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『漂流児童』石井光太

2019年7月下旬、読了。

私は、常に自分の慢心と
戦っているという自負はあるのだが、
なかなか、簡単なことではない。
さりとて、人から指摘されたり
すると、激昂する。

自分で、自分の心を戒めて、
慢心と戦い、謙虚であろうと
することは、容易なことではない。

そんな私の方法の一つに、
【石井光太 作品】を読む
というものがある。

絶句する…
反省する、悔い改める、
この世界にある現実を
突きつけられる。
胸に楔を打ち込められる。

私にも、子どもの時があった、
私にも、娘がいる、
子どもという、この光輝く、
希望の存在は、親によって生まれ
親によって愛され、育っていく、

私の住んでいる町内、同じ
ブロックで数年前に、6歳の男の子が
母親からの虐待によって
亡くなった。
そこは、まだ空き家である。

いつも、思う…
この6歳の男の子には、何の罪もない、
どうして、その母親の子どもとして
生まれたのだろう…
キリがないループにはまってしまう。

親から殺され、捨てられ、暴力を受け、
レイプされる、子どもの心の世界を
簡単に、単純に説明できるわけがない。
希望の存在である、子どもが絶望の
どん底に、叩き落とされる。
同じ町内に、同じクラスには、
同じ年齢の子が、愛され、楽しく、
笑い、活発に遊びまくっている、
そんな理不尽と不条理を、
言葉でも説明出来ないし、
伝えることすらに恐怖しているかも
しれない…

だから、石井光太という伝え手が
必要なのだ。

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#漂流児童