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過去を振り返る【viaシンガポール滞在】

 初めての海外勤務先(プラント建設現場)は、シンガポールであった。FIFAワールドカップ2002開催の年であったから正確には22年振りとなるが、勤続20周年のタイミング(*)でシンガポールを妻と二人で訪れた(*コロナ禍で数年延長のため)。
 今回は、自分自身のため、今後の20年のため(?)に、今の感覚というか、感じたこと等について「備忘録」として この note を残しておきたい。 
 なお、後段に3ページにわたる記事を貼り付けているが、これは、ある技術協会の機関誌に寄稿した当時(2002年頃)の原稿があったのでスキャンしたもの。内容や文章には、誤認識していたところがありそうだが、そのまま掲載(文責はすべて筆者。ご容赦いただきたい)。

 2002年の当時(25歳時)は、仕事を覚えて、仕事をこなすことに必死だった。ゆっくりと休みを取得することもあまりできなかったし、また現在のようなスマホもなく、SNS等も浸透しておらず、写真や記録に残すことをしていなかったので実家に残っていた当時の写真や日本にいる家族とのメール、そして自分の記憶を頼りに訪問したい場所に行って、懐かしい記憶を愉しむとともに、新しいシンガポールもしっかりと堪能させてもらった。
 今回の移動手段は、MRT(Mass Rapid Transit:大量高速交通機関)と徒歩を駆使。タクシーは便利だが利便性に頼りすぎると方向感覚や自分の記憶にも残りにくかった(2002年時の経験)ことから、MRT等が動いている時間帯では利用しないことにした。おかげで、2~3万歩/1日歩くことになったが、暑い中付き合ってくれた妻にも感謝したい。

今回、さまざまな場所を訪れたが、主要な写真とともにメモとして記録していく。

歴史ある中華街のホーカース。

Maxwell Food Centre (マックスウェル・フード・センター)
シンガポール到着時の平日夕方に夕食として利用したが、16時30分過ぎ頃の様子
既に混雑し始め活気を感じた。
元々はこちらのお店を目当てにしていたものの、この写真の右側後方にも長蛇の列があり、
残念ながら別のお店を探すことにした。
今回はこちらのお店を利用。このお店も結構並んでいたが、許容できる列の長さ。
日本のササニシキを使用しているようで、その炒飯等も人気な様子。
注文後、タイガービールを飲みながら料理を待つ。
やはり、30度を超す暑いところではビールが美味しい。
こういうところで日本酒が飲みたい、とは正直思わなかった。
(もしもあれば飲んだかもと思ったのは、スパークリング系の日本酒か・・・)
二人でシェアしていただいた。ほど良い辛さでビールがすすむ。


マーライオン・パーク周辺の夜景散歩。

Google Mapで調べてみると、チャイナタウンからマーライオンパークまでは約2km で25分程。雨も降らなそうなので散歩しながら向かうことにした。

人の少ない路地裏を散歩できるのも良い感じ。
また、こういう路地裏にもゴミは落ちておらず、
両脇の植込み等もしっかり手入れされていて、
きれいな街づくりをしていることを実感できる。
途中、スターバックスに寄り休憩を取りつつ、
お土産のぬいぐるみと、米国でも集めていたマグカップを買う。
すっかり薄暗くなってきて、夜景がきれいな時間帯になってきた。
スターバックスから10分程あるくと、このような夜景が見えてくる。
マーライオン・パークにて。
周囲には家族連れ・カップル等がいたが大混雑という程でもなく夜の散歩を楽しんだ。
2002年に来たときは、この場所には無かったし、
後段記事(2/3)の写真のように、引越し(工事)中だったので、
今回まともにマーライオンを見ることができて良かった。

