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僕のじいちゃん

今からちょうど4年前の晩夏のこと。
僕の父方の祖父(以下じいちゃん)が畑から家に帰ると突然倒れ、緊急搬送。意識が戻ることはなく、そのまま肺炎により息を引き取った。
享年89。僕の成人まであと少しというところ。初めて身近な人の死に直面することになり、身内1人失ったときってこんな感情なんだと知った瞬間だった。

整理が早かった

悲しみをスマホのメモに打ち殴るようにしていたのと、過去に僕の母方の祖父である父の死を経験している僕の母から「遺品整理してたら悲しみなんて忘れる」という救いの一言もあって、早いこと整理がついた気がする。

いろいろ話せた

この数日間の通夜、葬儀、会食などでなかなか会えない親類や母方の祖母、じいちゃんの遠い親戚で父の同級生、加えて僕が体育でお世話になった高校の先生にも久々に再会できてあれやこれやを話せた。導師を務め、じいちゃんと深く親交のあったごえんさん(湖北弁でお坊さん)の思い出話や人生にまつわる良い話を聴いて、段々と失った悲しみより今までの感謝やポジティブな感情が上回った。

今思えば

当時、コロナ前の充実した時期だったから、今思えば恵まれたもんやったなぁと。悲しいことに変わりはないが、今はそんな充分見送りできる環境ではない。どんな風に省略されているか分からないが、じいちゃんのときのように人は呼べないし、会食は非常にリスキーだからすべきではない状況。それに、志村けんさんや岡江久美子さんを始め、コロナで亡くなってしまった人は火葬ですら十分に立ち会えないと聞いた。比較になってしまうが、そんな現状を見るとありがたいことだったし、環境があるだけでもそれは感謝だった。

じいちゃんこんな人

ここでガラリと話を変え、じいちゃんがどんな人か紹介するとしよう。滋賀県湖北地方や能登川町(今の東近江市)の小学校で教鞭を取り、定年後は保護司として、犯罪を犯した人々の更生活動に従事していたこともあった。小学校教師という経歴や実績、県内では世帯数が少ない苗字ということもあって、僕に対して、「〇〇(苗字)先生のお孫さんですか?あのときお世話になりました!!」と関わりのある人たちや担任の先生から名前を知るとこう言われたもので、母の証言で僕の小学校の入学式にて苗字だけで僕をその孫だと断定していた親御さんがいたとか。さらに僕の塾の先生の知り合いで我が家と繋がりのない同姓の小学校教師の方ですらじいちゃんの名を知っていたほど。僕はじいちゃんの現役時代、どういう教師像だったのかは分からないが、あんなに嬉しそうに言ってくるということは、僕がお世話になったT先生のように、心に響く指導を行なって、何か格言を残したのか。記憶に残る先生だったのだと想像する。

家族に対して

じいちゃんはときに熱くなり、家族、親戚と意見が衝突することがあるが、孫である我々兄妹や僕の従兄弟たちのことを大事に思う優しいおじいちゃんだった。そういうのが教師の仕事にも生きていろんな人に影響を与えたのではないかと思ったりも。

じいちゃんの備忘録

この記事で少し触れたが、遺品整理中、じいちゃんが書き溜めた「備忘録」を見ていた。そこにはじいちゃんの職歴や親族の一覧表、家系図、新聞記事のスクラップ、テレビの時事ネタなど、ジャンルレスに記してあった。
僕はかつて、高校の主任の先生から「メモ取れよ」と口酸っぱく言って僕にメモ帳を渡してくれたこともあったが、日記をつける意味やメモの意味を見出せなかった。しかし、これが僕にとってはハッとする出来事だった。筆まめで「学ぶ」ことを止めず常に頭脳のアップデートを備忘録でしていたわけだし、そりゃボケないわけだ。
形は違えど、僕は現代的ツールで脳をアップデートしつつ、心の拠り所にしている。続けられている理由はこういうところなのだろう。

ピンピンコロリ

健康寿命と同じくして死ぬことを「ピンピンコロリ」なんて呼んだりするが、じいちゃんはその通りになっていた。長年、喫煙していたせいで肺に相当ダメージが蓄積されていて、咳き込むことが頻繁にあり、死因にもつながる部分があった。しかし、僕が生まれて以降に限ると死因以外に大きな病気をしたことがなかったし、がんですら聞いたことがない。おまけに禁煙に成功したようで、死ぬまでタバコの匂いが我が家に漂うことは無かった。
声量が大きく、たまに伸びをするとき、年齢を感じさせない大声を張り上げることは珍しくなかった。加えて、80歳を超えても大好きなドライブを返納までしていたぐらいにパワフルなじいちゃんだった。

よく食べること

健康寿命と同じくして逝ったじいちゃん。実際、食を大事にしていて、「よく食べぇな」と口癖のように言っていた。父方の祖母(以下ばあちゃん)が食欲が落ちたときは有無を言わさず、よそう行為や「食べぇな」という言葉を何度も言うなど押し付けがましい部分もあったが、これもじいちゃんなりの愛なのかもしれないと思ったりする。
実際僕もその大事さは痛感していて、体にええもんを食べることで生き生きできるし、幸せを感じる。そして、今では強い盾となり得る。健康寿命を伸ばす秘訣なんだとしみじみ感じる。

じいちゃんには愛を一杯注いでもらって、いろんなことを教えてもらった。本当は成人した姿を見せたかったし、仮にその時も生きてたらどんなに嬉しかったことだろうとも思う。それでも、ここまで育てて、見守ってもらったことは感謝以外の何物にも代えがたいこと。亡くなった後にいい発見できたり、じいちゃんがいかに愛されていたのかが、親族、じいちゃんと関わっていた方々、先の体育の先生の話でよく分かった。
じいちゃんを見て学んだことは本当に多くて、僕自身の生活や行動にも反映されているほど。ありがたい学びをたくさん得ることができた。
コロナが過去最悪で蔓延している今だからこそ、この学びを糧に強くなりたいと願う。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。