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最近思うこと#18 世界の終わりには紅茶飲めないからサイダー飲んで過ごしたい

僕は会社の定期はいつも決まって1ヶ月で更新している。

会社の通勤定期の更新時期の通知が来るとゾワッとする。スマートフォンのモバイルスイカに定期を入れているとご丁寧に少し早めに更新の通知をしてくれる。忘れないようにお知らせしてくれるとても便利な機能だ。毎朝そして仕事終わり、改札を通るたびに期限が表示されては更新を催促してくる。

定期の購入は1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月と期間を決めて購入することができる。
僕は更新をするたびに来月には仕事を辞めているからと、毎月思いながら定期を更新している。そして気がつくと更新の通知が来る。今月も辞めることができなかったと思いながら自分に少し落胆しながら更新をする。更新をするたびにため息を吐く。また更新"してしまった"のだ。命の更新。また生きてしまう。当たり前のことで、社会的に平凡なことで人間としてちゃんとしているのに苦しい。みんな改札を潜ってペンギンみたいな行列に並んでどこに向かっているのだろう。


今日はチバユウスケが好きなThe Sonicsの曲を聴いてる。故人を偲ぶ。偲ぶという漢字は「人を思う」と書いて「偲ぶ」と表す。あまり使うことの少ない漢字だけどとても好きだ。偲ぶことにはいろんな方法があると思っている。その人との思い出に浸るのも、語るのも。その人の暮らしていた街を訪れるのもその人が好きだった食べ物を食べるのも。どれもその人を思ってする行動には愛が詰まっている。

そんなことには意味がないと思う人もいるかもしれない。僕もずっとお墓とかお葬式とか当人がいないのに集まってなんの意味があるのだろうと思っていた。でも誰かにとって意味のないことでも、その人にしか見えない愛の使い道って存在するのだなと最近は思う。少し大人になったのかもしれない。

こうした愛の使い方はいくつも存在する。心で唱える感謝も予測変換を使わずに「ありがとう」の5文字を打つことも、届かなくても書く手紙も、好きな人を思いながら聴く音楽、書いては消してしまうラブレター、自分が見ていると負けるからと消すテレビ、目を瞑って引く席替えのくじ引き。あと、誰かと待ち合わせをする時は待ち合わせ場所に着くまでの間これから会う人の雰囲気に合わせた曲を聴きながら向かったりする。その目に見えないような愛の存在は一見すると何も生産性がないように見えるが、そこで生まれた愛が何になっているかは愛の使い道を知っている人にはきっと見えているはず。

歌を歌うこと、曲を作ること、絵を描くこと、文章に綴ること、写真を撮ること、何かを作ることの根源はそんなことかもしれない。それが些細であっても目に見えないものを形として残したいという思いはきっと表現になる。その自分から表現したものは時として自分の分身となって自分を守ってくれたり、自分の心の深いところにある悲しみを連れ去ってくれる。そうしてこうして人間は明日を作り続けてきた。これからもきっと作り続ける。

信じるという行為は嘘くさくて好きになれないけど、時々は信じていいのかもと思えるような愛に出会うことがある。今日は帰ったら『リメンバーミー』を観よう。


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