暴れだす / ウルフルズ RYOKO HATTORI 2018年6月20日 15:29 歌 ウルフルズ作詞 トータス 松本作曲 トータス 松本敬介どん(夫)のカラオケ十八番。「またこれか…」と思うくらいで今までなんの興味もなかったのだけれど、土曜のカラオケの後からずっと同じフレーズが繰り返し繰り返し頭の中に流れている。「人のために出来ることはあっても 人のために生きることができない」自分の人生の主人公は「わたし」だ。「わたし」は自分自身を生きなければいけない。誰かの代わりを生きることはできない。なぜならひとりひとりダルマが違うからだ。ダルマって?ダルマはその人が生まれてくる原因だ。ダルマという活動をするために人は生まれてくる。ダルマという活動はその人を成長させる。ダルマという活動はその人を喜ばせる。ちゃんとダルマという活動をやることは、他の人のためになる。人のダルマをやることは、自分自身の喜びや成長を失うことになる。だって人のダルマだから。自分のやるべきことをやっていないから。自分自身を生きていないから、喜びも成長もない。「人のためにできることはあっても」自分自身をきちんと生きることは、誰かのためでもある。誰かの光となること。「光」って道しるべ=きっかけ=気づき、希望、元気、励まし ―ってこと。「人のために生きることができない」なぜダルマをやるのか?それは自分自身のため。自分の人生の主人公として生まれてきたから。問題が起こったとき、なにが問題かと言えば、問題を問題と思っている自分自身に問題がある。まずは落ち着いて、問題を問題と思っている自分がいることに気づくことが大事。そして、頭を使って、しっかりと考える。これはとても勇気と忍耐が要る作業。誰かのせいにしたり、誰かにすがったり、全部投げ出したり、逃げたりすることもできるけど、それは一瞬気持ちをラクにしてくれるけれど、根っこからの解決にはならない。また苦しむことになるかもしれない。問題の渦中にいるとき、「落ち着くなんて無理!」「そんなのん気なこと言ってる場合じゃない!」と思うかもしれない。でも、「見つめる作業」が一番大事。「問題の渦中」まさに問題という渦の中にどんどん飲み込まれて、どんどん自分自身を見失ってしまう。自分自身を生きること。どんなことが起こっても、その表面に囚われないこと。人のためにできることはある。けれど、誰かのために生きることはできない。「泣いたりしたら 苦しくなるよ」悲しんでいる人を見て、一緒に泣いてしまうと悲しみが2倍になってしまう。「もしも あの時 もっと心に余裕があればなぁ」「今まで こんなに人を悲しませずにすんだなぁ」アーユルヴェーダのある暮らしを始めて、これは思うこと。どうしてもっと早くに知れなかったのかと思うときがあるけれど、きっかけもなかったし、教えてくれる人もいなかった。だから仕方ないんだ。だから自分が「きっかけ」になれればいいなぁと思っている。これが私の活動の原動力になっているな。 #真理 #ayurveda #Veda #YOGurveda この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート