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昔見ていた海外サッカーと科学コミュニケーションの話

20年ほど前にスカパーに加入していた。
衛星放送らしくたくさんチャンネルがあって、私は海外サッカーを観ていた。
当時、ラウル・ゴンザレスというサッカー選手がいて、彼はスペインのレアル・マドリードという名門チームのエースストライカーだった。
常勝チームで点を取ることを義務づけられているなかゴールを決め続けて、チームの勝利に貢献していた。
左利きでテクニックがあって相手のディフェンダーを翻弄するプレーは素人目に見てもわかりやすい。
さらには、一流プレイヤーの多くが利き足ではないほうの足でもそれなりに精度の高いプレーができるのに対し、彼は利き足の左足では素晴らしいシュートを放つものの右足はからきしだった。
ファンは揶揄と愛情とを込めて「彼の右足は木の棒」と言っていたらしい。
守る方からすれば左足で蹴るとわかっていたほうが守りやすいから、右足は彼にとってハンデだったはずだ。
それでも彼は点を取り続け、左足しか使えないからこそ彼のプレーはより魅力的に見えた。

サッカーを観はじめた当初、ラウルみたいな魅力的なフォワードや、同じチームに所属していたジダンのように素晴らしいパスを出すトップ下の選手に惹かれていた。
しかし試合を見続けるうちに、解説者の言っていることが少しずつ分かるようになり、個人技だけではなく戦術を理解した気になった。
そしてチームスポーツとしての面白さに気がつく。
サッカーファンの全員がチーム戦術を気にしているわけではないと思うので、私がそもそもそういう類のことが好きだからだと思う。
つまり、元来のオタク的な性格から、素人ながらにサッカーの細かい部分が気になりだした。
相変わらずゴールやパスに興奮しつつも、おそらくサッカーを見慣れていない人にとっては退屈な、中盤でのパス回しも比較的楽しく見られるようになってくる。
楽しめる部分が増えていった。

玄人好みに偏っている文化にはそれが故の面白さがあるけれど、多くの国で多くの人に人気のあるエンターテインメントは初心者から熟練者まですべての人たちを満足させる。
初心者なりにわかりやすくサッカー観戦を楽しみ、玄人は玄人で初心者よりずっと楽しんでいる。

昔から市民講座を通じて、あるいはネット上などで、いろいろな専門家の方たちが科学の面白さを伝えるために活動してきた。
そういった科学コミュニケーションに関係している方たちはそれぞれ苦労されていると思う。
自分でもPodcastやYouTube配信で科学ニュースを紹介しはじめてより強く感じるようになった。
確立されたエンターテインメントは、わかりやすい魅力を提示して興味を抱かせ、そのコンテンツならではの面白さを多面的に供給しながらぐいぐいと世界に引き込んでいく。
一目で興味を持ってもらえる話題、サッカーでいえば派手なシュートやパス、選手自身のキャラクターはもちろんのこと、選手や長年サッカーを観ている人たちは他にも楽しみを感じている。
同じく、研究者自身もわかりにくい部分にも面白さを感じているはずだ。

「iPS細胞からはどんな組織も作れます。目の網膜を再生させれば視力を回復させることができるようになるかもしれません」
とか、
「バクテリアで分解できるプラスティック素材を開発しました」
などは分かりやすい。
興味を惹かれるかどうかは人それぞれだけれど、少なくともすごさが分かりやすい。
では、
「世界で初めてブラックホールを撮影しました」
はどうだろう?
ブラックホールの存在自体は多くの人が知っているし、世界初なのだからすごいことなのだろう、くらいは想像が働くかもしれない。
私の拙い理解の範囲だと、そもそも科学では極端な条件で仮説が耐えられるか試す習慣があり、理論物理学におけるブラックホールはその検証の場としてよく話題にあがる。
光も脱出できないような極端な状態を想定すると、既存の理論のアラが見えたりするらしい。
現に、アインシュタインが提唱した一般相対性理論とそれと同じくらい重要な量子力学を使ってブラックホールを理解しようとすると、互いに矛盾が出てしまう。
だからより包括的な理論があるはずだと考えられているらしい。
今のところ、超ひも理論やらホログラフィック原理あたりが有力で、そういう理論の正しさ(あるいは誤り)を調べるためにも、実際にブラックホールを観察できる意義は大きいのだと思う。

ジャンルやテーマごとに、面白さを感じるために必要な経験や知識はちがうり、より深いところにある面白さを見出そうとすればより深く知らなければならない。
しかし、科学コミュニケーションの現状を見渡すかぎり、一歩踏み込んだ楽しさを伝えようとして、うまくいっている人はあまりいない。
初見でそこまでついていける人は少ないからだ。
少数の、科学好きだったり知的好奇心が旺盛な人には分かってもらえるが、いかんせんマニアックすぎる。
だから、わかりやすい説明を優先する。
これは専門家と非専門家がいたとして、かなり非専門家寄り、つまりは観客から近い場所に立って話をしている。
専門家が非専門家のほうに歩いて行ってそこで話をしている。
けれど本当はそこから、もともと専門家がいる場所の近くまで歩いていけるようにしたほうが、より面白いにちがいないと思う。
だけど非専門家と専門家が一緒に歩いていく方法はやっぱりよく分からない。
いろんな人がいろんなことを試していくしかない、という文字を費やして書いたのになんの進展もない結論しか導けないのだけれど、発信している側はしている側でのたうちまわっているのだ、と分かってもらえるだけでも意味はあると思う。

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