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企業のブランディングが、他者への理解力を奪ったのかも知れない

最近見かけたTweetより


Twitterで、こんなTweetを見かけました。

元になった記事はこちらです。(有料)

有料記事なので、直接の引用は控えますが、鴻巣さんご自身が、下のような内容もTweetされています

さて、このような社会になった理由として、ふと思い当たることがありました。

ブランディングの基礎は共感

私自身、ブランディングについては、会社経営としても学んでいますし、実際に、自社に取り込んでもいますが、

ブランディングの基礎になるのは、自社のブランドに「共感」してもらうことです。共感してもらいたいターゲットを設定し、ペルソナを構築したり、あるいは、自社の強み弱みを整理し、ストーリーを組み立てたり、といった作業をしていきます。

「共感 ブランディング」で検索するだけで、本当にたくさんの記事が出てきます。

本当にたくさんの事例がありますが、ここでは、宣伝会議の記事のリンクを張っておきます。


そして、ブランディングの上手な企業は、本当に上手に、ターゲット層、そして、社会の「共感」を得ることに成功しています。

「自分が共感出来るものが周囲にあるのが当たり前」という環境


ですが、一方で、ブランディングが浸透する余り、我々一般消費者は、常に「ねえ?あなた、これに共感するでしょ?」と、目の前に共感するストーリーを上げ膳据え膳で提供されている状態に、どっぷり浸からされているとも言えるのではないでしょうか。

私は食品業界ですが、食品も、「顔の見える生産者」「なんとか農法に取り組むストーリー」など、「共感」を得るマーケティングが盛んです。

それは、洋服でも、例えばオーガニック素材への取組に共感したり、家財道具などでも「エシカル消費」と呼ばれたり、外食のレストランも「美味しさ」だけではなく、シェフや経営者の姿勢に「共感」することを選択基準に置いているし、また、事業者側も、それを前面に出すことによって「共感」を得ようとしている。

いつのまにか、私たちは、「自分が共感出来るものが周囲にあるのが当たり前」という環境になっているのかもしれません。

「共感出来る商品やサービスにしか出会わない社会」が来てるかも

共感マーケティング、共感ブランディングが、ここまで盛んになる前は、自分が共感出来るような商品やサービスに出会うことは、それほど多いことではなく、だからこそ、たまに「共感」出来る商品やサービスなどに出会うと、感動もひとしおだったわけです。

そして、「共感」出来ないなりに、商品やサービスを使いこなそうとしていた、使わざるを得なかった。使わざるを得ない中で、自分と商品やサービスとの距離感、折り合いを意識的にも、無意識的にも設定していた。

それが、近年、インターネットが普及し、SNSが発達し、様々な発信が出来るようになり、自分が「共感」出来る者だけ選んだ生活が出来るようになり、実際に、そういうライフスタイルが「自分らしさ」として称揚されるようになってきた。

さらには、その「自分らしさ」がたくさん集まることが「多様性」と呼ばれるようになっているとも言えるかも知れません。

ですが、「自分が共感出来る商品やサービスが溢れた世界」が進行して行くにつれ、その裏で、「自分が共感出来ないものを避け続けたまま、一生を終えることが出来るようになりつつある」とも言えるのだと思います。

それが、冒頭、鴻巣さんのTweetにある

「自分と似た立場、感覚、考えの作者や人物は「共感しかない」と全肯定し、自分から遠いそれらは「このひと無理」と全否定する。同類を抱擁し異類を排除する光景」

に、つながっているのかも知れないと、ふと、思い至りました。


ここで、ギリギリ関連しそうなことで、朝井リョウさんの小説「正欲」から、登場人物のある台詞を思い出したので、引用して終わりたいと思います。

「自分が想像できる” 多様性〟 だけ礼賛して秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」
「お前らが大好きな〝 多様性〟って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」
「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱい ある。 そう思い知らされる言葉のはずだろ」



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