「世界観」と「虚構」
最近、なんか楽しくないなぁ。
楽しいことないかなぁ。
そう思うこと。たまにあります。
周りに愚痴を言いたくなることも。
それって、自分のせいなんだろうか?
それとも周りのせいなんだろうか?
僕は半々かな、って思っていました。
よく、いじめが起きたとき、いじめた人が100%悪いという人もいれば、いじめられた人にも原因がある、という人もいます。
半々ってことは、僕は
「半分は自分が悪くて、半分は相手が悪い」って思ってるんだろうか。
最近、「あ、そうじゃないわ」と思ったので、そう考えるようになった「虚構」「仕組み」のことについて、書いてみようと思います。
虚構
「サピエンス全史」という本に出てきた、「虚構」の話。
人間が地球上で頂点に君臨した理由として、生物学の研究者は「認知革命」を提言しました。
牙はない。爪も鋭くない。空も飛べなければ、足もそれほど速くない。
唯一の人間の武器は、頭脳と武器を使えること。
そう習いはしましたが、よくよく考えると拳銃のない時代に、武器があったとしてライオンに1対1で勝てるか? と言われると、僕は勝てる気がしません。
じゃあ、どうやって人間は?
まあ単純な話で、数で勝ったんだということがわかると思います。
ライオン1匹に対して30人でかかれば、まあなんか勝てそうな気もしないこともないです。
ただ、集団で生きている生き物は、他にもたくさんいます。
ヌーとかも大群で走っているじゃないですか。サルも集団でキーキーゆーてます。ここで肝になるのは、ただ集団で存在するのではなく、みんなで生き残る連携が取れているかということです。
人間は、この連携をとる数が圧倒的に多かったといわれています。ヌーって大群で走っていますが、一匹がやられてもみんなひたすら走って逃げるじゃないですか。
生物は、自分が生きるために逃げ回り、食べ物を追う。ナワバリを作り、天敵がきたとき、それをみんなに伝えることくらいはできます。しかし、自分の身を投げ出して助けることはしない。せいぜい自分の子どもくらいです。
では、なぜ人間は集団で連携をとることができたのか?
それが「虚構」の力です。
言い換えると、嘘、噂、空想、予想、などなど。
ライオンがきたとき、「ライオンがきたぞ!」と周囲に知らせ、一斉に逃げることくらいは他の生物でもできる。
加えて人間は「もしライオンがきたらどうする?」「ここで昨日ライオンの群れを見たと〇〇が言っていた」
という、今この瞬間の出来事ではないことの会話ができた唯一の生物、だそうです。
それによって、我々は対策をうつことができるようになりました。
「ライオンは一人じゃ勝てない。みんなで力を合わせて闘おう」「ライオンがきたときのために、罠を仕掛けておこう」
そうして、協力者を募り、みんなで生き残る道を作り出したのです。
また、より多くの協力者を生み出すために、人間は見えないものを作り出すようになりました。
その最もたるものが「神の存在」です。
「この山には守り神がいる。私たちはその守り神に守られているひとつのチームだ。そしてその守り神は、共に闘えと言っている」
神の存在は宗教を作り、弱い人間の心を支え、集団を加速度的に大きくしていったと言われています。
お金という虚構
そしてこの虚構は、様々なものを生み出しました。
ひとつが、「お金」です。
「この紙は、りんごと交換することができます」
急に誰かが折り紙を持ってそんなことを言っても、「は?」てなります。ただ、僕たちは人の顔が描かれた「お金」という紙切れが、りんごと交換する力を持っていると信じています。
世界中の人たちが、それを信じている。
だから、お金という「概念」は成り立つのです。
ものには「使用価値」と「交換価値」があります。
りんごは食べたらお腹が満たされます。これは「使用価値」です。しかし、お金は何かと交換して初めて使用価値が生まれます。
これは、お金が「交換価値」しか持っていないからです。
つまり、みんなが「このお金使えないらしいよ」と思った瞬間、お金は価値がなくなります。
池上彰がこれを言っていて「なるほど」と思いました。
社会
もうひとつ、大きな虚構として、「社会構造」があります。
日本で言えば、「資本主義」です。
資本主義は、簡単に言えば「自由競争」を促す経済活動です。
