見出し画像

2022年読書評15 物部太郎とフロスト警部

「朱漆の壁に血が滴る」

都筑道夫、再読。
物部太郎もの第3作目。
これは前作「最長不倒距離」よりは読みやすかったです。章区切りがされていたためでしょう。

物語は:
冒頭で太郎の助手の片岡が殺人容疑で投獄されるシーンが描かれる。
次章では事件の発端が描かれる。
推理作家の紬(つむぎ)志津夫が小説のネタとして妻の故郷で起きた過去の事件の取材に行くのに片岡を同行させることになる。事件とは、両端が崩壊した橋=つまり、そこに行くことは不可能な橋の上で死体があったというものだった。
一方、現地金沢に着いた片岡は土蔵の中で、出入りした者のない土蔵で二人きりの中、一人が殺されるという密室殺人に巻き込まれる。
大儀そうにやって来たのはものぐさの太郎。すると第二の殺人、第三の殺人が起こる、
というもの。

小説としては分りやすい展開でしたが、ラストのトリックを暴くシーン、犯人は誰かを解くシーンではややこしくて、横溝正史みたいな人物相関があり、馴染めませんでした。

面白いのは登場人物の「紬志津夫(つむぎしずお)」。作者の都筑道夫をもじったものです。彼は作品中にしばしば自分のパロディを登場させるのです。

そして私の記憶とは犯人が違っていました。きっと当時も本格ものを読むのを面倒がり、いい加減に読んでいたのでしょう。ものぐさな部分は物部太郎に似ているのかも知れません。

ところで、作者は「都筑道夫名探偵全集」の書きおろしのあとがきで物部太郎について言及しています。
作品はシリーズ3作で終わってしまっているのですが、「彼が今どうしているのか」というと、きっと推理小説を読んだりパズルを解いたりして相変わらず、なまけているのだろう、ということでした。
作者自身が言うのだからそうなのだろうと、私は彼の近況が知れてなぜかうれしく思いました。


「クリスマスのフロスト」

RDウイングフィールド作。
このシリーズ、1990年頃出て、評価がすごく高く、ミステリで1位だったのですが、私は読もうとは思わず、食指が動かなかったのですが、今頃になって、何も読むものがなくなったので試しに読もうと読み始めると、案外に面白かったのです。

そもそも読む気になったのは
この本、新しいものと思っていたらウィキによると、そもそも1972年に書かれていたのだが、出版を断られていたものの芝居に乗せたところ、1985年頃に出版に。日本では遅く、1990年頃出版。
私はこのシリーズだらだら続くのではと思っていたのですが、作者は既に他界しており、シリーズは6作のみとのこと。(他に短編集あり)

このように全体像を掴めたので、一応手に取ってみようと読み始めると、主人公フロストが面白い奴で、文章も読みやすかったので読むことにしました。

第1作が「クリスマスのフロスト」

文庫シリーズは非常に長尺で、2冊に分冊されたものもあります。本作は1冊で収まっていますが、分厚いです。
物語は:
娘が行方不明になった女性、警察署内の様子などが描かれた後、ようやく主人公フロストが登場。彼はきたないレインコートを着て、趣味の悪い臙脂のマフラーをした人物。(舞台はイギリスなので、寒いのでしょう)下ネタが好きでガサツ。でも有能、という。
そして彼が少女行方不明事件に乗り出す、
というもの。

物語は概ね3日間の話。
ところで思ったのは、この作者、女性的な人であろう、ということ。
なぜかというと
1つには私は小説を書くのは女性の方が得意なのではと思うのです。イギリスのクリスティも、日本の宮部みゆきや、恩田陸など。もちろん男性も多いけれど、男性でも女性的な男性が作家には多いのかも知れないと思ったりします。
というのは、私が好きな都筑道夫、彼は女性を描くのが上手だと私は感じます。男が書く女性は人形のような場合がありますが、彼は自然です。それはもしかしたら彼が女性性の魂かも知れないから。

そしてこのウイングフィールドの場合、
もう1つの理由ですが、彼は「犬派」だということです。これは小説を読むと分かること。ではなぜ犬派が女性的かというと私の持論ですが、「犬好きは女性的、猫好きは男性的」ということになるからです。
(都筑先生の場合、子供の頃犬に噛まれた経験があるので犬を恐れており、犬を悪役にすることもあります。しかし猫を描く場合も猫好きとは言えないような印象を受けます。)
以上のような論点からこの作家ウイングフィールドは女性的だと感じたのです。その他の点もありますがネタバレになるので書きませんが。

登場人物のフロスト警部。
P353
「1951年、・・・・俺は18だった」とあります。逆算すると警部の生まれ年は1933年。西暦2022年で89歳になる。
ちなみに、作者は1929年生まれ。自身ではなく誰かを想定していたのか。
架空の人物ですが、もしフロスト警部が生きているとすると89というのも面白い。我々とリアルタイムの人ということになります。

この小説、推理小説というか警察小説というか、ユーモア小説というか。
とにかく、「読んでいて面白い小説」という部類です。物語の筋もそうですが、どちらかというと犯人や真相を探ることより、地の文章が面白い。読書を楽しめるということで人気があるのかなと思います。

ということであと5冊、読むかも知れません。

本作では、ラストでは、「え――」となりました。
この作品が出版されたのは1984年頃ですが、実際に書かれたのは1972年。つまり、10年以上経って小説自体は日の目を見たわけで、第2作が書かれたのが1987年。ということは15年くらいフロストの経緯は不明だったということになるわけです。

しかし、こんな長尺な小説を書けるというのは、特殊な能力であり、キングや恩田陸など近代にはそんな能力を持った作家が現れています。
写真のような絵を描く人、神がかった演奏をする音楽家、すいすいと筆を運ぶ作家、
顔が小さくスタイルがよく背が高い若者ら、
みんなニュータイプの魂であり、「落されたアトランティス人」なのです。
おそらくみなさんは意味が分からないと思いますが、私の書くものに触れているなら徐々に分かって来ると思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?