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【サイケデリック学・意識哲学探究記】12149-12157:2024年2月18日(日)

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タイトル一覧

12149. 今朝方の夢

12150. 日本の仏教研究に目を開かされて

12151. 種蒔きを手伝う人/日本社会が持つ精神的近親相姦圧力

12152. 唯識研究三昧/ハーバード神学大学院の説明会で知り合った2人との近況報告より

12153. 多様性を通じた雑種強勢/人生の無常に気づいて

12154. 唯識思想とサイケデリクスの掛け合わせ/唯識思想と華厳思想

12155. 日本の法相宗の大成者善珠と護命の業績に注目して

12156. 日本の法相宗の唯識思想の歴史的展開過程をテーマにした博士論文の執筆に向けて

12157. サイケデリックビジネスのグローバル市場規模といくつかの興味深いサイケデリック企業

12149. 今朝方の夢 

時刻は午前4時半を迎えようとしている。今の気温は9度で、今日はもう気温が上がることも下がることもなく、このままの気温のようだ。午前中から少し小雨も降るようで、今日は曇り空となるだろうか。先日にハーバード神学大学院(HDS)の最終選考面接を終え、まだ結果は出ていないが、今年の夏からはボストンで生活を始める可能性があり、昨日フローニンゲンの街を歩いている時にはこの街を近々離れることになるかもしれないという一抹の寂しさと同時に新天地への希望があった。早ければ6月末にボストンに引っ越しをしたいと思っており、そうなるとフローニンゲンでの残りの生活は4月ほどになる。そう考えると本当にあっという間で、フローニンゲンでの生活の残りの日々の1日1日がとても貴重なものに思えてきたのである。これは自分の人生の最後を迎える時にも感じる気持ちなのかもしれないと思った。最後の時期を知ると、そこからの日々が輝き出すことがあるように、ここからのフローニンゲンでの毎日はより輝きを増すに違いない。そうした最後の輝きを噛みしめたい。

今朝方はさほど印象に残る夢を見ていなかったが、断片的に覚えている場面があるのでそれらを振り返っておきたい。まず覚えているのは、見慣れない外国の街にいて、街を散策していたことである。天候は晴れであり、その時の自分の気持ちは平素のように落ち着いていて、それでいて好奇心の目を持って街を眺めていたので喜びの気持ちに溢れていた。自分は常に平穏さと喜びの感情に満たされているようなのだ。その街での散策中もそれはいつもと変わらずであった。そのような場面があった。

それ以外には、見た目は外国人だが日本語を話す男性と会話をしていた。すると、その男性が自分を馬鹿にするような言葉を投げかけてきたので、私は思わずそれに反応してしまい、威嚇する姿勢を取った。それにもかかわらず彼は引き続き自分を揶揄うような言葉を投げかけてきたので、我慢の限界を迎え、思わずジークンドーの技で攻撃をしてしまった。意図的に相手の膝の骨を折る蹴り技を仕掛けたところ、彼の膝の骨は反対方向に折れて、もう立てなくなってしまった。そんな彼の姿を見た時に、自分はまだまだ自我への囚われが強く、その程度のからかいならば本来受け流しても良かったはずなのにと反省した。そのような夢を見ていた。

唯識思想を学び始めてからというもの、毎日自分の自我への囚われの強さを実感し、反省することが本当に多くなっている。こうした反省をしているのも自我の可能性があるが、純粋な反省は自我というよりも菩薩心を持つ自己のようで、その自己を起点にしてこれからの自我への執着がないかを事あるごとに観察していきたいと思う。それが菩薩への道である。フローニンゲン:2024/2/18(日)04:40

12150. 日本の仏教研究に目を開かされて

昨日、日本から届けられた唯識思想に関する専門書を受け取った。今回、唯識思想に関して10冊ほど専門書を購入したところ、和書で優れた書籍が結構な数あることに驚いた。おそらくさらに年代を遡れば、もっと専門書の数は増すだろう。英語での文献もそれなりにあるが、日本の仏教研究の歴史と照らし合わせると、今のところ唯識に関してだけで言えば、ひょっとしたら日本語の専門書の数は英語のそれを上回るかもしれないと思った。そこに日本の仏教研究の蓄積を見たような気がして嬉しくなった。というのも、これまで欧米の大学院で学術研究をする際には日本語の専門書や論文を扱うことは一切なかったが、仏教について欧米の大学院で研究する際には日本語の文献を扱うことができるのではないかと思ったからである。母国語の文献を用いて研究できる可能性があることに嬉しくなってしまったのだ。日本語の文献から距離を取り、それを参照しないというのがこの12年間の自分の態度だったが、自分のここからの研究分野と内容を照らし合わせてみた時に、日本語で蓄積されている仏教研究の成果を活用しないというのはむしろ非常にもったいないことだと思ったのだ。欧米の研究者がわざわざ日本語を学んで日本語の文献を参照することはほとんどないであろうから、自分は日本における仏教研究の蓄積と現在進行している先端的な研究を日本語からも積極的に取り入れ、それを反映させる形で論文の執筆に取り掛かることも検討したい。いずれにせよ、改めて日本の仏教研究に目を開かされたと思いであり、唯識について研究する際には積極的に日本語の専門書を扱っていきたいと思った次第である。

