学校管理下の状況と自己責任について

学校(学校関連、PTA関連)で何か催しを行う際に、いつも僕が気にしてたのは

「誰の決定と責任においての行動なのか?」

ということです。
那須の雪崩の事案について、ここから考えてみます。

学校の催し(行事)と言ってもいろいろありますよね。その中で万一事故、あるいは何らかの損害を被ってしまった場合その責任というのはどのようになるのでしょう?

「自己責任は自己決定権が保証された状態ではじめて機能する」
と、僕は考えていて、
「どのような形でも、強制された決定の元では自己責任は機能しない」
とも言えます。

学校関係の催しにおいても同じと思うので、僕の中ではその責任の所在と本人の決定に関与する度合いから、こんなふうに分けて考えてます。

1.まさに学校活動そのもの。
直接的に(通知票に記載される)出席管理をされる学校管理の時間。登校から下校までの、授業や行事(運動会や遠足、修学旅行など)

2.学校活動ではあるが、選択肢がその前に用意されているもの
基本的にその行動は学校内活動と位置づけられ、その参加不参加については生徒の自主性にまかされるが、その後の活動自体は教職員の管理下にあるもの
部活動、課外活動など

3.有志やPTAなどによる自由参加のもの
PTA活動、学級レクリエーションなどでその管理者が教職員ではない、あるいは教職員としての職責外(のもと一参加者として存在する)。

僕が関与することがあるのは基本的に3.で参加や途中退出は自由に選択できるもの
なわけですが、その場合の基本スタンスは「嫌だったら(怖かったら)来なくてもいいんだよ」という完全に本人と保護者の自由選択です
その上で、僕の管理責任の範囲を明確にして、ここまでは僕が見るけどこれ以上は保護者の責任で判断、行動してね。ということを確認するようにしています。
(僕の想定する、共有できる環境下で、事前の指示に従い僕の管理下にいるうちはその責任は僕も負う必要があり、でも参加者以外、例えば兄弟とか同行者は責任負えませんよとか、どうしてもこの装備をつけずに行くというのであれば僕は責任が負えませんよとか、そういう感じ)

これが、1.の場合は絶対的に生徒本人に行動の決定権はありません
「行って当然」「行かないという選択肢が基本許容されない」。「学校イヤ」で行かなければ登校拒否とか言われちゃう。例えば体育とかでも、当然、教職員の指示に従った管理下で何か事故があればその責任は相当な部分で学校も負うことになるでしょう。「怪我したお前の自己責任」なんてことは許容できないですよね。

で、ちょっと悩ましいのは2.の場合
枠へ入るか入らないかの選択肢はあるが、いったん枠に入るとその判断や決定権は管理者に委ねられる
わかりやすく部活なんかがそうですが、「部活に入る」「部活を辞める」という選択は本人がするので強制ではないところがスタートなのですが、一旦その枠に入ってしまうと「入部」「退部」以外の選択や判断は部活の顧問に委ねられて、ほぼ1.と同じような状況になっているのではないかということです。
感覚的に僕は実質1.とほぼ変わらないものと思っているのですが、要するに参加生徒本人には自身の選択や決定権がない以上、ここでも自己責任は求められないはずです。

繰り返しますけど、

「自己責任は自己決定権が保証された状態ではじめて機能する」

まず、今回「学校」「部活動」という組織であったこと。
これって、自由意志の集まりのように見えて、実は参加者(参加生徒)にとっては全然そんなものじゃないと思うんですよ。
部活で、選手に選ばれれば「実力以上に頑張る」ことを要求されるだろうし、今回で言えば、講習会に参加しなければその後の部活動が制限されるとくれば、「自分の能力では、きついからやめる、怖いからやめる」とはまあ間違っても言える環境ではないはず。

正直コレは自己責任が要求される危険レベルの屋外活動をさせちゃいけない。

審判がいて試合や競技を関係者である人間が、場を完全にコントロールできて、本人がギブアップしたら試合がそこで終了。ってものならば、たとえそれが格闘技だとしても自分で終わらせることは保証されてるわけです。

ところが屋外活動が絡むものだと、選手が戦う相手が人間でなくとてつもなく流動的かつ人為コントロールの及ばない自然であることからすれば、生命にかかわるような判断が、個人の決定に左右される部分が多いわけで。

そこには「辞めるを含めた選択の自由が保証されている」必要があり、なおかつ学校活動の中で「そのような(生命やグループの障害にかかわるような)重大な決断や挑戦を一生徒にさせちゃいけない」はずなんです。(決断をさせてしまうと、何かあった時に責任を負えということになるから。手続き上そうではなくても、本人にはその重責が終生のしかかることになるしね)なにより、学校活動で参加生徒に「自己責任」を要求するのならそれはもう学校活動の範疇を超えた無理のある活動だと思うのです。

特に今回の件で、なんか違和感を感じてたのがここで、競技性の登山は「人対人」の競技ではなく、「人対山」の競技なんだよね。

人のコントロールできない可能性(つまり自然環境)があるような活動ならば、安全に関してはそれはもう大きな安全へのマージンを確保して行うべきで、ギリギリの中を進むのは絶対ダメ。そしてそれを管理、監督するものは自然への畏敬の念をと大げさに思えるほどの慎重さと謙虚さもってなくちゃいけないんです。生徒という立場の人間を危険にさらすのはどうあっても許容できないんですよ。

追記

これ、生徒について書いてた話なんだけど、実際は部活顧問についてもいえる部分多いかもと思えてきてます。

想定外の業務命令で専門外どころかずぶの素人が顧問をする事も当たり前にあるとか聞くと、さらにもひとつ責任の所在が怪しくなり、その責任を負うべきは本当はどこなのかをしっかり考えなくてななりません。

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