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プロ野球再編問題から考える労働者の社会運動

立教大の佐々木隆治先生の「マルクス主義とは何か」というセミナーも受講しているが、
やはり日本の労働者におけるボトムアップの運動が無いのが疑問。
※NPO法人「POSSE」やジェネレーションレフトのような活動もあるので、全く無いわけではない。

それがなぜかというと、「1968年以降の左翼運動が壊滅的だった」ことと、
「日本経済が貧しくなっていった」ことを上げていた。左翼運動がどういったものかはまだ調べられていないが、
貧しいから運動が起こせないというのは確かに良く分かる。
少ない(上がらない)賃金で残業続きで、新しいスキルがどうとか言われ、疲弊して帰宅した後に声を上げる運動等はなかなか難しい。
客観的にも主体的にも難しい。

特に西洋諸国では、労働運動があり、それが社会民主主義の流れを作り、福祉政策に発展して福祉国家となっていくようだが、
日本ではそれが無いため、特に労働者側の福祉が弱い。福祉が無いことによる「正社員制度」や「終身雇用」があるような気もしてくる。

先日、岸田総理から「新しい資本主義」の骨子となる「投資」の話があったが、
何も新しくなく「金持ちは金持ちへ、貧乏人は知りません」と言っているようなものだ。
そういう時に、労働者の中で、あまり不平不満の声が上がってきているようには見えない。
SNS界隈ではハッシュタグ付きでコメントが出ているものの、その程度だ。会社の中で話題になるようなこともなかった。

首相にさえコケにされてるような中で、もう労働者が声を上げることは無いんだろうなと思う反面、唯一労働者、並びに市民が声を上げた社会運動をふと思い出した。
プロ野球のストライキ(プロ野球再編問題)である。
2004年、当時高校3年の夏、近鉄、オリックスの合併、横浜、ヤクルトの身売りが噂される中、古田敦也率いる選手会と、ファン同士の団結、買収希望のライブドアと楽天。
古田の、経営者側戸山隆三(ロッテ球団代表)からの握手を拒否するシーンや、ストライキ決行を決めた後のスポーツ番組で見せた涙は今でもよく覚えている。
間違いなく平成の中の大事件だったこの問題は、(知る限り)大きな暴力事件等もない社会運動だった。

あの時と今の違いは何か。
1つは、自分の所属する団体や組織が危機に瀕しているかどうか。
失われた30年となった日本は、経済的に言えば危機かもしれないが、労働者目線で言えば危機ではない。なぜなら、正社員であれば首になることもなく、非正規であれば契約さえ続いていれば、給料が保障され生活は出来るからだ。
一方プロ野球は、少なくとも球団が無くなれば選手は生活出来なくなり、危機的状況に陥る。それはファンも同様で、応援している球団が無くなればある意味生活に影響が出る。
あとは、規模の違い、リーダーの格の違い等もあるだろうが、大きいのはこの点か。

そう考えると、危機になれば市民や労働者は立ち上がるが、危機を感じならなければ立ち上がらないということだ。
それでは、どうも国の教育システムや、経済システムに飼いならされた感じもするので、個人的には認めたくないのだが事実がそう見えるので仕方ない。
せめて声を上げようとしてる人達を見つけたりする運動や、行動はこれからもし続けていきたいなと思う今日この頃である。

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