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集中できないのか、想像力があるのか

以前より一度に読書できる時間が減った。
忙しくなって時間がとれなくなったのではなく、集中が続かない。
仕事で疲れてるのか、脳の体力が落ちてるのか、と色々考えていたのだけれどそれだけではないようだ。

例えばライトノベルを読んでいて途中で集中が切れることはあまりない。
好きになったTVアニメの原作ライトノベルを読むことが多く、作品世界を知っているので読みやすい面はたしかにある。
しかし、アニメ化された話より先に進んでいっても読むスピードや一度に読み続けられる時間は変わらない。
多くのライトノベルは読みやすいように情報密度を調整してあるのだと思う。
ハードSFや文芸の要素が含まれていても、1巻あたりの、1章あたりの、1段落あたりの情報量が過多にならないよう気を配ってある。
一方、専門的な知識を一般向けに解説してある書籍や、たまに読む純文学系の小説は総じて情報密度が高い。
どちらが良いという話をしたいわけではなくて、シフォンケーキにはシフォンケーキの、カヌレにはカヌレの良さがある。
ライトノベルなどは、読み味を軽くして食べ続けられるようにしつつ、ストーリーやキャラクターでぐいぐい引っ張っていってくれる。
読み手は労力を使わずに読み続けられるし、世界に浸っていられる。

問題は情報密度の高い本のほうだ。
昔はもう少し、教科書や専門書を続けて読めた、ような記憶がある。
もしかしたらそれこそが思い違いで昔から休み休み読んでいたのかもしれない。
ただ、今現在読書をしていて思うのは、文章を一つ読むたびに自分の脳内に蘇る記憶や、湧き起こる思考が以前とくらべて多いことだ。
少し読むたびに本文と関係のない思考が勝手に始まって集中が切れる。
また本文に戻って読もうとするも、すぐに離脱して妄想が始まる。
ひょっとすると読み続ける体力がなくなったのとは別に、個々の事象に紐づけられた考えや経験が溜まっていて、いちいちそれらが呼び起こされてしまうのかもしれない。

人生の中でもっとも集中して文章を読めたのは大学6年生のときで、国家試験の勉強のために教科書を読んでいた。
真面目に授業を受けてこなかったツケが回ってきて、1日で教科書を読まなければ間に合わなくなってしまい毎日ロイヤルホストで10時間ぐらいページをめくり続けていた。
追い込まれないとできない人間だということを再確認させられた半年間だったけれど、だからといってそれ以来、普段からなにかをコツコツと積み上げられるようになったわけではもちろんなくて、集中力が増したわけでもない。

元々、気がつくと何かを想像してしまう、ぼんやりしたタイプの子供だった。
だから本を読めないのにも慣れているのだけれど、年々ひどくなっていく様子に、かすかな危機感、あるいは恐怖を感じる。
しかし、もし、生きている時間が長くなるにつれて想像のきっかけが増え、それが故に本文から意識がそれてしまうのだとしたら、それはそれでいいことなのかもしれないと思った。

この文章も、読んでいた小説を10分もたたないうちに放り出して書いている。
やっぱり、体力がなくなっただけかもしれない。


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