見出し画像

貧乏と働く意欲とうつ病と

もう無いが実家はとても貧乏だった。
母の工夫で食卓は豊かだったが常にお金に困っていた。
高校の奨学金は全額日々の生活費となった。
自転車買ってあげるからと言う母の言葉を遮り歩いて通学した。

やっとバイトが出来る。
自分でお金を稼げる。
欲しいものを買える。
嬉しくてすぐにバイトを始めた。
働く事は楽しくてお給料日を待ちわびた。

高校の卒業目前に必死で就職活動し希望の職種に就けた時の嬉しさ。
しかし家族のトラブルで心ポッキリ折れて色々重なり逃げる様に家出した。
当時の会社は何もかもから逃げた私を責めず年齢と事情と将来を考え自主退職扱いにしてくれた。
会社はもう無いがこの場を借りて
本当に申し訳ありませんでした。温情を心より感謝申し上げます。


改めてバイトから出直そう。
ところが突然それはやってきた。

皆で賄いを食べている時に急に手が震え始め右手と左手はさよならしてしまった。
びっくりした私はなんとかかんとか食べ終え「ご馳走様でした!」勢いよく言って暫く賄いを食べなかった。
先輩に心配され「ご飯食べてる?」と聞かれ「家で食べて来ました!」と答えた。

働く事は変わらず楽しかったが遠くの空に嵐の気配を感じていた。

そして数年経ち職場は変わったが働く事は楽しいままだった。
だが、手の震えは酷くなる一方で動悸と過呼吸も加わり発作が起きる場面も増えていく一方だった。
精神科に行きパニック発作の薬と心臓の薬を処方してもらった。

酷い時はお手洗いに閉じ籠り何錠も薬を飲んで発作を抑え込もうとした。
※薬の過剰服用は絶対絶対ダメです。依存しますし命の危険も伴います。またパニック発作は抑え込もうとすればするほど酷くなります。適切な治療と服薬や発作時の対策など学びましょう※
朦朧として早退の用紙を提出しようにも手が震えて字が書けなかった。
布団から起き上がれない日が増えていき布団の中で泣く日々が増えた。
自分を責め続けてしまった。


今思えばパニック障害の予期不安からのうつ病だ。
うつ病に合う薬に出会うまで色々な薬を飲んだ。
最低2週間から1ヶ月飲んで合わないと思ったら
「この薬は◯◯で飲みたくありません」
聞き入れてくれない医師もいた。
医師についても書きたいがまた別のお話し。

私に合う薬に出会い経過はすごいスピードで改善していった。
ここで薬を止めない事がうつ病の再発防止の肝になる。
よくなっている様に感じても脳の問題なのだ。

パニック障害も適切に薬を飲みつつ緊張を受け入れ思いっ切り全身に力を入れて脱力するなど工夫して少しずつ少しずつ治っていき今は発作の存在も忘れている。

十分な休息と薬を飲みながら日々安心安全な土台を作り心身共に馴染む事。
焦らず慌てず落ち着いてじっくりゆっくり治していく。
うつ病はのんびり療養中。




写真は一番古い給与明細です。
これより前はありませんでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?