2002年滞在した昔の宿泊先へ行ってみる。

MRT クレメンティ駅で下車し、朝の通勤客でごった返している脇を通って昔の宿泊先へ。
MRTのクレメンティー駅から25分程歩く。
まだ朝の9時前頃。
日差しが熱く感じられ汗ばみながら、こういった歩道を徒歩で移動。
もちろん歩いている人は非常に少ない。
Google Mapを頼りに、歩道があるところを歩き続ける。
プラント建設現場は、ジュロン島の工業地区にあったため通勤に便利な地域が宿泊場所であった。20数年経過しており周囲には開発が始まっているところもあり、
建物自体が無くなってしまう可能性もあったが無事に残っていてよかった。
朝早くから夜遅くまで働いていたので、明るい時に建物全景の記憶がなかったので新鮮・・・。
建物内部はちょっとしたMallになっていて、当時のテナントは変わっていた。
現在は、ダイソーや日本酒を飲める日本食レストラン等もあった。

夜は、やはりナイトサファリへ。

2002年の時、サプライヤーSVと仲良くなり、ナイトサファリに一緒にいった。
1994年にオープンし、おそらく当時でも世界初?の夜だけのサファリパークだったと聞いている。
(今では日本国内にもたくさんあると思うけれど・・・)
当時としてもなかなか面白いコンセプトだと感じていて印象に残っていたので、
今回、妻と一緒に訪れたい場所の一つだった。
ショーの見せ方も工夫されていて面白かった。
携帯カメラの性能が良くなくうまく撮影できていないが、トラムライド後に徒歩でも一周して、
ナイトサファリを楽しませてもらった。
余談になるが、チケットは事前にネット予約したものの、
チケットがメール配信されてこないというトラブル。
コンタクトセンターとメールやり取りし、購入したエビデンス等を
送付して、なんとか当日の来訪時間までにはチケットが配信され一安心。

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ。

ガーデンズ・バイ・ザ・ベイのクラウド・フォレストやフラワー・ドーム等も訪れてみた。ここはシンガポールの国土緑地化政策の一環として、2012年にオープンした模様。2002年にはこのようなところはなかった(と思う)。

スーパーツリー(なんとなくアバターの世界を感じる場所)
クラウド・フォレスト内の様子。
枯れている植物はなく、作り物なんじゃないか。と、疑いたくなる程手入れがしっかりしている。
作り物ではない”本物”ということは、人目につきにくいところに目を向けてみると良くわかる。

リトルインディアでランチ。

2002年時に、計装工事業者の現地監督のインド人とも懇意にしてもらっていて当時リトルインディアにも連れて行ってもらった。後段の記事にある激辛のカレーは今回食べなかったが、雰囲気の良いレストランでランチを楽しませてもらった。

スリ・ヴィラマカリアマン寺院
スリ・ヴィラマカリアマン寺院前の説明看板
ラグナー・ベア・フット・ダイニングでランチ
靴を脱いで2階の部屋で食べることができた。
冷房の効いた部屋でリラックスしながらランチの時間を過ごすこともできた。

朝食は、ローカル流のカヤ・トーストで。

Ya Kun Kaya Toast
カヤジャム:ココナッツミルク、玉子、砂糖、パンダンリーフ等から作られた伝統食。
カヤジャムとバターを挟んだトーストと半熟玉子のコピセット。
朝にやさしい味で非常にリラックスできた。
いろいろなお土産があるなかで、地域に根差した味。
…のような気がしたのでカヤジャムをお土産に選ぶ。

その他にも訪れたが、書ききれないのでとりあえず残しておきたいメモ(note)はここまで。


ある技術協会の機関誌に寄稿した当時(2002年頃)の原稿(3ページ)より。

捨てずに保管してくれていた親にも感謝…。

(1/3)
(2/3)
(3/3)

終わりに

 2002年。今から、22年前。さらに息子2人も増えて”にぎやか”になり、別の海外出張や海外駐在も経て現在に至っている。振り返ってみると本当にあっという間であったが、いろいろなことがあったと思う。過去を振り返ってみる時間、初心になってみるタイミングを積極的に持つ、というのは大切だと改めて感じた。
 次の20年後にシンガポールがどのようになっているか、また見てみたい気がしてきた。そう考えると、また明日からも頑張っていきたいと思う。

日の丸のシールを貼られてサムライ・ジャパンを応援する長女・・・。今春、無事に大学卒業。


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