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ビヨンセの映画『Renaissance: A Film by Beyoncé』と「多様性」

 ビヨンセの映画『Renaissance: A Film by Beyoncé』に、パワーをもらってきた。あっという間の約3時間で、今年の最高な締めくくりに。

 そんななか、考えさせられたのは、「多様性」という言葉についてだ。ぼくのように企業の広告・広報に関わっていると、近年よくふれる言葉だが、とってつけたような扱われ方に違和感を抱くことが多い。きっとその理由は、「みんなとはちがう人も受け入れよう」という考え方になっているからなのでは、と今作を観て感じた。

 多様性を語るうえで本当に必要なのは、「みんなが全員ちがう」ことが前提で「それぞれを受け入れ合って、助け合い、それぞれの美しさや幸せを祝福しよう」という姿勢なのだろう。ビヨンセの一つひとつの言動から、それを感じられた。

 「みんなが全員ちがう」という感覚は、日本ではもちにくいのかもしれない。海外に住む友人から、こんな話を聞いたことがある。

さまざまな国から来た共通点の少ない人たちが、まわりにたくさんいる。もちろんバックボーンやルーツはそれぞれちがう。だから、「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」という会話をよくする。

 たしかに、日本人同士には共通点が多く、その前提のもと社会や文化が構成されてきた。これは「お笑い」の世界で顕著に表れていると思う。言葉づかいや表情・間などの絶妙なニュアンスのちがいによって、おもしろさを生まれるのは、共通点が多くあってこそだ。

 ただ一方で、「日本人ってこういうもの」という潜在的な意識から生まれる閉鎖的な風土に、苦しめられている人もいる。みんなと同じであることを求められ、異物は排除されるような空気感。ぼくのような秀でた才能がない人間ですら、居心地の悪さを学生の頃から感じていた。

 インターネットやSNSの力によって、「こうあるべき」という呪縛から解放された今。もし「多様性」という言葉を、今の教育現場で使っているのだとしたら、前述のような姿勢とともに醸成させてくれているといいな、と思う。

 ぼく自身は、もっと自分らしさを大切にすることから始めてみる。自分を愛せなければ、他人を受け入れ、愛することはできないはずだから。
 ありのままでいい—— そんなビヨンセからのメッセージを糧に、2024年は胸を張って迎えられそうだ。

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