暴れだす / ウルフルズ

歌 ウルフルズ
作詞 トータス 松本
作曲 トータス 松本

敬介どん(夫)のカラオケ十八番。「またこれか…」と思うくらいで今までなんの興味もなかったのだけれど、土曜のカラオケの後からずっと同じフレーズが繰り返し繰り返し頭の中に流れている。

「人のために出来ることはあっても 人のために生きることができない」

自分の人生の主人公は「わたし」だ。「わたし」は自分自身を生きなければいけない。
誰かの代わりを生きることはできない。
なぜならひとりひとりダルマが違うからだ。

ダルマって?
ダルマはその人が生まれてくる原因だ。
ダルマという活動をするために人は生まれてくる。
ダルマという活動はその人を成長させる。
ダルマという活動はその人を喜ばせる。
ちゃんとダルマという活動をやることは、他の人のためになる。

人のダルマをやることは、自分自身の喜びや成長を失うことになる。
だって人のダルマだから。
自分のやるべきことをやっていないから。
自分自身を生きていないから、喜びも成長もない。

「人のためにできることはあっても」
自分自身をきちんと生きることは、誰かのためでもある。
誰かの光となること。
「光」って道しるべ=きっかけ=気づき、希望、元気、励まし ―ってこと。

「人のために生きることができない」
なぜダルマをやるのか?それは自分自身のため。
自分の人生の主人公として生まれてきたから。

問題が起こったとき、なにが問題かと言えば、問題を問題と思っている自分自身に問題がある。
まずは落ち着いて、問題を問題と思っている自分がいることに気づくことが大事。
そして、頭を使って、しっかりと考える。これはとても勇気と忍耐が要る作業。
誰かのせいにしたり、誰かにすがったり、全部投げ出したり、逃げたりすることもできるけど、それは一瞬気持ちをラクにしてくれるけれど、根っこからの解決にはならない。また苦しむことになるかもしれない。

問題の渦中にいるとき、「落ち着くなんて無理!」「そんなのん気なこと言ってる場合じゃない!」と思うかもしれない。
でも、「見つめる作業」が一番大事。
「問題の渦中」まさに問題という渦の中にどんどん飲み込まれて、どんどん自分自身を見失ってしまう。

自分自身を生きること。
どんなことが起こっても、その表面に囚われないこと。

人のためにできることはある。けれど、誰かのために生きることはできない。


「泣いたりしたら 苦しくなるよ」
悲しんでいる人を見て、一緒に泣いてしまうと悲しみが2倍になってしまう。


「もしも あの時 もっと心に余裕があればなぁ」
「今まで こんなに人を悲しませずにすんだなぁ」
アーユルヴェーダのある暮らしを始めて、これは思うこと。
どうしてもっと早くに知れなかったのかと思うときがあるけれど、きっかけもなかったし、教えてくれる人もいなかった。だから仕方ないんだ。
だから自分が「きっかけ」になれればいいなぁと思っている。これが私の活動の原動力になっているな。

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