駅で男は目覚めた?

駅で男は目覚めた。目覚めると同時に男は絶望した。なぜ自分は目覚めてしまったのか、と男は嘆いた。男は目覚めるべきではなかった。なぜかと言えば、男は目覚めるべきではなかったからである。目覚めるに足る理由もなく、目覚めて良いことなど何ひとつもありはしなかったからである。男が目覚めることで喜ぶ人間は男を含めて一人もおらず、男が目覚めることで何らかの価値が生まれることを期待するものは一人としていなかった。男の目覚めに対して祝福は与えられず、ただ弔意の不在のみが嘆かれていた。なぜ自分はいま目覚めてしまったのか、と男は苦しんだ。いま目覚めるよりも、もうすこし前に目覚めることができれば、あるいはもうすこし後に目覚めることができれば、男にとって、より望ましい結果が得られていたはずであった。なぜなら、仮にいま目覚める前に目覚めることができていたとしたならば、男はいま目覚めることに対して事前に何らかの措置を講じられていただろうし、仮にもう少し後に目覚めることができていたとしたならば、すでに何もかもが終わってしまっているのだし、多少の無力感や罪悪感は覚えるにせよ、自分を納得させるに足る正当性を携えて、事後処理に専心することが出来ていただろうからである。しかし、いま目覚めてしまった以上、男には何の事前準備も、事後的に反省する正当性も与えられはしなかった。男はいま目覚めて苦しまねばならなかった。なぜ自分はここで目覚めてしまったのか、と男は歯ぎしりした。せめてここではないどこかで目覚めていることができていれば、より自然に男の目覚めは受け入れられただろう。たとえばベッドの上であればよかった。ベッドの上で目覚める多くの人は、ついでに男の目覚めを受け入れてくれただろう。たとえば天国か地獄かであればよかった。語るのも億劫な、目覚めてしまう前の人生のあらゆる経緯について、多くの人が適当な背景をでっち上げてくれただろう。たとえば移動する電車の客席の中であればよかった。いつの間にか、電車に揺られているうちに、移動の退屈さから、多くいる乗客のうちの一人として、受動のうちに眠り込み、その延長で目覚めていることが証されたであろう。しかし男はここで目覚めた。駅で。どこかに行かねばならないと男は歯ぎしりした。あるいはどこかに着かなければならないと、男は下唇を噛んだ。いっそのこと、自分以外の誰かが目覚めるべきだった、と男は思った。目覚めるのが自分である必要はないのだし、自分よりもっとふさわしい目覚めるべき誰かがいたはずであった。もっといえば、男はいまここで目覚めるよりも、いつか別のどこかでやるべきことがあったはずであった。そのいつかの機会が、いまここで目覚めてしまったばかりに失われていくことを、男は痛切に感じていた。つまるところ男は、いまここで目覚めることを希望しなかった。いまここで目覚めたばかりに、男はいまここで目覚めることを望まないことのみを希望していた。駅で男は目覚めたというのに。


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