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親孝行とは〜後悔を感謝に変えて〜

コロナの感染状況が落ち着き、10月下旬から母の施設で対面面会が解禁となっています。前回の記事では、母への手紙という形式を取って、一年ぶりの面会に対する思いや感慨を綴らせて頂きました。

個人的な手紙を公開するのはどうかなと迷ったのですが、それが今の自分の心情を表すのに最も適しているように感じ、思い切って公開したところ、思いがけず沢山の方々からスキを頂きました。またTwitterでも母の面会に行く旨を書いたところ、フォロワーさんから沢山のいいねを頂きました。

きっと普段読んでくださっている方々は、私が母と一年間会えていなかったことを気にかけてくださっていて、面会が再開されたことを我が事のように喜んでくださったのではないかと思います。noteや Twitterで出会う方々の温かさに、あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。

一年ぶりに会う母は、ビニールカーテン越しではありましたが、ふっくらとして血色が良く、職員さんの声かけに笑顔が出るなど元気そうでした。その一方で、一年前に比べると言葉が出てこなくなっていたり、歩行や嚥下の機能が落ちているなど、やはり症状の進行はあるようでした。介助量が増えてきている中、またコロナ禍で外部の人の手が借りられない中、母を一生懸命ケアして守ってくださっている施設スタッフの方々に、あらためて感謝の念が湧きました。

誰しも加齢と共に衰えはありますが、病気になるとますます機能の低下が加速します。うちの母も年々できることが少なくなることで、家族がしてあげられることも少なくなってきています。

例えば15年前には旅行も可能でしたが、10年前に認知症を発症すると混乱と不安の只中に陥り、行き慣れない場所に連れていくことが難しくなりました。その後症状の進行と共に不穏状態が出現したり、トイレや歩行、嚥下などの問題も出てきて、外出や外食に連れ出すことが困難になり、親族で集まる時は主に施設の中で、母を囲んで集まる形になっていきました。最後に母のもとに集まったのは二年前の喜寿祝いの時で、その後はコロナ禍のため面会すらままならない状況になりました。今後コロナが終息して一緒に食事ができる状況になったとしても、既に食事が半流動食になってきているので、母が喜ぶような美味しいご馳走を食べさせてあげることはもうできないかもしれません。

うちの父は私が高校生の時にがんで亡くなりました。私は当時自分のことに精一杯で、また男親に対して複雑な感情を抱いていた時期でもあり、親孝行どころか、気持ちを通い合わせることもできないままの別れとなってしまいました。その苦い経験があったので、母にはできるだけ孝行しようという気持ちではおりましたが、なかなか日々接している中では優しくするだけの余裕がなかったり、母の想いに応えられなかった時も多々ありました。

私がまだ若い時、母がスペイン旅行に行きたいと言い出したことがあったのですが、私が非常勤を掛け持ちしていたため何日も休むには仕事の調整が大変だったことと、一番は私自身の経済状態に余裕がなかったことが理由で、一緒に行ってあげることはできませんでした。母は私の分の旅費も出してあげるからと言ってくれたのですが、私は変な見栄を張って、行くなら自分のお金で行きたいし、できれば母の分も出してあげられるようになってから連れて行ってあげたいと思い、結局それが実現することはありませんでした。母の願いを叶えてあげられなかったことは、一生私の心残りとして残るでしょう。

「親孝行したい時には親はなし」といいますが、仮に親が生きていたとしても、未熟だった子が親孝行できる気持ちと余裕を持てた時には、してあげられることが少なくなってきている場合が結構あるのではないでしょうか。そう考えると、「もっと元気なうちに親孝行しておけば良かった」と悔やむ人も多いでしょうし、私自身も悔やんで気持ちが沈む時があります。客観的にみると十分親孝行だったり、本人もその時々できる範囲で精一杯孝行しているつもりでも、後から振り返ると「もっとしてあげられることがあったのではないか」と後悔の念が湧き上がるのも、自然な心情なのかもしれません。

それでは「親孝行」とは何でしょうか。親は子に何を望んでいるのだろうかと考えると、私自身が自分の子供達に望むことは、何よりもまず子供自身が元気で幸せに過ごし、自分の人生を歩んで充実した日々を送っていることだと思います。自分のことを気にかけてくれる気持ちがあれば勿論嬉しいけれども、自分のことで悲しんだり後悔したりはしてほしくありません。ですので、親の衰えに悲しんだり、してあげられなかったこと(してしまったこと)を悔やんでしまう時は、このように親自身の目線に立って俯瞰し、私が悲しんでいることを親は望んでいないはずだと思って、気持ちを立て直すようにしています。

今まで父母にしてもらったこと、かけてもらった愛情を思うと、子供が親を思う気持ちよりも、親の愛はずっと広く深いものだと感じます。子が老いた親にしてあげられることには限界がありますが、「ごめんね」ではなく「ありがとう」の気持ちを胸に、過去を悔やむよりも今これから自分に何ができるかを考えていきたいと思います。それは親に直接してあげられることだけでなく、自分自身が元気で幸せでいることも大切でしょうし、もしかしたら親から受けた愛情を今度は自分の子供達に与えたり、周りの大切な人達に注いでいくということも、立派な恩返しであるかもしれません。

半分自問自答のような文章になってしまいましたが、私と同じような親への思いを抱える方々にとって、何か参考になる部分があればいいなと思います。最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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