昨日、空海の思想と唯識思想のつながりについて研究してみたいという思いが芽生えていた。空海は、『秘蔵宝鑰』を通じて、小乗から大乗へ、そして密教へと段階を追って含んで超える壮大な仏教思想を構築した。彼の思想を深く研究してみたい。2020年に空海が今も生きているとされる聖地の高野山を訪れた。宿坊の宿泊と阿字観瞑想の体験を含め、非常に貴重な体験をさせてもらった。そのような思い出を思い出しながら、空海の思想研究も視野に入り始めたことを嬉しく思う。空海は唯識思想、中観思想、華厳思想にも深く精通していたようなので、今の自分もそれら3つは非常に関心を寄せていることもあり、華厳思想や空海の思想についてもどこかのタイミングで日本語の専門書を探してみることを検討しよう。ここからの自分の仏教研究は研究そのものが楽しく、それでいてそれが即自分の人生に役に立ち、また他者のより良い人生につながってくれるものだと確信している。こうした確信があるから自分は毎日着実な一歩を歩めるのだろう。フローニンゲン:2024/2/18(日)04:58

12151. 種蒔きを手伝う人/日本社会が持つ精神的近親相姦圧力

時刻は午前6時を迎えた。辺りはまだ真っ暗で外の様子は何もわからないが、いつものように穏やかな朝の世界が広がっていることだけではわかる。自分を包む世界はとても平穏である。そのように世界を捉えている自分の識が平穏であることがそこからわかり、そのような識が顕現する種子を自分はこれまで撒いてきたのだと思う。取り巻く世界の不確かさを認識しながらも、世界に対して常に安心感を感じ、平穏な気持ちでいられるのも阿頼耶識に蓄えられた種子のおかげなのだろう。そうした種子を撒いたのは確かに自分かもしれないが、そうした過去の自分はことごとく良縁によって存在していたことを忘れたくはない。決して自らの力だけでそのような種を撒いてきたわけではないのである。自分を取り巻く人や環境のおかげで自分は今につながる平穏・幸福な種を過去に撒けたのである。これからもそうした種を撒き続けながら、それは自分の阿頼耶識に対してだけではなく、他者が平穏かつ幸福な人生を歩んでもらえるような種蒔きの手伝いをしたい。自分はそうした存在として他者に寄り添い、他者に貢献したいと思う。その1つ1つが、そしてその積み重ねが社会への貢献となる。

今年の8月からは欧米での13年目の生活が始まる。そう考えると、人生の1/3を日本以外の国で過ごしていることになり、これまでの歩みについて自然と回想する。そもそも自分が母国の日本で生活することを避けているのは、精神的近親相姦を避けるためなのだと思う。振り返れば昔から自分は多様性を好み、多様性に開かれていたように思う。所属する学校の中でもできるだけ多くの生徒と分け隔てなく接するようにしていたし、他校の生徒とも打ち解けるのは早かった。これは転勤を何度か経験することを通じて養われた特性のようにも思うし、先天的に持って生まれた特性でもあるように思う。そんな自分も高校生ぐらいからは日本の学校にいることがとても窮屈に感じられ始めた。自分に刺激をもたらしてくれる多様性はさほどなく、硬直した旧態依然とした学校システムと社会システムに組み込まれて日々を過ごす感じがとても窮屈で魂が窒息しそうであった。自分の成長につながるような多様性がさほどなく、単一的・画一的な社会の中で生きることがいよいよ苦しくなったタイミングで自分はアメリカ西海岸の大学院に留学することになった。それは自分の魂にもう一度息を吹き込み、魂に翼を授けた。そして、多様性に満ちた社会の中で生きることを通じて、雑種強勢的に自らの魂はより逞しいものへと変容していったのである。西海岸の多様性に開かれた開放感の味を知ってしまった自分は、もう日本には戻れないとその時に感じた。日本に戻ると、自分の魂はまた窒息してしまのではないかと思ったし、精神が画一性によって壊死してしまうと思ったのである。日本も現在は多様性を標語に掲げて多様性尊重社会を築き上げていこうとしているようだが、日本社会の背後にある画一性は非常に根深い。それは自分のような人間にとっては精神的近親相姦を強制してくるような目に見えない圧力として感じられるのである。2年に1度ぐらいの頻度で日本に一時帰国する時に、空港に降り立った瞬間から、その圧がまるで強く張り巡らされた結界のような形で敏感に感じ取れるのだ。自分と同じような苦しみを抱えている人はきっと日本にたくさんいるであろう。自分は何かこの問題に対しても日本社会に対して貢献していく必要があるような気がしている。フローニンゲン:2024/2/18(日)06:23

