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吸血師Dr.千水の憂鬱㉗死体訓練

前回の話

第27話  死体訓練

 隊員たちは、背中に背負った遭難者の意識を切らさないように時々呼びかけたり会話したりを続けつつ、降りすさぶ雨の中、精一杯の速度で山を下っていった。荷物を回収した赤木が追いついてきた為、大石の指示で出町に代わり赤木がご遺体を背負う。細身の赤木も歯を食いしばってご遺体を背負ったが20分ほどで根を上げ、続いて竹内がご遺体を背負う。比較的軽い女性と違い、ご遺体は太っているわけではなかったが、まるで大岩を背負っているかのように、背中にずっしりとのしかかってきた。しかも放っておくと、ご遺体は自分で体勢を変えたり、突っ張ったりしてくれないので、ずるずるとずり下がってくるのをひっきりなしに背負い直さなくてはいけない。赤木があっという間に根をあげたのが心からうなづけた。

ともあれ、ト山山岳警備隊では普段からこういう状況に慣れる為に「死体訓練」というのがあった。まず全員で山を登り、下りの時は隊員の半分が背負われて下りてくる。背負われる側は、できるだけ脱力して、わざと背負いにくい状態にする。下に下りたらもう一度全員で同じコースを登り、今度はさっき背負われた側が背負う側になる、その名も「死体訓練」。

ふもとから山頂までを二往復することで、全員が公平に背負う側と背負われる側両方を体験するという、なかなかに過酷な訓練だった。

 普段から数十キロの登山装備を背負って歩く訓練、「ボッカ(歩荷)訓練」であれば、今どき警備隊でなくとも、意識の高い登山愛好家たちの間で普通に行われている訓練方法だ。しかし遭難救助の場合、往々にして怪我人を背負ったり、遭難者達の荷物を代わりに運んだりする事になる。

 足場の悪いゴツゴツした岩場を、両手が塞がった状態で下るというのは、両手が空いた状態で下りるのとは全く別の話だった。肉体への負荷も並大抵ではないが、精神的にもなかなかに勇気のいることだった。

現在では救助ヘリの出動がだいぶ定番化したとはいえ、それはただ、出動させる事が当たり前の意識として定着してきたというだけで、現実には目まぐるしく変わる山の天気に、飛ばせない場合も多々あった。

このご遺体を一人で黙々40分以上も背負い続けた先輩のすごさをひしひしと感じる。

竹内も赤木には負けられないと歯を食いしばって背負ったが、やはり20分そこそこで限界を感じた。峰堂から壱の越まで約1時間の道のりが、みんなそれぞれに遭難者を背負っての移動の為、既に一時間半近くになろうとしていたが、山荘はもう見えている。壱の越山荘は、センターからの連絡を受け、まるで隊員達を励ますかのように照明全開で、雨の中でも力強く煌々と輝いて見えた。五人はその照明に勇気づけられ、最後の力を振り絞って山荘へと歩いた。

 竹内も、内心限界は感じていたが、もう代わってもらうほどの距離でもない、あと数十メートル頑張ればゴールなのだ。大石の声掛けにも「はい、大丈夫です!」と答える。

 今はもう行われなくなってしまった峰堂ダービーの精神は、この限界を超える為にあるんだ!自分達はもう十分に恵まれている!何とか最後まで!と自分を鼓舞しながら一歩、また一歩と足を前に踏み出す。もう後10メートルほどのところで、竹内は不意に山荘の照明の陰になり見えなかった石に足を取られ、身体のバランスを崩しかけた。

(あっ!!)

と思った瞬間、脇から力強い腕が竹内を支えた。


「せ、先生!」


ヘリでの搬送ができないとあって、竹内からの連絡で遭難者らの状況を知った千水が、治療をする為壱の越まで移動してくれていた。

「よく頑張ったな。」

そう言うと、千水は軽々とご遺体を背負って歩き出した。わざわざ外まで出迎えに出て来てくれた千水が背中のご遺体をモノともせず、足早に小屋に入っていく後ろ姿を見ながら竹内は胸がいっぱいになって鼻の奥がツンとした。

 五人が山荘に着くと、山荘のスタッフや、そこに宿泊していた客らが拍手で温かく迎えてくれた。ご遺体も千水によって既に一室に安置され、3名の遭難者達は、そこで千水の応急処置を受けた。千水は隊員以外を診る時、基本的に特殊能力は使わないが、それでも一足先に千水の治療を受けた四人の遭難者らも、既に立って皆を出迎えられるほど元気を取り戻していた。

残念ながら一人は命を落としてしまったが、合流できた遭難者らは涙を流して再会を喜び合い、隊員達は泣いてお礼を言われた。

 そうしてヘリは結局出動することなく、翌日元気を取り戻した遭難者達は峰堂から救急車で搬送されていった。

つづく

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