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人をジャッジしないということ

少し前に友達の結婚式で、新婦が新郎の好きなところを「人をジャッジしないところ」と言っていて、ハッとしたことがある。

たぶん、人をジャッジすることは、いつだって簡単だ。というか、人は人をいつもジャッジしてしている。

ジャッジしていることにすら無自覚だ。自分は「人をジャッジしない」という言葉に出合ってはじめて、人をジャッジしているのかもしれないと自覚的になった。

ジャッジすることも、あるいはジャッジされていることにも、慣れすぎてしまっているのかもしれないとさえ思う。

それはもしかしたら、『嫌われる勇気』というタイトルの本が、5年間売れ続けていることとも無関係ではないように感じる。

自分も、数年前まで人にどう思われるかが人生のすべてであるかのように、いつもビクビクしていた。そして何かあるたびにクヨクヨしていた。

「人をジャッジしないこと」は、実は難しいことでもあるのだと思う。なぜなら、やっぱりそれは無自覚になされることでもあるから。

という話を、結婚式から数カ月後の昨日、新郎と新婦のいる場で話したら、2人はポカンとしていた。だけど、その場にいた数人が同意してくれた。

そして、それを結婚式の場で「一番好きなところ」に挙げる新婦がすごいという話になった。新郎は日本人で新婦は中国人だけど、彼女の言語化能力は日本人をも凌駕している。

人の魅力を言い表すこともまた意外と難しい。僕はその言葉に出合ったとき、ハッとすることしかできなかったのだけど。

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