12152. 唯識研究三昧/ハーバード神学大学院の説明会で知り合った2人との
近況報告より      

ゆっくりとゆっくりと。深い呼吸をゆっくり味わいながら、一瞬一瞬の時の粒子の内側に溶け込むようにして。朝のモーニングコーヒーの味と香りを味わいながら、今日もまた唯識思想の研究に打ち込もう。まだ未読の唯識思想の関連書籍が随分と机の上と、机の上に置ききれなくなったので椅子の上に積まれている。椅子はもう座るための機能を手放し、本が積まれるための機能を担い始めた。少し前に受け取った唯識思想に関する英文書籍もまだ未読のものがあり、昨日受け取った数冊の和書もあるので、ここからは本当に唯識研究三昧を楽しめる。そしてそこからは何と、サンスクリット語、チベット語、中国語で唯識研究に没頭できるとなれば、それは無上の喜びをと至上の至福感をもたらすのではないかと思って嬉しくなる。それは自分の楽しみに閉じたものではなく、唯識思想をもとにした対話や情報発信がきっと誰かの役に立ち、社会をより良くしていくことにつながるという確固たる確信と信念があることが、日々の研究における楽しさとエネルギーを醸成している。

昨日、ハーバード神学大学院(HDS)を昨年の秋に訪れた時に知り合ったロシア系カナダ人のアリーシャと久しぶりにメッセージを交換した。HDSの1日説明会では、最初の受付の段階で彼女とすぐに意気投合したので、基本的に説明会ではずっと行動を共にしていた。そんな彼女に近況を尋ねると、まだインタビューの招待を受け取らず、それを待っているとのことだった。インタビューの招待は3月の最初の週まで送られるようであるから、焦ることなくそれを待つことが大切であり、自分もそうしたおおらかな気持ちで構えていた。どうやらアリーシャもそのような心持ちでいるようで何よりだった。彼女は聡明であるだけではなく、人柄も大変素晴らしいので、彼女にもインタビューの招待が届くことを祈っている。

もう1人、ニューヨーク市に在住のローリーという年配の女性ともこの数週間の間に何度かメッセージを交換していた。彼女はユダヤ研究をHDSで行いたいらしく、彼女とも1日説明会の際に知り合った。ローリーもまたインタビューの招待を待っているようであり、幾分心が揺らいでいるようであった。彼女にとってはHDSはドリームスクールとのことで、併願したイェール大学の神学大学院にはあまり関心がないようだった。彼女はコーネル大学で学士号を取得し、コロンビア大学で修士号をすでに取得している。それらの大学はいずれも東海岸の名門大学群であるアイビーリーグに括られる大学で、そんな彼女にとってもハーバードはやはり別格のようだった。彼女はもう日本でいうところの還暦をとうに超えているようだったが、自分の出自であるユダヤ教についてHDSで学びたいという強い思いと憧れを感じた。アリーシャと同じく、ローリーにもぜひインタビューの招待が届いて欲しい。そんな気持ちで一杯である。全ての人の幸は自分の幸であり、特に身近な人の幸は強い幸を自らに感じさせる。フローニンゲン:2024/2/18(日)06:43

