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【前十字靭帯損傷の記録#1】左膝に衝撃が走った日

45歳にして、生まれて初めての大怪我をした。診断名は「左膝前十字靭帯損傷(ほぼ断裂)」。

ライターという職業柄、怪我についての記録を残しておきたいという欲がフツフツと湧いてきたので、noteを書くことにした。これからスポーツ復帰を目指す自分へのエールも込めて。


PTAバレーボール部、エースとして過ごす最後の年

まずは怪我をした背景から説明したい。

中学校の3年間をバレーボール部で過ごし、そのまま引退。いつかまたバレーボールがしたいなぁと思っていた私は、今から7年ほど前に、長男が通っていた小学校のPTAバレーボール部に入部した。実に20年余りのブランクを経ての競技復帰だった。

今はPTAバレーボール部と、そのOGメンバーから成るクラブチームの2つに所属している。

私が居住している市では、毎年7月末にPTAバレーボール大会が開催される。長男はすでに中学生になっており、小学校に在籍しているのは6年生の次男のみ。保護者は子どもの卒業と同時にPTA会員ではなくなるため、少し早いけれど7月の大会が事実上の引退試合となるのだ。

4年前からエースアタッカーを任された私は、最後の晴れ舞台で結果を出すためにずっと練習を重ねてきた。少しずつスキルアップして、自信もついた。

「今のチームの実力を知りたいよね!」とみんなで話し合い、力試しのつもりで参加した市民大会。それが2023年5月7日(日)のこと。

私にとって生涯忘れられない日となった。

いつも通り着地したはずだったのに…

PTAバレーボール部としては、市民大会に初めて参加した。最初はいつもと違う雰囲気に戸惑ったけれど、1試合目で勝利して「次もやってやるぞ〜!」とみんなノリノリ。

そんな中で、私は絶不調だった。とにかく体が重くて、スパイクがうまく打てない。もともと好不調の波が激しいタイプなので「そのうち調子が上がってくるだろう」と考えながら、2試合目に入る。

第1セットの途中からようやくスパイクが決まりだし、21点目を先取して勝利。第2セットでは調子が上がってきて、スカッとするようなスパイクが決まった。

少し疲労を感じはじめたゲーム中盤、いつもよりかなり短いトスが上がる。助走のため外側に大きく開いていた私は、素早く走り込んでジャンプをした。なんとかボールを返して着地した瞬間。

ビーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!!

左膝全体に今まで感じたことのない衝撃が走った。

「これはヤバイ」と即座に思い、ベンチで見守るコーチに交代を要求。クラブチームから助っ人で来てくれていたメンバーと交代し、足を引きずりながらも自分で歩いてベンチに座る。

左膝の痛みは引き、違和感もなし

「捻ったかな。どうしよう」と考えているうちに、痛みが落ち着いてきた。コーチや助っ人のメンバーと談笑したり、ドリンクを取りに移動したりする余裕があったため、コーチからは「次の試合には出られそう?」と聞かれる。

コートで戦っていたメンバーのおかげで2試合目も勝利。痛みが引いたので第3試合に出るつもりだった私は、ウォーミングアップのためにみんなと軽く走りはじめた。でもしばらくすると、膝の奥のほうに、ほんのわずかだけれど刺すような痛みを感じた。

「んー。念のため休んだほうがいいかも」

いつもだったら、多少の痛みぐらいなら我慢して試合に出てしまう。けれど、引き続きベンチで応援することを選んだ。

今となっては、その決断をした当時の自分を褒めてあげたい。無理をして試合に出ていたら…と考えると恐ろしい。

でもあの時は「試合に出ちゃおうかな」と思ってしまうほど、左膝の痛みは少なかったし違和感もなかったのだ。

市民大会の結果はというと、第3試合には負けたものの、得失点差で3位となった。私は表彰状を受け取るみんなに拍手を送りながら

「軽い捻挫かな。早く治さなきゃ!」

そう思っていた。


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