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里帰りに潜む柔らかい罠

2019年8月13日

私はお墓参りを済ませて、電車に乗って実家へ向かうところだった。

ちょうど乗り換えようと降り立ったところで、2番目の姉から「○○駅に来てくれれば迎えに行く」とLINEが入り、その駅へと向かった。

「家で作ると片付けが大変だから」と、ゴールデンウィークでも伺ったお寿司屋さんへ。
暖簾をかき分けると、大将の威勢のいい掛け声と共に、両親が迎えてくれた。

開口一番「ちゃんと食べてるのか!」があいさつ代わりになってしまった。

確かに私は、ただでさえ食べることへの執着が薄いのに、物事に集中してしまうと、水分すら摂らなくなってしまう。
去年よりまた4㎏痩せたせいで、さらに「鶏ガラ」感が増した私をみて、心配するのは当たり前か。
「とりあえず生きてるから。はは。みんなも元気そうで。」
なんとも説得力のない笑顔が精一杯だった。

それでも次々と運ばれてくる刺し盛りや揚げ物に舌鼓を打つ。お肉もメニューにあって、値段はそこそこだが、十分美味い。
大将はいい素材を探してきてくれるから、魚介類があまり得意ではない私でも、美味しくいただかせてもらっている。

パソコンから離れれば食が進むことを思い知る。

いつもの事だから慣れているが、身内で集まる食事会で出る話題は、誰かが亡くなったか、誰かが店をたたんだか、始めたか、だ。
両親や2番目の姉、その息子や娘婿までも個人事業主で、1番目の姉は介護関連で統括をしている。地域の人と交流も多く、横でみんなが繋がっているのと、幸か不幸か両親が長生きしている分、見送る人も多い。
「夏は香典貧乏だ」と冗談と本気の狭間の言葉が口をつく。

良く冷やされたジョッキに生ビールが注がれ、冷酒が2つ届いた後「まだ生きてるぞー」と独特の乾杯の後、真っ先に母が口を開いた。

「あの子が来たのよ。店に。一目見て分かった。」
「誰?」
「哲司(てつじ)。」

生き別れになっていた、母にとっての長男が店に現れたというのだ。

血縁でたどると、私は赤の他人で、姉2人にとっては異母兄になる。
(詳細は「水路(1)にて」)

「最初電話がかかってきて、『今日お店は開いてますか?』って言うから、『開いてる』って言ったの。電話を切ってすぐだよ。ひょろっとした男の人がはいってきてさ…でもすぐに分かった。顔がそのままで…」

うっすらと涙ぐみながら母が言った。

姉達も数年前に、偶然広島の病院で蒸発した実父が入院しているのを知り、亡くなった知らせを聞いて、お通夜に行った時以来会っていないそうだ。2番目の姉は母のお腹の中にいた時に実父が蒸発したため、初めて実父と異母兄「哲司」の顔を知ったのは、そのお通夜の時だったと聞いた。

「…ねえお母さん、てっちゃん兄ちゃん、ちゃんと喋れてた?」
1番目の姉が口を開いた。

「え?酔っぱらってたみたいだったけど普通に会話したよ。なんで?」
「そう…。それね、酔っぱらってるんじゃないのよ。」
「え?どういうことそれ。」
母は状況が飲み込めないまま姉の顔を覗き込んだ。

「てっちゃんから聞いてないの?」
そう言って姉は少し考えて、一呼吸おいてから母に告げた。
「ほら、私が看護師の資格があるからだと思うんだけど、2年くらい前に、てっちゃんから電話が来てね。『舌癌』になったって聞いてたのよ。舌の3分の1を切除して、あんまり上手く喋れないの。今は定期的に検査を受けながら様子見てるって。」

母は一瞬唖然としたが、腑に落ちた顔をした。てっちゃんの父も、癌で亡くなったからだ。

私はどんな顔をしていいか分からなかった。多分、父も。
私にとっては空想の世界の人物で、父にとっては妻の元夫の連れ子だ。ただ、母として息子が癌であったことを聞けば、穏やかではない事は分かる。

深くため息をつき、母は言った。

「生きてると色んなことあるわ…もういい加減大抵のことは驚かないけどね。ちょっとびっくりした。あの子…そんなこと何にも言ってなかったわ。」
「でもね、勤めていた会社を定年退職して、今は自営で不動産屋やってるんだって。息子が二人いるから、そのうちの一人に跡を継いでもらえたらいいって言ってたから。」
一番目の姉はゆっくりと母に伝えた。
「そうか…ちゃんとやれてるならいいよ。話してた時もまあ、元気そうだったしね。」
母はグラスからこぼれて升に入った日本酒を飲み干し、お代わりを頼んだ。

■□■□■□

「そういえば大丈夫?頭。まだ痛いの?」
2番目の姉が母に言った。
「何?転んだの?」
私は母に尋ねた。
「まだちょっと痛いかな…ほんっとにね頭に来てさ!!一瞬ね、耳がキーーンってなったわ!」
何を怒っているのかが理解できず、私が首をかしげていると、2番目の姉が苦笑しながら話そうとしたところを、被せるように母が言い放った。

「客にボトルで殴られたんだよ!!」
「はあ?」

居酒屋で20年、風営法改正でスナックになって25年以上経つが、そんなことは初めて聞いた。
「最初から様子がおかしかったんだよ。2人連れでさ。どうもあそこの焼き鳥屋が一次会で、そこで仲間ともめたらしくて。それを収めようとして、もう一人がそいつを引き離したついでにうちの店に来たみたいでさあ。もう一人は常連ではないけど、そこのビジネスホテルで働いてて、仕事帰りに何度か飲みに来てくれてたから知ってたんだけどね…。」