12153. 多様性を通じた雑種強勢/人生の無常に気づいて

多様性に開かれ、多様性を自身の内側に取り込んでいくこと。自分の人生においてはそんな生き方がこれからも自然となされていくであろう。自分はそうして成長を遂げてきた。植物は、異なる種や品種同士を交配させることによって雑種となり、雑種は両親の優れた性質を受け取ることを通じて、両親を含んで超える形で両親以上に優れた性質を示すことが多いというのはとても興味深い。この性質は「雑種強勢」と呼ばれており、親同士が遺伝的に離れていれば離れているほどに雑種強勢は起こりやすくなることが知られている。これは何も植物だけに当てはまるものではなく、人間を含めた他の生命においても起こる。人間であれば、一般的にハーフの人の顔立ちが美しいのもそうした理由からだろうし、そうした肉体的な性質だけではなく、知性の面でも雑種強勢の性質が見られることがある。早朝に書き留めていた日記にあるように、ここからの自分は雑種強勢をより意識する形で、常に多様性に開かれ、自分の内側に多様性を取り込んでいきながら、心の成長の歩みを着実に進めたいと思う。

なるほど無常であったか。そんな言葉が思わず漏れた。時刻は午前7時半を迎え、今空が随分と明るくなっていることに気づいて驚いた。これまでは8時半を迎えないと明るくならないような状態であったが、気づけばもうこの時間ですでに夜明けを感じさせてくれるようになっていたのだ。小鳥の美しい鳴き声に打たれる。自宅の敷地内には鳥が寛げるような鳥籠があり、家のオーナーがそこに餌を置いている。そうしたこともあって小鳥たちがとりわけ朝夕そこにやってきて、近くの木々に止まりながら鳴き声を上げる。わざわざフローニンゲンの街のコンサートホールに行って音楽を聴かなくとも、こんな身近に素晴らしい音楽を奏でてくれる存在がいるのである。自分の人生はますますシンプルなものになっていき、こうした小鳥たちの鳴き声を聞くだけで本当に心が満たされ、満足感を覚える。

先ほど、思わず無常性に気づいてハッとすることがあった。もちろん今聞こえてくる小鳥の鳴き声も無常なる現象なのだが、こうして丸8年間過ごしているフローニンゲンでの生活そのものが本来無常であることに気づいたのである。ある特定の街で長く生活を営んでいると、その生活が当たり前のものとして染み付き、それがこれからも続くと錯覚しがちになる。まさに自分もそうであった。しかし、フローニンゲンでの生活もそもそも最初から無常だったのである。常なるものは何一つとして存在しないというのはやはり真理である。この夏からボストンでの生活を始めることになったら、そこでの新生活もまた無常なるものとしてそこに存在することになるのだろう。無常なる世界に生きている自分自身もまた無常なる存在なのだ。自己も世界も無常であるということ。その真理に深く気づくと、自然と全ての瞬間と全ての出来事に感謝の念が湧き、深い感謝の念が自然と現れてくる。今、その感覚に満たされている自分がこの瞬間にいる。フローニンゲン:2024/2/18(日)07:42

12154. 唯識思想とサイケデリクスの掛け合わせ/唯識思想と華厳思想     

自分という存在は、迷い、悩み、苦しむ存在である。きっと多くの人もそうだろう。自分自身と他者の迷い、悩み、苦しみを唯識思想とサイケデリクスの掛け合わせによって解消していく実践に全身全霊を捧げたい。唯識思想だけを説くことは、知的理解に止まってしまうリスクや思想内容の理解の困難さ、さらに要する時間の膨大さから望ましくない。唯識思想が説く教えをことごとく開示してくれる直接体験を積ませてくれるのがサイケデリック実践である。唯識思想を体得するためには、そこで展開されている思想内容について実際に体験することが不可欠であり、それを包括的に実現させてくれるのがサイケデリック実践なのだ。一方、サイケデリック実践をするだけというの望ましくなく、そこには体験の見取り図と体験咀嚼の枠組みが必要になる。そうした見取り図と体験咀嚼のための包括的かつ信頼に足る枠組みが唯識思想なのである。唯識思想とサイケデリクスの掛け合わせによって、自他の迷い、悩み、苦しみの根本的な解決に尽力していきたいという思いが溢れてくる。

唯識思想と華厳思想への関心の高まり。サイケデリクスを通じて開示される個人の体験と個人の真理を紐解く際に、唯識思想ほど優れた包括的な枠組みを自分は知らない。そこに人間の心と意識の活動のメカニズムの全てが記述されているように思う。少なくともこれまで自分が学んできた発達心理学や西洋哲学の枠組みでは語られていないような詳細な心理分析がそこに展開され、実践的叡智が詰まっている。一方、サイケデリック実践によってもたらされる宇宙的な体験と宇宙の真理は唯識思想だけではなく、華厳思想でより十全に紐解かれていくような気がしている。まずは徹底的に唯識思想について理解を深めていき、その探究がひと段落したら華厳思想についても探究を始めていこう。きっと華厳思想を学ぶことを通じて、唯識思想についての理解がさらに豊かなものになるだろう。そうすれば、実践もまた豊かなものになり、人生そのものの豊かさが増し、その過程の中で他者や社会の豊かさの実現に向けた取り組みもさらに進展していくであろう。フローニンゲン:2024/2/18(日)10:05

