現代ジブリ思想入門

最新作『君たち』は『千と千尋』と同じ構造なのだけど、実際はこれ以外の構造は、宮崎作品には存在しない。

スチーム(蒸気)として。ステーム(茎)として。

汽車のモチーフは、形式を変え飛行機になっても、舟になっても、その本体は変わらなくて。

カリオストロの城も、塔のラプンツェルも共に、秘密の帝国の中に存在する。それは地下にあるのかもしれない。

90年代。この世紀末は、ジブリ作品では近代批判が確実な形でやってくるのですが、抽象的な現代思想でした。

管理社会、マルクスとニーチェからの現代思想ドゥルーズ・ガタリ『アンチ・オイディプス』精神分析批判と『千のプラトー』高原の生の脱構築。

宮崎さんは「私は釜(ジブリ)に、こき使われている」と云う。

鈴木さんは、単なるマクドナルドのような経営者なのに。(ただしプロデューサーは監督より偉い)

この場合、共同体を志向した。漫画『ナウシカ』では、ある種の社会主義批判として生きる。

もののけ姫では、最後のシシャとしてサンを描き、網野善彦:日本史の平安時代は、自治的な都市は、ある種の共和政治として機能していた。

中世のパリ・コミューンです。

この場合の宮崎さんは、思想と学問の理論を、自由な解釈によってスクリーンに映し出した。

ありのままを、描くこと。それは作品にはならない。『崖の上のポニョ』。ノーマルはありません。

この作品のドキュメンタリー(DVDボックスセットになっています)では、風景(自然)の作家の表現方法が言及されてます。

後期の宮崎さんは、ロマン主義(ドイツ)と英国美術にのめり込みますが、作品としての面白さは、安定です。地に足がついたハウルともいえますが、不思議な感覚の芸術です。

映像表現については、自我を貫き通す宮崎さんは『戦メリ』大島監督と『千と千尋』は、ある種の共通点がある。『千のナイフ』坂本教授も、久石さんでも同じセン。

最新作から振り返ると、全く別のものに見える世界があるのだ。

やはり『千と千尋』は、エンタメの至宝もののけ姫の忘れ物を、みつける事が出来る。

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