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「招かれた天敵――生物多様性が生んだ夢と罠」(千葉聡著、みすず書房)

読了日: 2023/5/5

農業効率改善のため、観賞用植物の導入など恣意的なこと、または意図せず人・物流の往来で外来生物が異国の地へと渡り、大繁殖した生物への減滅を目論んだ歴史が綴られる内容である。繁殖し、人間の経済活動に害をおよぼすと認識された外来生物を駆除するために、加えて外来生物を導入する「生物的防除」が繰り返し実施されてきたが成功例は僅かで(けれども成功例は実在する)、失敗例が大半を占める。失敗とは駆除が実現しなかっただけにとどまらず、新たな害を生み出してしまった例も含む。もっとも後者の例示がより問題で、経済損失を挽回するためにコストをかけて導入したにもかかわらず、対象生物の駆除以外の当該社会で総合的で(コストを含む)甚大な損害を生んだ例が散見されるというものだ。

「生物的防除」のためにあらたに異国から寄生種などを導入する理由は、そもそもの外来生物が繫栄した地域で在来生物により駆除、または”自然のバランス”を実現できなかったことにある。外来生物を外来生物で駆除するというのは、なんだか本末転倒のような気もするけれども、化学物質や農薬の散布以外では(かつては)想定されなかったので致しかたない(現代では、遺伝子操作などの方法もある)。むしろ化学物質による広範な悪影響がこの対策のきっかけとなっている。

人間が持ち込んだ外来種が荒らし、「生物的防除」の寄生種(これも外来種)が加えて荒らし…やはり人間の行いとは愚かなものだ、自然の営みに依存することが賢明である、と想像するのはたやすい。本書の要旨はこのあたりにあると思う。
そもそも在来種、外来種の区分はどこにあるのか?人間の介在がない生物を在来種と呼ぶのか?そうではない。すでに帰化した外来種で在来種と認識されるものもある。SDGsで提唱される生物多様性指標の対象は在来種に限定されるが、そもそも”自然であること”とはいかなる状態、またはことを指すのだろうか。つまり自然の区分を設定することも人間の営みの経緯に含まれるであろうから、思考がグルグル下降していきそうだ。

nature(自然)の語源は、古フランス語natura、ラテン語nasciの過去分詞(生まれる)にあり、「あるものの本質的な性格や性質」(「[完訳]キーワード辞典」レイモンド・ウィリアムズ、平凡社)であるが、時代変遷を経て「人間と、人間の直接の創作物以外のもの」(本書)と認識されるように至る。
自然に人間を含むか、人間vs.自然の構図にするか、大いに議論をよぶ課題ではあると思うが、検討するだけ無駄なようだ。検討する時間があるなら、ほかの目先の、そして未来志向での課題解決に尽力したほうが”効果的”だと思う(なぜならば、人間を自然に含んだとしても、対立構図だとしても人間は最低限衣食住への営みを止める意思はないのだから)。
ただし、課題解決のために、過去の歴史を大いに参照することには労力をさく価値がありそうだ。人類の成功例よりも、失敗例を参照することは同じ過ちを繰り返さないために。この点が本書の要諦でもある。
読了後、あらためて「はじめに」を俯瞰する。すばらしい「はじめに」と思う。ご興味を持たれた方は、「はじめに」だけでも読んでみてください。
(ちょっと高い本なので、購入をすすめるものではありません)

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