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能動的な子どもに育てたいなら、子どもに動画を与え過ぎるのはよくないかも

大人までもが動画に依存している時代だから仕方ないことなんだけど、子育てを動画に任せるのはちょっと気をつけた方がいいかもしれません。

というのも、小さい時に「見る事ができても触れられないもの」に依存し過ぎると、現実世界から離れた場所に居場所を探すようになるからです。

見たものを具体的に実感する力はもともと備わっているものではありません。生まれて何年かはこれでもかというほど触られることでその力が養われます。何よりも先に子どもの触覚を育てなければ、見たものや聞いたものに対するイメージを膨らませることができず、将来子どもの自主性や想像力が劣ってしまうことになりかねません。

こんな実験もあります。


一匹の猫は、自分で歩いて移動することができます(コチラを能動的なネコと言います)。もう一方の猫はゴンドラに乗せられ、能動的な猫の動きに引っ張られて移動します(コチラを受動的なネコと言います)。この場の壁には縞模様がつけられていますので、猫は能動的にせよ受動的にせよ、移動すればその視覚的に知覚できます(オプティカルフロー:光学的流動)。繰り返しになりますが、二匹は視覚的には同じ経験をするのですが、一方は自身で歩くことにより移動し、もう一方は他動的(受動的)に移動させられる状態になっているのです。

Held &Hein, 1963 | KAZZ-ASH

ここでゴンドラのネコは正常な空間認識能力を形成できなくなり、モノにぶつかったり避けるべき所を避なかったり、リーチも不適切になりました。

この実験だけでなく、視覚と触覚を切り離して子どもを育てると、色々な不具合が生じることがわかってきてます。ですからこのことをよく知っている親御さんは、タブレット等による強烈な刺激を制限しているのです。

実は生まれたばかりの赤ちゃんは、他者と自分との区別がついていません。お母さんの肌に触れ、おっぱいを吸い、徐々に自分は母親とは違う存在なのだと認識していきます。その区別がつかないまま視覚や聴覚に手を出すと、自己形成に歪つさが残るのは少し考えたらわかることだと思います。だから大人は子どもにたくさん触れて欲しいのですが、どこでも動画を見ることができる恐ろしい時代です、大人の忙しさも相まって、つい動画に子守りをさせてしまうという事態がそこここにみられるようになりました。

五感はを育むのは近くから遠くが基本です。触れる、舐める、匂うといった、体に近いところの感覚をしっかり育てれば、子どもの情緒が安定します。実は視覚や聴覚にのみ頼る情操教育なんてどうでもいいことなのです。

私は鍼灸師をしているのですが、小学受験や中学受験をする子どもやその親御さんを診ることもよくあります。で、私の知る限り、慶應や青学だけでなく、名の知れた小学校に入るお子さんの全てがタブレットを見せていません。そして御三家に行く子の多くも、スマホの使用制限について子どもに納得のいく説明をしています。

想像力が豊かで大成している方はしっかり人と触れていたのだろうと思う事が多々あります。触れ続けられた人は、はるかに心が発達しています。そして他者との区別がつき、人と比べることも少なくなります。まずは体に近い感覚をしっかり養い、その上で見るとか聞くといった、体から遠く離れた感覚を養う意識を持つだけで、子育ては絶対大丈夫、うまくいきます。

日本で生き抜くには、人の機微を見極める力がとても大切になります。そのためには人の気持ちを肌で感じる能力が必要となります。とにかく触れることでしか心を育てることはできません。ハミ出す人を極端に嫌がるこの日本で、相手の機微を咄嗟に感じる能力を養っていなければ、本当に地獄です。もちろんそんな些末なことに打ち勝つ想像力を、と思っている親御さんもいるとは思いますが、それ以前に普通の行動ができる能力を身につけさせなければ、日本で豊かに生きていくことは不可能です。そのための肌感覚、とにかくこれでもかというほどお母さんの五感全てを総動員して触れて触ってあげて欲しいのです。それだけで子どもは生きやすくなるのですから。

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