完全否定するのも非論理的な態度です。去年のノーベル物理学賞などは真実というものがいかに脆いものか教えてくれます。

まとめ

いかがでしょうか?概ねトレンド通りになってきているところがあるかと思いました。難しいのは一見矛盾するような動きが出ており、非常に解釈が難しいところがあることです。

是非皆さんもご意見などいただけると嬉しいです。


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