12155. 日本の法相宗の大成者善珠と護命の業績に注目して       

今年の8月から欧米での13年目の生活が始まる。その時は着実に近づいていて、そんな中でふと、自分が日本という国に生を受けたことの意味について唯識研究の観点から考えていた。唯識思想と出会った日は浅いが、自分はもうこの思想に心打たれている。これを取り上げて欧米の大学院で博士論文を執筆したいという思いが日増しに強くなっている。そんな中、唯識思想を完成させたインドの世親やその思想を中国に持ち帰り、法相宗の開拓に貢献した玄奘にばかり目が向いていたが、我が国で唯識思想をさらに磨いていき、法相宗を普及させることに尽力した人たちについて意識が向かった。すると、2人の大変興味深い日本人の学僧を知った。それは、善珠(ぜんじゅ:724-797)と護命(ごみょう:750-834)である。2人は最澄と空海の影に隠れてしまっているが、実は最澄の天台宗と空海の真言宗に対抗して法相宗を宣揚しようとしていたことを初めて知った。最澄と空海の二大巨塔の影に隠れてしまっている2人にとても関心を持ってしまった自分がいる。そこからそれぞれの主著について調べてみた。まず善珠は多筆家であったそうで、残した著作物の中でも『唯識分量決』の資料的価値に注目した。本書では、玄奘と窺基といった中国の唯識思想家以外の唯識思想家の仕事にも多数触れているようであり、善珠自身の唯識思想も展開されているようで非常に興味深い。一方、護命は日本における法相教学の大成者として、『大乗法相研神章』という書物を唯一残している。この書物にはどうやら法相宗内の北寺と南寺の間の論争点に触れていたり、その他の宗派との論争点に言及しているなど、日本の法相宗の歴史的思想変遷を辿る上で非常に重要な書物なのではないかと思った。今、英語で読める唯識関係の書物を手に入るだけ全て購入してみたところ、欧米の大学院で唯識について取り上げるのであれば、ここに自分にしかできない貢献可能性があるように思えたのである。すなわち、日本の法相宗の思想的発展過程に注目し、とりわけ日本で法相宗を大成した善珠と護命のそれぞれの主著を取り上げ、それらを佳境するような研究は非常に意味があると思ったのだ。この研究を博士論文のテーマとして設定する方向性を検討したい。何かここからまた大きく人生が動いていきそうだ。やはり次回の一時帰国では、法相宗の総本山である興福寺には必ず足を運び、護命が活躍した元興寺にも必ず訪問しよう。フローニンゲン:2024/2/18(日)13:35

12156. 日本の法相宗の唯識思想の歴史的展開過程を
テーマにした博士論文の執筆に向けて 

博士論文として執筆したい内容の輪郭が随分と見えてきた。それはとても大がかりなもので、どこまで実現できるか分からないが、構想を練っているだけでどこか知的興奮が噴火しそうであった。端的には、日本の唯識思想の原点から現在に至るまでの全歴史的発展過程をまとめていくという内容である。それは日本の法相宗の唯識思想の歴史的展開過程をまとめ上げていくと言い換えることができる。どこまで時代が遡るかというと、日本に法相宗が中国から伝わってきた飛鳥時代まで遡る。そこから最後に唯識思想の重要な書物を残した佐伯旭雅(さえききょくが)が活躍した明治時代までの唯識思想の発展をまとめていきたいと思った。飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治のそれぞれに重要な学僧がいて、彼らが残した書物を読み込んでいくことを通じて、その時代にどのような事柄が研究され、論点になっていたのかをまとめていくのである。それぞれの時代ごとに各章を割り振っていくと、合計で7章となり、博士論文の構成として収まりが非常に良い。飛鳥時代や奈良時代の書物が現存しているのかどうか、そしてそれが読める状態なのかという問題が浮上し、それらの問題について調べてみなければいけない。例えば、元興寺文化財研究所や奈良文化財研究所といった研究機関に連絡して、資料の閲覧を含めた研究協力を依頼することも検討しよう。非常にスケールの大きい研究だが、この研究が実現し、無事に英語での博士論文としてまとめ上げることができたら、欧米における唯識研究に貢献するだけではなく、当然ながら日本における唯識研究に貢献することにもつながるのではないかと思う。そう思うと興奮が止まらない。

