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2024 家族の風景

2023年は2024年になった。
なんだかいよいよという気がする、2024年。2025年はさらにいよいよだ。2026年はというと、もうおしまいだ。何が?と言われたら正直分からない。ただその4つの数字の羅列の異質さに恐れ慄いている。

2004年、ORANGE RANGEを聴いて大はしゃぎしていた季節がもう20年前だ。20年前ってなんだ?旧石器時代か?あまりにも長く生きすぎている。



最近は両親と結婚や子供の話をすることが多くなった。両親は結婚が遅かったので、まだ自分の歳では結婚しておらず世界中をバックパッカーとして旅をしていたので、自分としては焦ることはない。だからこそ母からは「20代はまだまだ子供、社会の空気に騙されずにもっとやりたいことやりなさい。考えるのは30を越えてからでいい」と言われ続けている。

正月、実家に帰って父と夜遅くに話していた時に急に『子供ができたから頑張らなきゃと思ったんだよな』と自分の人生のターニングポイントを語り始めた。

家庭では過小評価されてる父は、デザイナーとして自宅事務所で休みなく働いているのを子供の頃からずっと見ていたので、この年になるとどんな気持ちで働いていたのかはよく分かる。子供の頃はもっとゲームとか一緒にしてほしいと思ったりしていたけど、そんなこと言えるような状況でもないほどに働いていた。毎日通帳を眺めながら生きてきたらしい。だから心臓の病気で一度倒れた。

元々は古着が好きで、登山が好きで、レコードが好きで、本もよく読んで、映画も詳しくてとにかく多趣味だった父は俺たちが生まれてから突如としてユニクロしか着ないただのおじさんになってしまった。母はそれを寂しく思い、夫婦仲が悪くなっていったことを末っ子としてなんとなく感じてはいた。

この歳になるとその父の覚悟や気持ちがいかほどだったかはよく分かる。だから何不自由なく育つことができた。もっと感謝しなくてはいけないね。

最近はローンも返済して、子供2人は家を出たので母が連れ出して両親2人でライブに行ったり、フェスに行ったり、美術館に行ったり、家でネトフリを観たりしているらしい。実家に帰ってそんな話を聞くのが最近はすごく好きだ。

またすぐ実家に帰ろうかな。なんかいいお土産でも持って。



『命が終わるその瞬間まで自分のことを表現したい。』

2023年が終わり、2024年になった瞬間。スマートフォンのメモにこう書き残していた。それから約2週間が過ぎた今はどうしてこう書き残したかは分からない。というか覚えていない。

でもこれは2024年になったからとかではなく恒久的にそう思う。自分の中にある「何か」、それはきっとそれぞれの人にそれぞれの色や形で存在していて、それをこの世にひとつ残す作業が生きるってことなのかなとか時々思う。

生きてる意味とか、生まれてきた意味とか、そんな言葉になってしまうとどうしても死が連想されるけど、自分の中にきっとある「何か」を見出すために明日を生きてもいいかなみたいな、生死とは距離をとったその程度の原動力で僕の物語は進む。

命が終わる瞬間とか切り出すと、何をまだ30手前の若者がと言われてしまうかもしれないけど、死は誰にだって平等に必ず訪れる。タイミングなんて誰も気にしちゃくれないほど唐突にやってくる。合図があったらラッキーな方。本当のサヨナラはサヨナラを聞けないものだ。




2024年の目標、やるべきことなど、特にメディアに出る人間ではないので尋ねられることも少ないけど、自分の中でなんとなく考えてはいたいと毎年思う。

だけど今年は心がぼんやりとしていて同時にザラつきもあって、決めるのが難しいと感じたので「分からない!」とだけノートに書き記した。とりあえず今は分からない!そうしておくのも大事だ。分からないなりの生き方を大切にしたい。

ただ、今年は30歳を迎える節目の年ということもあり、なんだか頭の中でぼんやりと浮かびつつあることがある。

それはこれまで幼少期からたくさん培ってきた夢や目標、強いこだわり、理想、そういったものを一旦精算していく年になるのかなと感じている。

これまでの人生はひたすらに自分の願望を叶えようと努力してきた。欲しいもの、やりたいこと、やるべきこと、なりたいもの。

でも、もう30歳となるとさすがにこの先の人生のある程度の道は見えてくる。さすがに10年1000億円の契約は貰えないし、HYBEの新グループのメンバーにも入れない。そんな大きくなくても、小さく少しずつ生活の中で諦めていく。

小さな憧れや、ぼんやりと浮かべてきた夢のようなものを少しずつ自分の船から降ろしていくタイミングなのかなと思う。

もちろん理想やこだわりは人間にとって大切なもので、これからも大切にしていかなくてはいけないものだと思う。

でも、その理想やこだわりに対しても少しずつ「本当にそれはそんなに大切なこと?」、「それは本当にやりたいことなの?」と自分に問いただして、自分なりの回答をそろそろ出していかなくてはいけないタームに差し掛かっていることを理解している。

こうして自分がたくさんかき集めたおもちゃ箱から少しずつ荷物を減らして、本当に大切にしていきたいものや、ずっと忘れたくないものだけを抱えて、これからはその自分の船の空いたスペースに誰かを受け入れられるような場所を作っていくことが今のやるべきことな気がしている。

こうして自分の大切にしたいことが把握できている生き方こそ洗練された生き方のような気がしている。それが答えかどうかは分からないけど。もちろん諦めずに抱え続けるのも大事、それは人生のタイミングで自分がやりたいようにやりたい時に決めたらいいだけ。

それぞれの人生、それぞれの選択で、今を刻んでいきましょう。

それぞれひとつのlife それぞれが選んだstyle
それぞれひとつのlife ひとつの愛をyeah yeah

RIP SLYME 『One』

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