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合同企業説明会会場の一角で吹き抜けた風

大学の体育館で行われた、合同企業説明会。
当時の私は、一応興味のある分野の企業のブースに行って話を聞いたら、もうやることがないという状態だった。
体育館の端の方に寄り、念のために企業一覧なんかを見ていると、端に学生が溜まってブースに空きができている状態を見かねた大学職員の人達に「興味が無くても話だけでも聞きに行ってごらん」と促され、ある飲食店チェーンのブースに行った。
そこには、身なりはきちんとしているものの、まだらな日焼けをし、白髪が混ざっていて艶のない髪の、恐らく40代後半と思われる採用担当の方がいた。
簡単な挨拶をし、企業の説明を受けた後、その方が言った。
「――ということで、形式に沿った話はここまで。」
 何を言い出したかと思う間もなく、続けた。

「君はどんな方向、或いはどんな会社に行きたいの?」

 そこで私は堰を切ったように話し始めた。
 大学で歴史文化財について学び、特に染織について興味を持ち、現在その分野のゼミにいる事。知れば知るほど職人の減少による技術継承が喫緊の課題だが、私の年で弟子入りしたところで売れるものを作れるようになるまでに非常に時間がかかり非効率的だという事。その一方で、歴史を学んでいて思うのは、商品を売ったり流通させる事も文化継承には大事だと気付いた事(物流に関する文書を読んだり、今では無くなった職業に関する知識を得るので、物事を俯瞰するクセが付いたから)。他方では、いつか結婚したいし、望めるならば子供だってほしいという事。職人の世界に女が入るという事はプライベートの夢との天秤になる世界だという事(※1)。それならば呉服業界に就職して呉服や着物の魅力を同世代に伝えたいという思いが芽生えている事。
 その方が呉服や着物に関して未知の世界だったようなので、世代も踏まえ、フォーマルシーンでの和服利用の減少なども話したような気がする。とはいえ、ずっと私が一方的に話していたのに、その方は身を乗り出し、身体を支える腕を机に乗せ、指を組んで動かずに最後まで聞いてくれた。
 私が話し終えると、その方が言った。

「それだけ色々考えていて、情熱を持っているならば、君はその分野に行った方が良い。絶対に。」

その瞬間、私の中に爽やかな風が通った。
 当時、前年のリーマンショックの救済措置で、前年の卒業生も“新卒”として就職活動ができるようになっていた。それは、私達の代の競争率が上がることを意味していた。
 きょうだい・自身共に公務員だらけの両親は非常にヒヤヒヤしていて、「とりあえずどこか就職できるところに行きなさい」「趣味と仕事は分けた方が良い」などと言ってきていた。当然、正規雇用しか認めない思考回路の持ち主である事はいうまでもない。
両親の言っている事はそれはそれで一理あると思い、政府が就職を後押しする採用情報サイト(※2)を参考にいくつかの企業の説明会に参加してみたものの、「何か違う」という感触があった。
 
  そして、その感触と並行して、ずっと心の奥底にあった、答えの見つかっていない疑問がムクムクと大きくなっていっていた。
小さい頃、父は帰宅するたびに、「ああ、仕事辞めたいよ」「お前らはいいなあ、毎日遊んでいられて」と言っていた。それは私の中に、“仕事=辛い”のイメージが根付いた。子供なので、「イヤなら辞めたら?」などと言ったら、「お前らのために嫌でも働いてんじゃねえか」と言われ、“仕事=辛い=けれどもやらなければならいもの”という関連イメージも根付いた。

 しかし、その大学生になる頃には、既に様々な大人と接していて、親から受けたイメージが全てではないという認識がきちんとあった。きちんとはあったが、一方で実際に存在する女性の苦労話も自然と耳に入っていて、どんなに情熱を注いだって「結婚しました」と報告すれば「おめでとう」という言葉と同時に退職届を渡されるのだろう、とか、「どうせ結婚したり妊娠したら辞めるんだから」とさしたる仕事もふられず何か言っても聞いてもらえずに社会人をやるのか、という暗い想像が巡っていたから、どうせ辞めさせられるならばお給料の良い会社=好きかどうかは考えない=辛くても(生活のために)やらなくてはいけないもの=仕事、という関連付けができてしまっていた。
 そんな時に、社会人(それも公務員の世界しか知らない親と違い、自分がこれから歩むことになる民間企業)の大先輩からの言葉である。
 自分の中で育んだ仕事に対する価値観や、やりたいと思う事への情熱の上に、ずんとのしかかっていた岩が消え、私の中に風が吹いたのだ。この時、私は選択した。
 
「正規のやりたくない仕事より、どんな雇用形態でもやりたい仕事をしよう」

と。

 結局、私はプライベートの事情も相まって、理想としていた形ではなかったものの、着物に関する仕事に就くことができた。
 ただ、それ以外の課題も目の当たりにし、童話のように「めでたしめでたし」となったわけではない。そこら辺に関しては、ここには書くことのできないプライベートな理由ももちろんあるのだが、ここまで書いた私の親の認識と社会の女性が働くことへの常識からお察し頂きたい。
 ただ、当時の言葉は今でもふと思い出すことがある。あの時の言葉がどれだけ私に勇気と行動力を与えたか――その影響力は、言葉にすることができないくらいである。
 当時の、その採用担当の方にもしまたお会いする機会があったら、心の底から感謝を伝えたい。そして、まだ続く戦いにおいても、エネルギーを与えてくれています、とも。

※1 10年以上前の一般的な認識です。現在は大分変化が起きていると思いますし、分野によっても違うと思います。
※2 当時、何百社と受けても内定が決まらない学生が多い一方で、大手求人サイトに求人を載せられないような中小企業には全く人が集まらないという現象が起きていた。そのミスマッチを解消すべく、政府主導の求人サイトが立ち上げられていた。

#あの選択をしたから

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