駅で男は目覚めた!

駅で男は目覚めた。これはその場しのぎの目覚めに過ぎなかった。もちろん、そのまま眠り続けていたとしても、何ら解決の緒もつかめないことは明々白々であった。ならば目覚めたほうがまし、などと言えるほどに状況が切迫していなかったとしたら、それはそれで結構なことだったろう、と誰もが思ったに違いない。いずれにせよ男は、何の計画もなく目覚めたに過ぎないのだし、何の目論見もなく瞬きを繰返したのだし、何の展望もなく大あくびをひとつ噛み殺しそこねたのだし、何の感情もなく目尻に涙を浮かべて乾かしたのだった。きっと君ならそんなことは眠っているときに、すなわち目覚める前に終わらせておくべきことだ、と指摘していたことだろう。なぜなら目覚めてからその一連の工程を行うことは誰にでも予想でき、予想できる事柄なら事前に準備してさっさと終えてしまうことこそが賢い行いなのだと、君は信じていたのだから。そうすれば、目覚めてからの貴重な時間を決まりきったルーティーンに削られることなく、一切の無駄のない、あるいは許容できる程度に無駄を最小化することに成功した一日を、そしてその一日一日の積み重ねで構成されるであろう人生を、より良く過ごすことができるのだと、君は信じていたのだから。しかし君は君であって僕ではなく、僕は僕であって君ではなかった。目覚める前であれば、僕が僕でなく、僕が君であっても良かったかもしれず、君が君でなく、君が僕であっても良かったかもしれなかったのだけれども。目覚めた僕の信じることは、つまり世界はもう手遅れであるということであり、その手遅れの世界を基盤として成立している僕の人生も同程度に、いやより深刻に手遅れであり、その手遅れの人生を構成するであろう今日一日も手遅れであることは自明の理で、その手遅れの一日を、せめてもの抵抗として終わらせる前に始めようとしてみたこの目覚めの際の、君に言わせれば無駄なルーティーンに僕が時間を割いたとて、それは君の言うところの無駄ではないということである。何か価値のあるものを前提とした何らかの価値ある全体に対して、何らかの新しい価値を生み出すこともせず、何らの既存の価値を再生産することもせず、何らかの既存の価値を再生産するものたちにとって資することもなく、決定的に無価値であることで逆説的に既存の価値あるものの価値を高めるはたらきもおこさない、僕の目覚めに纏わる行いを、君は無価値と思い、その行いに供される僕のエネルギーが、たとえどんなに僕の貯蔵する総量に対して占める割合が少なかったにせよ、浪費されることを無駄だと信じた。無価値で、無駄で、非効率であるという君の評価は、決して誤りではなかっただろうが、すでにあらゆる価値づけの前提となる何らかの価値あるものたちが死滅したいまとなっては、単体では僕の目覚めと同程度には無価値で、無駄で、非効率なものであり、それはすなわち、僕の目覚めに輪をかけて無価値で、無駄で、非効率なものであった。さりとて、君の無価値な評価が重なったところで、僕の目覚めに価値が生じることもなく、君をみおくることに僕が間に合うことは永遠にない。目覚めるのではなく、眠るのが遅かったのだ。世界が手遅れになる前に、眠ってしまえばよかった。あぁ、もう眠れない、どんなに早く目覚めても、眠りに追いつくことはない、朝が来ても夜が来ても、一日一日の積み重ねをいっぺんに積み崩すことは、君なら出来たのだろうか、夢の中ででも。


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