仮にこの研究に着手するとしたら、当時の時代の日本語、おそらく漢語を学ぶ必要があるだろう。今のところサンスクリット語の学習を始めようと思っているが、上記の博士論文の実現を考えたら、中国語や漢文の読解力を高めることを優先させた方がいいかもしれないとも思っている。できるだけ早く飛鳥や奈良の時代の文献史料がどれだけ入手できるかを調べておきたい。いずれにせよ、上記の案は是非とも欧米の大学院で博士号取得に向けた研究として着手したい。スケールがあまりにも大きいが、自分の情熱を持ってすれば実現できるような気がしている。フローニンゲン:2024/2/18(日)14:09

12157. サイケデリックビジネスのグローバル市場規模と
いくつかの興味深いサイケデリック企業   

シトシトとした小雨が降っている。小雨の音に耳を傾けながら、唯識に関する書籍の読解が進んだところでサイケデリクスに関して数日前に調査していたことをまとめておきたいと思う。まず、サイケデリック・ルネサンスの隆盛を受けて、海外ではサイケデリックビジネスが拡張している。端的には、日本円換算すると、サイケデリック・ルネサンスが本格的に始まった2020年あたりの市場規模は日本円にして3000億円規模になる。Data Bridge Market Researchの予測によれば、2027年には70億ドル、すなわち1兆円規模になる見込みである。別の調査会社のResearch and Marketsはもう少し強気な予想をしており、2027年までには110億ドル、すなわち1兆5千億円ぐらいの市場規模になると予想している。北米、欧州、アジア、中南米、アフリカのいずれの大陸でも伸びが期待されるが、研究やビジネスで牽引しているのは北米と欧州になる。とりわけうつ病・不安症・ADHD・PTSDといった病気や症状に対してサイケデリクスの医療目的での活用に注目が集まって市場規模が拡大していく見込みである。

学術機関においては、まさに先日のハーバード神学大学院(HDS)の最終選考面接でも質問したように、2023年10月にローンチされたハーバード大学とUCバークレー校の学際的サイケデリック研究プロジェクト(“Psychedelics in Society and Culture”)に注目が集まっている。これは、グラシアス財団による20億円ほどの寄付によって実現したもので、今後、寄付金額を増大させていき、さらに研究を進展させていく予定である。その他にも、ハーバード・ロースクールが独自に“The Project on Psychedelics Law and Regulation”を数年前から立ち上げており、サイケデリクスの製品・サービスに関する知的財産権の研究やサイケデリクスの製品・サービス及び研究に関する倫理の問題についても研究を進めている。ハーバードのコース検索をした際に、ロースクールでサイケデリクスの規制に関する興味深いコースが提供されているのを知り、そうしたところにもサイケデリクスへの注目の高さを実感する。

個別具体的な企業としては、Cybinという2019年にカナダに設立された企業は注目に値する。ユニークなプロダクトとして、通常数時間におよぶサイケデリック体験を55分から2時間に体験が収まるような製品を開発していることである。鬱病・アルコール依存・不安症の治癒におけるシロシビンとDMTの研究開発に強みがあり、主に米国ワシントン大学と提携して研究を進めている。2016年に英国に設立されたCompass Pathwaysはもまた注目のサイケデリック企業である。同社は2020年に、グーグル、アップル、フェイスブック、ネットフリックスなどの巨大IT企業が上場しているナスダックに上場した。ライフサイエンス事業において、医療目的(不安症・PTSDの治癒)におけるシロシビンの研究開発を進め、サイケデリクスの利用者に向けたアプリの開発などのデジタルテクノロジー事業も展開している。この会社は、主にキングス・カレッジ・ロンドン大学と提携して研究を進めている。最後にアメリカで設立され、ニューヨークに拠点を置くMindMedについても触れておきたい。この会社は2019年に設立され、こちらの会社も2021年にナスダックに上場されている。この会社はバーゼル大学病院やオランダのマーストリヒト大学と提携し、サイケデリクスの研究開発に従事し、ITとAIを活用した使用者へのサイケデリック教育と診断提供及び利用歴・行動歴の管理アプリを提供している点が興味深い。これらの会社にも欧米にはまだまだ興味深いサイケデリック企業があるので、それらについてもビジネス内容について色々と調べていきたいと思う。フローニンゲン:2024/2/18(日)15:09

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