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ほんとうは自炊したかったのかもしれない話


食欲がおかしい

なんだか食欲がおかしいな、と気づいたのは昨年10月末ごろのことだった。

ここ数年は体質改善につとめており、その甲斐あってか、貧血やむくみも解消できた。いちばん太っていた時期からくらべると、なんだかんだで7kgほど落ちた。やせたかったというよりは、慢性的なだるさや身体の重さをなんとかしたかった。
体質改善をはじめるにあたって参考にした食事法にのっとって、自炊のメニューや買いものの内容も変えた。野菜中心の献立にし、豚肉や牛肉、乳製品、パン、シリアルなどは控えるようになった。外食はしてよいことにしていたので、さほどの違和感もなくつづけられていた。

10月ごろを境に、お菓子やパンを買って帰る頻度が増えはじめた。そもそも外食をOKにしていたのは、家に「余計な」食べものを持ち帰らないためでもあったのだが、だんだんとそのルールが守れなくなっていった。あんなに継続できていた食事法も、一度くずれるとあっけない。だんだんと買い食いや惣菜の量も増えていき、自炊のつくりおきがあるのに中食に走る日も多くなった。

ターニングポイントになりそう

そのうち元に戻るだろう、楽してヘルシーな食事ができる自炊法のがどう考えたって得なんだから。呑気に構えていたものの、いっこうによくなる気配がない。これは思っているより根の深い問題なんじゃないか? どこからか、そんなつぶやきが聞こえてきた。認めざるをえない。そのときの私は、夕飯に買って帰った惣菜を前にして、食べないうちから後悔しはじめていた。食べたいと思って選んだはずなのに。

おかしいのは食欲だけではなくなってきていた。予定がない朝に起きられなかったり、いままではなんでもなかった家事がめんどうで溜めがちになったり。これは、まずい。たとえば今後、人生が右肩下がりになっていったとして、いつからおかしくなったんだろう……と遡ったらいまの私にたどり着きました、ということもありえそうだ。

ほんとうは自炊したいのでは?

どうしてこんなことになっているのか。私は「ほんとうは自炊したいのではないか?」という仮説を立ててみた。ちなみに、以下が私の現状である。

料理は好きではない。なにしろめんどくさい。自分好みの味が出てくる惣菜屋さんがあれば最高なのに、といつも思っている。調理の回数を減らしたくて、炊飯器の限界量までまとめて炊いたり、大鍋2杯分の具だくさん味噌汁をつくったりして茶を濁す日々。それでも買い食いばかりして健康を害するよりはいいと思っている(はずなのに、よけいなものばかり食べるようになってしまった)。

そんなやつが自炊したいと思ってる? そんなわけないだろ、と誰よりも私自身が思った。だが、手抜きかつヘルシーな自炊料理でも、つい手が伸びてしまう惣菜でも満足できていないという現実がある以上、「ほんとは自炊したい説」の検証から入った方が話が早そうではある。

検索で解決しない悩みがあるときは、まず本を読む。私はさっそく、図書館の検索機能で自炊に関する本をピックアップすることにした。

料理に関する本はだいたい料理が好きな人が書いているし、読者も料理好きが多いんだろうな。もはや料理をしようっていう気持ちがある人向けの本しかないんじゃないか。そんな私の予想通り、図書館の資料検索で出てきたのは、レシピ本やフードエッセイ、時短料理本などがほとんどだった。

「ヘルシーだけど満足感のあるレシピ」を現段階で知っても具体的すぎて何も解決しないことだけはわかる。「海外にいたころ、まわりの〇〇人はこんなシンプルなものを食べていた」系もいまはまともに読めない。「〇〇をていねいに味わう」系もたぶん無理。もっと料理を哲学するみたいなやつはないんか、ワガママ言ってごめんだけど。

そのとき、資料リストのひとつに目が止まった。

山口祐加・星野概念『自分のために料理を作る』

著者のもとに寄せられた「自分のために料理が作れない」人々の声。「誰かのためにだったら料理をつくれるけど、自分のためとなると面倒で、適当になってしまう」。そんな「自分のために料理ができない」と感じている世帯も年齢もばらばらな6名の参加者を、著者が3ヵ月間「自炊コーチ」! その後、精神科医の星野概念さんと共に、気持ちの変化や発見などについてインタビューすることで、「何が起こっているのか」が明らかになる――。

「自分で料理して食べる」ことの実践法と、その「効用」を伝える、
自炊をしながら健やかに暮らしたい人を応援する一冊。

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これこれ、こういうのを探してたんだよ。静かな興奮をおぼえた。

図書館で予約待ちになっていたけれど、私の勘が「いま読まなきゃ絶対!」と言ったので購入した。結果として、この本は棚に置いておきたいと思ったので、とてもいい買いものになった。

いざ本をひらいてみると「自分のために料理ができない」参加者の言葉に「それな〜!!!!」の嵐で、買ったその日に読み終えてしまった。

①自分の中の小さな自分に食べたいものを聞いてみる

ギョッとしたのは「自分の中の小さな自分に食べたいものを聞いてみてください」という部分だ。食べたいものが浮かばなければ「何を食べたくないか」を聞いてもいいという。私はこれを全然やっていなかった。むしろ「冷蔵庫にあるものを適当に食べればいいじゃん。これ食べときゃ簡単だしヘルシーなんだし、おいしいもの食べたいなら外食すれば〜」と言っていた。

私は母にとても感謝している。彼女は「あるもの適当に食べといて」という人ではなかった。母は自分で料理上手でも料理好きでもないと認めていたけれど、私が食べたいものを言えば(栄養価的にみてもOKであれば)つくってくれたし、いわゆる「名もなき料理」で好きなものもある。

最後に食べたいものをつくったのはいつなのか、まったく思いだせない。ひとり暮らしをはじめたころは、レシピを探して好きなものをつくっていた気もするけれど。

②おいしさの9割は安心感でできている

「おいしさの9割は安心感でできている」という言葉も印象に残った。私は私のつくる料理を信頼していないのかもしれない。味つけがいい加減なので、まずくはないけどべつにおいしくもない。火を通しすぎておいしくないことも結構ある。同時並行でいろんなことを片付けるので、火力の管理が適当になりがちなのだ。ていうか、自分でつくる料理で好きなものとかないかも。

でも、せっかく自炊する機会があるのに、もったいないんじゃない?

③オーダーメイドな料理人

作る自分と食べる自分を分けて考えることで、世界でたった一人の、なんでも言うことを聞いて作ってくれるオーダーメイドな料理人が誕生します。しかも、どこに行ってもその料理人がいてくれるわけです。

山口祐加、星野概念『自分のために料理を作る 自炊からはじまるケアの話』晶文社, 2023.08.30, p.64

家にいることが多いので、平日も1日1回は(さいきんはサボりがちだったけど)台所で食事を用意する必要があるが、その時間を「やりたくねー!」と思うより、たとえ大好きにはなれなくても「まあこんなもんかな」と肯定できたら、それだけでだいぶ幸せに生活できそうだ。

スーパーに行くのはわりと好きだし、行く時間さえとれれば結構楽しくやれるのかもな。家事にも慣れてきて、誰かとくらべたことはないけれど、手際が極端に悪いこともないはずだし。

まずは「何が食べたい?」と自分に尋ねるところから始めて、ちょっとずつ小さな自分とのつながりを取り戻していきたい。

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