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姉と毒林檎

鏡よ鏡。
この世で1番可愛いのは誰?

私の鏡はいつだって、
「あなたの弟よ。」
と応える。

弟は可愛い。
いや、私は可愛いなんてこれっぽっちも思ってない。
あくまで両親にとっては、弟は最高に可愛いらしい。

週末。
今日は中学が休みなので、私は1人で留守番をする。
学習机に向かう。課題を片付ける。
さらに、数学の勉強も済ませる。
数学は苦手だ。
授業中に「難しいな」と感じた日は、必ず帰宅してから復習するようにしている。
こういった努力もあり、テストでは学年150人中、毎回20位以内には入っている。

習い事のピアノを練習する。
洗濯物を干し、洗い物を済ませる。
あまりにも偉い。偉すぎる。

そんな私を差し置いて、両親は弟の野球の応援へ行ってしまう。
弟は地域の小学生野球クラブチームに所属している。
なんでも、小3にしてレギュラー入りしている弟は、同級生やその親から一目置かれているらしい。
そして、両親はそんな弟を誇らしく思っているようだ。

母親が近所の人へ弟の自慢をする度、私は心臓を掴まれたように固まってしまう。
わかっている。
母が弟の自慢をする度に、私の価値が相対的に下がるわけではない。
頭ではわかっている。
だが、少しずつ毒が蓄積していくような、そんな感覚を覚える。

でも、私だってバカではない。
親を怒鳴ったり、「私にも構ってくれ!」なんて言うわけない。
むしろほっといてほしい。
なのに、何故こんな思いになるのだろう。
弟が憎い。

野球が上手いからって、なんでそれだけで愛されるのだろう?
なんでそれだけで一目置かれているのだろう?

弟は頭が良い方ではない。
漢字もろくに書けない。本も読まない。
というか、勉強しているところを見たことがない。

さらに、家の手伝いもしない。
学校から帰った後は、近所の子と野球をするか、ゲームをしているかだ。

母は、勉強している最中の私に声をかけ、夕飯の手伝いをさせる。
「弟を手伝わせれば良いじゃん。私、今勉強してたんだけど。」
と言うと、
「弟は良いの。それに、あなたは女の子なんだから、家事できないとダメでしょ。」
と言われた。
弟は2時間もゲームをしていたのに。

私は、私が女性であることを嫌うようになった。

鏡よ鏡。
この世で1番醜いのは誰?

「それはあなたです。」

鏡に映るのは、魔女のように不気味な笑顔の少女。
笑顔すら可愛くないなんて、どうかしている。

毎日やってられない。かったるい。
女なんてやってられない。
女になりたくない。

クラスの男子は、「クラスの女子の巨乳ランキング」「クラスの可愛い女子ランキング」なんて作って遊んでいる。
本当に気持ちが悪い。猿どもが。

女になると、なんでこうも嫌な目に遭うんだろう。

なんで家事をしなきゃいけないんだろう。
なんで品定めされるような目で見られなきゃいけないんだろう。

女になるんじゃなかった。



構ってくれないのも、構われるのもウザい!
これが思春期ってやつなのか。

毒林檎の爆弾を、家や学校に仕掛けたいなあ、なんて思い始めて1人で笑った。

魔女のような、女をやめたいような、それでいて男性になりたいわけでもない女が、自分の中で煮詰めて煮詰めて煮詰めた毒。とっておきの毒。
固い果実に閉じ込められた毒。

今のところ、普通のリンゴのような顔をしている。
そのへんのスーパーに置いてあっても、誰も気にしない。
買われるかもしれないし、買われないかもしれない。
売れ残って廃棄されるかもしれない。
そのくらい、普通のリンゴ。

梶井基次郎は、京都の丸善に「檸檬」という爆弾を置いた。
それならきっと許される。
でも、私は檸檬じゃなくて林檎を選ぶ。
林檎なんて普通すぎる。
でも、それが私らしい。

自分が誰かにとっての「特別じゃない」って、とっくに、2年前に、小5の頃に気づいていた。
弟が野球を始めた頃だ。

テストの順位が、せめて10位以内なら何か変わっていただろうか。


学校の帰り道、スーパーで林檎を買った。
生まれて初めて、寄り道をした。
本当は校則違反なのだけど。

セーラー服を脱ぐ。
本当はこんな制服、着たくもない。

手を洗い、部屋着に着替え、林檎を手に取った。

母が目を丸くしている。
私はその視線を無視して、林檎にかぶりつく。
この林檎には、毒が入っている。
なんてね。

私が毒死したら、母は悲しんでくれるのだろうか?
そんなことを思いながら、爆弾を食べ進める。

食べてやる。こんなウザいもの。

実家の自室で、1冊のノートを見つけた。
そこには、「姉と毒林檎」というタイトル。

ノートを開くと、思春期の毒を詰め込んだような文章が書き殴られていた。

私は唱える。
「鏡よ鏡。」

もう返事はなかった。

まるで熟していない果実を手に取り、私はそっと抱きしめる。
今は亡き人を、懐かしむように。

結局、未熟すぎる爆弾を仕掛けることはなかった。
私は大人になり、女性になった。

だが、不発弾は今も心に、冷ややかな石のように留まっている。

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