「みんなが自由にモノ・サービスを作る。それがあちらこちらで生まれる。他のモノ・サービスの方が良かったら、自分のモノは売れなくなる。だから、もっと良いモノを提供しようとしたり、価格を下げて提供する。そうすると、質の良いものが、適正価格で手に入るようになる。そうやって、社会に良いモノ・サービスが溢れ、世の中は良くなっていく」
ざっくり言えば、そんな感じだと思います。
企業は、より良いサービスを提供するために利潤を追い求めていきます。利益を出すには、コストに余剰価値をつけて提供する必要があります。
このことを詳しく知りたい方は、池上彰の「資本論」がおすすめです。
気になる方はぜひ。
問題はこの「資本主義」って、本当に人々を幸せにしているんだろうか?ということです。先ほども言ったように、資本主義は利潤の追求。つまり、資本を拡大し続けることこそ幸せだということ。
実際、一部の資本家はどんどん資本を拡大させています。
気づけば、世の中は数十人の資本家がもつお金と、下位層30億人がもつ金が同じくらいだそうです。
それは置いといて、僕たちは「資本主義が僕たちの生活を良くしてくれる」と世界が信じた結果、今の世の中なんだということを知っておくべきです。
社会主義
資本主義と対比で見られる仕組みが「社会主義」です。
簡単に言えば、「平等」を促す経済活動です。
「経済手段を社会で共有する。そうすると、必要なモノ・サービスが、必要な分量だけ最適に分配されるようになる。その結果、みんなが平等で、豊かな世界になる」
ざっくりいうとこんな感じです。ただ、実際は社会主義で成功した国はありません。なぜなら、「社会で共有=国が所有する」ことになり、ほとんどの国が独裁国家となったからです。
また、平等を促した結果、怠ける人が増えたそうです。
「どーせ頑張ったって意味ないじゃん」と多くの人が考えた結果、国力が弱まり、経済破綻を起こしたのです。
社会主義の国が総じてうまくいかなかったことも、「やっぱり資本主義だよね」という考えを加速させたと言われています。
人生構造を考える
色々書きましたが、僕が言いたかったことをまとめます。
僕たちの幸せには、少なからず「仕組み」が関わっているということ。その仕組みは、誰かの虚構によって作り上げられたものに過ぎないということ。そして現在、それによって心から幸せを感じていない人が大多数なんだという現状があります。
確かに、自分で解決できる問題もあります。実際幸せそうな人もいるので。
ただそれ以上に、僕たちはもう一度「構造」を見つめ直す必要があるんじゃないかな、と思います。
物事は「自分でなんとかできる部分」と「仕組み上、仕方がないこと」がある気がします。
そして現代において、幸せを実感している人が少ないなら、まず「資本主義」を見つめ直す。僕はそこから始めたいです。
資本家の中には「資本主義はもう限界を迎えている」と言う人も多くいます。マルクスの「資本論」でも、「資本主義は労働者によって壊され、新しい経済が生まれる」といっています。
ただ、それが実際起こるのかは分からないし、いつ起こるのかもわかりません。それを待ってるくらいなら、自分たちで新しい幸せのカタチを追求し、創っていきたい、って僕は思いました。
革命なんて大きいことは思っていないし、資本主義が全部悪いとも思いません。お金も大事。競争も大事。
資本主義は世の中を便利にしてくれたし、みんなで試行錯誤しながら良いサービスを創ることは楽しいだろうし、それが多くの人たちにとって生きがいにもなっていると思います。ただ、それが全てである必要もないなって思います。
僕は社会人に聞きたいです。
これからもずっと、お金を求め続けますか?
そのために労働し続けますか?
その先に何がありますか?
その世界が最適解ですか?
本当にそれが幸せなんでしょうか?
その世界から一歩離れた社会が、人生の一部にあってもいいんじゃないですか?
本当はもっと、楽に生きたい時もあるんじゃないんですか?
過去から学び、未来を創る。
資本の追求から離れた仕組み。
資本主義と社会主義。
自由と平等。
僕が描く世界は、そんなハイブリッドな世界です。
資本主義で切磋琢磨しながら、平等にみんなで支え合う社会も創る。
そのために、時間や意見やお金をみんなで出し合えたらなって思います。
「楽しさは、みんなで創る最中にある」
そこに資本家はいらない。必要ない。
大きな社会と小さな社会。
自由に行き来できたら幸せだなって、僕は思います。
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