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完成度の高いコミュニティはコミュニケーション量が少ない

 最近、社内で「コミュニケーションを促そう」的なイベントが立て続けに2回発生しました。うち1回はほぼレクリエーションなので何も考えず楽しめばよかったのでいいのですが、一方の1回はチームで打ち合わせてアウトプットを発表するタスクを負うもの。後者に対する私の感想は「レベル低いなあ」です。外資企業にいる時点で職場のレベルは日系企業よりはるかに高いのですが、やっぱりこういう無駄なことをやるものなのかというガッカリ感。エンゲージメントを高める趣旨だったそうですが、見事に私のエンゲージメントは急降下しました。二度と参加しなければいいだけなので、今日も実務に励みます。

*以降の一般化した記述では、場面を会社に限定しないので、「コミュニティ」というワードを使います。学校、家族など複数人で活動する組織や共同体ならいずれでも当てはまる概念です。

■ 本当に不満があるなら自ずと発信する

 なぜこのイベントで私のエンゲージメントは低下したのか。

 コミュニケーションというのは何かを成し遂げるためのツールに過ぎないからです。私たちヒト科は、伝えたいことがあるから音を使い、手指を使い、全身を使うこともあります。私がこのnoteを書いているのは、このコンテンツを発信したいからです。発信したいことがない人にコミュニケーションを促しても、特に何も起きません。「なんか面白い話して」という無茶振りと同じです。

 「機会を作ってくれないと言いづらい」というのは、すなわち発信する優先順位が低いから、聞いてもらわなくても大して支障ないということです。本当に優先順位が高ければ機会は自分が作り出して発信します。遠慮や忖度は美徳でもなんでもありません。集中している相手の邪魔をするのがはばかられるならば、文字で発信しておけばいい。そうすればあとで隙間時間で読んでくれます。

 働き方改革の話題で成功事例として登場することが多いサイボウズ社には「発言責任」という概念があります。ランチや飲み会などオフのときに会社のことで愚痴をこぼすくらいならば、社内で言えということです。それができない人はサイボウズ社というコミュニティに属する者として責任を果たしていないとみなされます。

 私も同じ考え方なので、前記の不満をすでにイベントの企画者である人事部長に直接アポイントをとって30分ほど時間をもらい「意味がないと思う」と伝えました。おそらく嫌われると思ってためらう人が多いでしょう。しかし実際は「ありがたい意見だ」とのリアクションでした。ただ闇雲に攻撃的なメッセージを突きつけるのはよくないですが、きちんと論理立てて整理された主張ならば主張そのものが尖っていても痛みを与えることはありません。

 話を一般論に戻しますが、コミュニケーションが少ないコミュニティを目指せというわけではありません。コミュニケーションが少ないコミュニティには、前記の不満の少ない人で構成されているという健全な状態以外に、コミュニケーションを減らす圧力がかかっているという不健全な状態があって、それらどちらかの結果です。

■コミュニケーションが少ない健全な理由

 運営する立場の人はコミュニケーションが少ないとコミュニティが不健全である可能性を考えがちです。「仲が悪いのかも」「問題が埋もれていないだろうか」「マネージャーたちが圧力をかけているのでは」などと不安になる。しかし実際は「信頼関係ができている」「円滑に業務がまわっている」のかもしれません。見極めが必要です。

 よくある誤認識が「酒を飲めば普段話さないことを話してくれる」ことからそう発想することです。宴会はコミュニケーションが視覚的に多く見える場所。しかしそれは、宴会の場では会話以外のツールが必要ないし使いづらいから。昼間はEメール、チャット等の文字を使い要点に集中したコミュニケーションをしていますが、論点にこだわりが必要ない宴会では話が発散していいので会話が盛り上がるだけのことです。状況に応じて適切なコミュニケーションツールが使い分けられていてたいへん良い状況。「飲めば話しづらいことを話してくれる」のではなく「飲めば優先順位の低い話が引き出しやすい」だけです。本当に話しづらいことは、飲んでも話してくれません。

 大企業の労働組合なんかに多い言い訳も同様です。「直接話さないと会社への不満が出てこない」と言ってやたら宴会やレクリエーションに組合費を注ぎ込みますが、そこまでしないと得られない不満はつまり些細な問題だということ。組合の専属職員は仕事がなくなると困るので、そこそこ健全な労働環境が出来上がっていても活動する理由を求めて小さくてもいいから問題を見つけるべく浪費するのです。この無意味な活動によって、従業員の不満は会社より組合に向かっていくことになります。

 これらの余計な心配はまったく非生産的です。コミュニティが充実した結果としてコミュニケーションが少ないのに、無理やりコミュニケーションを促しても価値の高い情報は出てきません。

■コミュニケーションが少ない不健全な理由

 逆に不健全な原因でコミュニケーションが少なくなる場合もあります。いわゆるハラスメントが蔓延しているコミュニティです。権力を振りかざして意見発信、すなわちコミュニケーションを直接制限する方法をとると、それは不満や問題が隠されたり埋もれたりすることになります。

 こういう状況を打開するために、話を引き出そうと宴会やレクリエーショのようなイベントを企画することは効果があるでしょうか。答えはノーです。メンバーは発した不満が権力者の耳に入ると自身に不利になると思っているのですから、相手が誰であろうとそれはリークしないのです。こういう場合に有効なのは、なんとかして聞き出そうとすることではなく回避方法を提案することです。解散が容易なコミュニティであれば、一度解散してリセットするのもいい。イジメが慢性的な学級、パワハラがまかり通る職場、暴力が起きている家庭など、不健全なコミュニティは正そうとするよりそこから逃げたほうが簡単で確実です。

■コミュニケーションの量でコミュニティの健全度は測れない

 コミュニケーションが少ない理由は「話さなくていい」からなのか「話したくても話せない」からなのか。ぱっと見で判断するのは難しいので、よく観察し、よく考えてください。コミュニケーションの量は、コミュニティが健全かどうかを測る指標にはなりません。コミュニケーションはインプットではなくアウトプットです。因果関係を間違えててはいけません。

 Amazonのトップ、ベゾス氏も社内コミュニケーションが多いことを良しとしません。

ベゾスが求めるのは、協調などするよりは個のアイデアが優先される組織である。つまり、権力が分散され、さらにいえば組織としてまとまりがない企業が理想だという。
―――― 成家眞「amazon世界最先端、最高の戦略」

彼の場合は私の本投稿と意図が違っていて、コミュニケーションが増えると考えや意見が平均化されてつまらなくなるということ。それももっともです。冒頭のイベントでは10人のチームを構成させられたのですが、コミュニケーションを重ねていく過程で当たり障りないアウトプットに傾いていきました。

 どんな場合でもコミュニケーションが多いことを常に良しとは思わないようにしましょう。


Yoshiyuki IZUTSU

http://linkedin.com/in/yizutsu



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