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夢中になれない自分、夢中で探し物をする彼、無慈悲なビル群に佇む二人。

休日、人気ひとけがなくせわしなさから解放された、閑散としたオフィス街が好きだ。

チェーンのカフェ店を含み、コンビニ以外の店舗は軒並み閉まっていて、この街が普段いかに労働者で構成されているかが伺える。

無我夢中で仕事をこなす日々、なんて表現すれば聞こえは良いけれど、たいていは期限や数字に追われる日々で、そんな様子ははたから見れば、ある意味無我夢中なのかもしれない。無論、僕自身も平日この街に溶ける労働者の一人である。

どういうわけか、いや、だからこそなのか、こうして休日もオフィス街に足を運んではまとまらない思考を繰り返し、駄文を書き残している。


そういえば、小さな交差点の向こうで、何かをやけに夢中で探している若者がいた。

人目もはばからず、電柱や縁石の下を覗き込んだり、膝までついて何かを必死に探している。通行人に頼る、そんな選択肢はまるで存在しないかのように、一人で何かを探している。よほど大切なものを失くしてしまったのだろうか。

最後に、何かに夢中になれたのはいつだろう。

大事な会議のプレゼン資料を徹夜で作成した社会人1年目の夜、有名企業に入社するために偽りの仮面を被り続けた21歳の春、いつまでも恋愛対象に昇格させてくれなかった先輩を追いかけた19歳の夏、受験、部活、文化祭、目元にくまができるまでやったRPG。

最近であればあるほど具体的に思い出せるのは、単に記憶が新しいからだろうか、それとも。

僕は、何かに夢中になったり夢中になれる何かを見つけたいわけではなく、ただ“夢中という感覚”を味わいたいだけなのかもしれない。

プレゼン資料を徹夜で作成したのも、偽りの自分を企業に売り込んだのも、気になる人に振り向いてもらいたかったのも、あの時夢中だと思っていたものは、ことごとく「努力」や「徒労」だったのだ。

夢中はきっと感覚で、後になって鮮明に思い出せない。

鮮明に思い出せないから、思い出そうとするたび余計にそれが欲しくなる。冬に人肌が恋しくなるように。友人と飲んだ夜の帰路、学生時代の青春に思いを馳せてしまうように。

交差点を渡り切るまでの間、僕は、何かを必死に探す若者の一部始終をただ見つめることしかできなかった。

探し物ですか?どうされましたか?なんて声をかける隙などないほどに、あの数分は間違いなく夢中になっていた彼が、どこか羨ましく思えた。

明日からまたうわべだけの夢中を感じる日々が始まる。

これからもきっと夢中という感覚を探し求める、いや、いっそのことうわべだけの夢中を夢中だと錯覚してしまいたいとさえ思う。

交差点を渡り切ってからしばらく歩き、ふと後ろを振り返ると、相変わらず同じ場所を何度も何度も探す彼の姿がまだそこにはあった。

閑散としたオフィス街で忙しなく何かを探し続ける彼と無慈悲なビルの立ち並ぶこの街とが、なぜだか妙に溶け合っている気がした。

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