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中世の生理

月経は、少女や女性の人生における重要な節目であり、
身体や社会的地位にさえ変化をもたらす生物学的なプロセスです。

しかし、中世の衛生習慣に関する知識をもとに、
中世に生きた女性たちのことを考えると、同情せずにはいられません。

生理用ナプキンやタンポンといった現代的な便利さを持たない彼女たちは、
月経周期の間に自分の体に何が起きているのか、
その複雑さを理解していたのだろうか?
彼女たちはどのような生理用品を利用し、
それに伴う痛みをどのように和らげていたのだろうか。

中世の月経血をめぐる信仰が、時に幻想的な境地に達し、
月経血を潜在的な魔力と結びつけていたのはなぜなのか?

そしておそらく最も興味をそそられるのは、
なぜ中世の女性はヒキガエルを焼いた灰を詰めた袋を
身につけていたと言われているのか?

今回は中世の歴史から月経との向き合い方をご紹介します。


中世の生理

中世の時代には、
ほとんどの女性にとって月経が定期的に起こることは
珍しいことであったかもしれません。

人口のかなりの割合、最大85%が農民であり、
その過酷な生活の結果、男女ともに栄養不足、
ビタミン不足、疲労困憊を経験ています。

このような要因が、ホルモンバランスの乱れや
月経周期の乱れにつながる可能性があったと考えられます。

ある助産婦が指摘したように、
月経は時に不規則で、早すぎたり遅すぎたり、
頻度が多すぎたり少なすぎたり、まったくなかったりしたとか。
さらに、出産や授乳の割合が比較的高く、閉経の年齢が早かったなど、
中世の女性特有の事情もあり、現代の女性に比べて月経周期が少なかった
と言われています。

しかし、中世における月経の理解と認識は、
宗教的信念、医学理論、社会的態度など、
さまざまな要因が複雑に絡み合って形成されたものでした。

中世の考え方の多くは、長老プリニウスやアリストテレスなどの
グレコ・ローマ哲学者の教えに影響されていました。

これらの学者たちは、
月経血と結びつくとワインが酸っぱくなったり、
農作物が枯れたりするなどの悪影響があるという考えを広めていたそうです。

月経血は "毒 "であり、奇妙な魔術的結果を引き起こすという
歪んだ認識が、中世の神話を永続させたのでした。

中世の歴史

厳格な独身誓願を持つ男性が
中心的な役割を果たすことが多かった中世カトリック教会の
役割も考慮しなければなりません。

教会は女性を猜疑心の目で見ており、誘惑の対象であり、
完全に信頼できるものではありませんでした。

聖書や宗教的な教え、特に4世紀の聖ヨハネ・クリュソストムの教えは、
このような考え方を永続させました。

例えば、クリュソストムは女性を友情の敵、避けられない罰、
必要悪などと蔑称で表現しています。
このような女性に対する否定的な態度、
特に月経に関する態度を形成した教会の役割は否定できません。

中世には、ガレンやヒポクラテスのような医師たちも、
女性の身体を理解する方法に足跡を残しています。

ガレンの四体液説は、
これらの体液のバランスが崩れると病気になると示唆したものです。

体液性の体質を持つ女性は、"湿性 "で "寒性 "であり、
"乾燥性 "で "高温性 "である男性よりも優れていると考えられていました。

そのため、女性の体からは余分な血液が分泌され、
健康維持のためには月経によってその血液を排出しなければならない
と考えられていたのです。

女性の身体の機能に関する誤った情報と知識不足が相まって、
こうした考えが生まれたのだと言われています。

中世の医学

中世ヨーロッパでは、女性器に関する専門用語は存在せず、
女性の生殖解剖学的理解も原始的なものでした。

女性の子宮は7つの細胞で構成され、3つが男性、3つが女性とされ、
中央の細胞は無駄になった卵子や両性具有の子供が
成長する可能性のある場所と考えられていました。
こうした誤解が、月経を取り巻く神秘的なオーラをさらに助長したのです。

多くの女性が経験する月経痛は、
イブの原罪に対する神の罰と考えられていました。

この考え方は、
月経中の女性の痛みは一種の報復であるという考えを広めたものです。

驚くことに、月経中の痛みを和らげることはほとんど重視されておらず、
女性は薬草療法に頼らざるを得なかったのです。

ヒキガエルを燃やした灰を詰めた袋を身につけると、
けいれんが緩和され、量が多くても大丈夫だと信じられていました。
この型破りな方法は、
中世の知識不足と利用可能な資源の不足を物語っていますね。

中世の生理用品は初歩的なものでした。
女性はボロ布を吸収体として使用し、そのボロ布はしばしば折り畳まれ、
大きさに合わせてカットされ、ピンで固定されていました。

裕福な女性は、血痕を目立たないように
赤いペチコートを着ることもあったそうです。
月経にまつわる羞恥心から、
女性たちは甘い香りの花やハーブを使って経血の臭いを隠していたとか。

興味深いことに、沼地で発見されたコケは "血苔 "と呼ばれ、
吸収性が高く、戦場では出血した傷を食い止めるために、
また月経時には経血を管理するために使用されていました。

地球の反対側にいる中国の女性は、
砂を吸収材として使っていたと言われています。
砂は飽和状態になったら捨てられ、
布は洗って次の生理のために再利用されていました。

時の流れにもかかわらず、
中世の月経に対する否定的な考え方、その不純さ、
月経にまつわるタブーは、永続的な遺産を残しています。

今日でさえ、月経の話題は多くの人々にとっていささか恥ずかしく、
タブー視される場面も多くありますよね。

このことは、
中世の考え方が私たちの集団意識に
永続的な足跡を残していることを示唆していると考えます。

最後に

医学の知識が不十分だった古来より受け継がれた考えによって
必要なプロセスである月経が不純なものだと思われてしまうのは
とても悲しいことです。

今でこそ理解されつつありますが
触れづらいテーマではあります。
女性だけでなく、男性にもきちんと理解していただきたい内容です。

歴史に触れ少し違った角度からご紹介させていただきました!
最後まで読んでいただきありがとうございます!

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