悩みを「悩み」とするかしないかは、わたし次第。
Yogagraceのめぐみです。
産後ヨガクラスで出会うママと赤ちゃんも
気づけばハイハイをするようになっていたり
歩くようになっていたり
本当に我が子のように毎月一緒に成長を
見守らせていただけていることに感謝しています
そんな中で感じることは
赤ちゃんの成長とともに、ママたちは
毎日毎日「はじめて」と出会っていて
誰にも教えてもらったことのない「はじめて」に
必死にもがいて、本当〜に頑張っている!
いつママになったら「悩みのない」ママになるんだろう!
そう、悩みがないママなんて
永遠に来ないんですよね!
0ヶ月ママには0ヶ月ママなりの悩みがあって
2歳には2歳ママ、
15歳には15歳ママなりの悩みがある。
ママだって初めての「○才ママ」
2人目、3人目出産だってそう。
2人目、3人目ママは初めてだもん。
できなくて当たり前なんですよね。
そうであれば、
「できないこと」にひとつひとつ悩んで
それを「できないママである自分はママとして失格だ・・・」
と思う必要も全くない。
もちろん子どもを育てるために
悩むことは絶対にこれからもあるし
悩むからこそ、
よりよくプラスに転じることだって必ずある。
でも、
そう思います。
世の中が描いている「母親像」は
今の時代になっても、
まだまだ理想が高すぎるし完璧すぎる
でも、もしかしたら、一番厳しいのは
「自分自身」かもしれない。
「はじめて」のママだからこそ
もしかしていたら自分の幼少期のイメージで
「自分の親がしてくれたこと」と自分とを
比べて落ち込むこともあるかもしれないし
もしかしたら、親元を離れた今でも
「ちゃんとしなさい」「いい子でいるんだよ」
「親はどう思うかな・・・」
自分の中にいる “小さなお母さん” の存在によって
”自分らしく子育てをすること”ができなかったり
“できない自分はダメだ” と
思ってしまうこともあるかもしれない。
もしかしたら、
本当は、誰もいまの自分に求めてないことにまで悩んでいたり、
自分の中で作り出した“高いハードル”に勝手に悩んでいることに
気付けるかもしれない。
そうしたらその「悩む時間」は
「本来必要ないもの」「実際起きてないこと」に悩んでることになるので
それで自分を否定したり
ネガティブな感情で心がいっぱいになってしまっているのは
すごく自分に対して「もったいない」と思えるかもしれないですね。
わたしはいつもそう思っています
我が家の1歳なりたての三女は、
「食べ過ぎ」で悩んだ上の双子の時と真逆で
とにかく「食べない!」
そして、手作りは食べないのにベビーフードのみは食べる!笑
(ベビーフードすら食べない時も多々ありますが)
でも「なんで食べてくれないんだろう・・」と悩んで
ストレスになるよりも
家族が楽しそうに食べている姿を見ているし
ベビーフードなら食べてくれるなら、食べること自体はできている
そもそも、元気いっぱいで
いろんなことに興味津々 ご機嫌だし、
問題なく発育・発達している。
(食べないのに1歳前から歩き回り元気いっぱい・・・!)
それなら「食べない」ことを悩みとして悶々とするよりも
「いつかは食べるし元気だからまぁいいか」と割り切り
三女のペースを見守るのみ。
「悩み」を「悩み」とするかしないかは、わたし次第。
わたしは、
悩む「心」のスペースを
子どもが興味を持ってキラキラして遊んでる姿見て、
笑ったり喜んだり
共感したりするスペースに使いたいなと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございます*
Yogagrace めぐみ
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