「んで、警察は?」
私は当たり前のように聞いた。

昔私が手伝っていた時も、色んな事があった。
仲間内や客同士の喧嘩、無銭飲食、ホステスへの嫌がらせ、「○○組だ!」とわけの分からない組の名前を言って果物ナイフをちらつかせるチンピラもどき(※その組が実在しないことは承知)、流しの押し売り、とりあえず頭が春の人。
カラオケの音響が気に入らないと、私の頭に水割りをぶっかけ、おしぼりとマイクを投げつけた某地方銀行の支店長もいた。(※通報⇒次の日菓子折りもって夫婦で謝りにきた⇒被害届取り下げ⇒出禁)

「むっちゃくちゃ怒ってやった!!『すぐ金だけ置いて帰れ』って言って、出て行ってもらったわさ!!」

「いやいやいや傷害でしょ!!なんで警察呼ばなかったの!打ち所悪かったら死んでたかもしれないのに!」

久しぶりに大きい声を出した。
たまたま客が入れ替わるタイミングで近くに人がいなかったのが幸いだった。

お代わりの日本酒を一口飲んで、
「物凄い謝るのよ。連れてきたもう一人がね。『俺が止められなくて申し訳ない』って。張本人もハッとして、『すみませんでした。』って頭下げるからさ…もう二度と来ないと約束させて、出て行ってもらったんだよ。そうだよね。呼ぶべきだよね。やっぱり。そん時はもう頭に血が上っちゃってて、顔も見たくなくてさ…」
母は少し(しまった)という顔をして俯いた。

「酒乱だね。」
2番目の姉がポツリと言った。
最初に結婚した人がそうだったから、察したのだろう。今は再再婚でいい相手がいる。
そして私に身体を向けて口を開いた。

「ねえ○○(本名)、時間あるんならママと一緒に居てやってくれない?お店。」
少し前まで孫(2番目の姉の長女)と2人で営んでいたが、結婚を機に孫は辞め、今は母一人で切り盛りしている。1番目の姉が時折様子見がてら店に立ち寄るが、家事も仕事もあって、頻繁には行けない。

店をたためば済むこと。ただ

店は母にとって、身体の一部と同じなのだ。

簡単に出来ることではないのと、父も私達子供も、この店があってこその今の人生であることは、言わなくても解る。

「え?私?」
惑ったが、そんなことがあったら放っておけない。現実問題一番時間の融通が利くのは私だ。
「うん。いつも暇だと思う時に限って結構忙しくて、ママ独りじゃ回らない時あるの。たまたま客として私が居て、中入ったこともあるからさ。あんた居てくれたら安心なんだけど。」一番目の姉は懇願の目を私に注ぐ。

ボトルで頭を殴るような客がいる修羅場。
昔は良かったが、今の私に対処できるのかと自分のことが心配だったが、そんな状況で瞬間湯沸かし器の母が独りでいることの方がもっと危険と感じた。母本人も心配だが、逆に母がお客になにかしてしまうのではと感じたのだ。
歳を重ねると丸くなるというが、子供に還るというか、自我が抑えられなくなるところも出る。同居している2番目の姉から聞くところ、どうでもいいことでプンスカ怒っているときが最近多くなったそうだ。

昭和16年生まれ。79歳。
「認知症」という言葉がうっすらと頭を過ぎった。

咄嗟に
「週一、二くらいでいい?その代わり電車が間に合う範囲で、サイトの準備もあるからパソコン持っていくけど。」
といって、(言っちゃった)と後悔した。

ちょっと嵌められた空気が漂っていた。

「お客さん居ないときは好きなことしてていいからさ。いやいや面白くなってきたねえ」と母はにやりとした。

「じゃあその時はあんたに付いてたお客さんに連絡しとくわ!やまちゃんもまっちゃん三太も喜ぶわよー。あんたが帰って来るなんて聞いたら!!」
「え?あの人たちまだ生きてんの?来るといっつも工藤静香の『嵐の素顔』歌わせられるんだよなー。」
「そうそう!いまだにやってるわよー元気元気。」
姉達は馬鹿笑いしながら、片方の腕の肘から先の腕を上と横に交互させ、その歌の振付をしながらもう片方の手で焼酎の水割りを煽った。
「とりあえず時給900円からね」
「ええそれ最低賃金割ってない?」
「心のリハビリ代が引いてありますんで」
「家に居るだけじゃお金入らないし、古巣なんだから居心地悪くないでしょ?チーママ」1番目の姉が茶化す。
「チーカマでいいわよ。あんたなんて!」2番目の姉は相変わらずの毒舌。

そんな姦しい女系家族のバカ騒ぎをみて、
「おいおい簡単に言うけど大丈夫かよ・・・」
と言いつつ、父はちょっと嬉しそうだった。

■□■□■□

「じゃあ、来週『熊』でね。」
別れ際に母が、「ママの顔」で言った。

私は1時間に2本しかこない無人駅のベンチに座り、二日酔いを予感させる軽い頭痛を感じながら、生温い風に吹かれていた。

柔らかい罠に、ちょっと嵌められてみるか。

どこまでやれるかは分からない。でも今とは違う何かが始まる予感に私も心がざわざわした。
ひょっとしてここに書くネタも見つかりそうな、なんて浅はかな考えも隅っこに鎮座する。

(着ていく服あったかなあ)
と、まんざらでもない私がいた。

(里帰りに潜む柔らかい罠-Fin-)

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