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生きることを諦めているのかもしれない

「生きることを諦めているのかもしれない」
1人になった静かなリビングでふとそんなことを思った。別に死のうと思ってそんなことを思ったわけではない。ただ、なんとなく。

やるべきこと、やりたいことはあるはずなのに何もしない自分。別居先で子供たち2人に悪戦苦闘しながら頑張る妻。やりたいことを実現するために努力を惜しまない友人たち。愚痴をこぼしながら仕事を頑張る職場の人々。頭を抱えながらも夢のために公募に応募するSNSの人たち。全員が必死に生きている、人間らしく見える。

僕はといえば怠惰や無気力に打ち勝てず、「あとで、少し休憩してから」なんて言い訳をしながらスマホを片手に特に役に立たない情報を眺めている。理想とする人間らしい生活とは真逆の生活。「人生を変える」なんてのは意気込みばかりで、現実に勝てずに何もできずにいる。

心のどこかで諦めているのだろう。人生なんて変わるものじゃないと。変えるには時間が足りなすぎると。お金がないと。ないものばかりが目について仕方がない。

時に諦めも大事だが、諦めるにしては28年の人生で何もしていない。まだ28歳なのか、もう28歳なのかはわからない。泥臭く必死に生きることをカッコ悪いと決めつけ、自分の人生すら他人事のように達観して生きている。

これでいいはずがないのはわかっている。諦めを達観と言い換えて何もしないなんていいわけがないのもわかっている。どうしてこうなのだろうかと自責の念にかられてばかりだ。

こんなことを書いていても仕方がないのだが、なんとなく書かずにはいられなかった。書いてもダサいだけの支離滅裂な文章。公開しても意味のない文章。他人には見せたくない思考。

全て諦めるか、1つずつ拾い上げながら歩んでいくか。どっちがいいのかなんて自分が1番理解している。

自分よ、もう少し泥臭く必死に生きてみたらいいんじゃないのかね。どうせいつかはみんな死ぬのだから。生きてる時くらい人間らしく。

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